御武家様のヤル気を引き出すには <C2426>
■安永7年(1778年)8月2日(太陽暦9月22日) 憑依202日目 雨天
満願寺での興業までは晴天に恵まれまだ暑い日だったのが、その翌日から雨天が続いている。
秋の長雨、秋雨前線なのだろうが、怖いのは野分(台風)接近との見分けが付きにくいことなのだ。
雲の流れを見ることで見分けが付くという名人もいる、と聞くが、そう簡単に判る訳がない。
安兵衛さんがこの屋敷に来る頃、樵の佐助さん達が椿井家の荷駄隊と一緒に里へ向け出立していくのを門から見送る。
佐助さん達6人は、各自6個の七輪を載せた背負子を付けており、一飯一宿に昼飯分のお礼の意味から登戸村へ送り込む輸送力とばかりに都合良く荷駄隊に取り込まれたようだった。
当初予定から間延びして5日毎に深川から届く1000個の七輪に比べたら、ここから登戸村へ送り出す七輪は余りにも数が少なく、屋敷の七輪は少しも減ってはいないのだが、それでも少しずつでも登戸村の拠点に七輪を積み上げておくことは必要だろう。
更にその積み上げた七輪の一部は、登戸村から円照寺のある大丸村へ、これまた細々と送りこまれてもいるのだ。
先のことを考えれば、登戸村にあるようなストックヤードを江戸周囲の村々に借りて配置しておくのが良いのかも知れない。
現状では、七輪がこの屋敷から直に出て行くしかなく、旗本の家としては、いかにも『内職しておりました』然で、末席とは言え奉行職のやることではないように思える。
9月の売れ行きにも依るが、萬屋が新たに借りた金杉村・根岸の蔵に1万個程置かせてもらう、というのはどうだろうか。
佐倉藩の練炭の生産が滞っている間であれば、場所としてゆとりがあるに違いない。
そうすると、深川からここへ持ち込むのではなく、直に根岸の蔵へ運び込んでくれれば良いのだ。
場合によっては、又借りになるのだが、蔵の場所代を払っても良い。
これはお婆様、いや萬屋主人の千次郎さんと相談するしかないか、と考えこむうちに、御殿様からの呼び出しがかかった。
「佐倉藩での練炭作りがなかなか難しい、と紳一郎から報告を受けた。6日間程の滞在で上手くいく、とは端から思ってはおらんかったが、やはりそうなったか。根本の問題は『平たく言えば武家・奉公人のヤル気の無さ』と聞いたが、対策は考えておるのか。このままでは、助太郎が可哀そうであろう」
御殿様と紳一郎様を前に、平然としている安兵衛さんの隣で、答えに窮し脂汗を流している義兵衛というなかなか見られない様相になった。
「手っ取り早く判りやすいのが、儲けが上がることを判ってもらう、ということで、滞在期限の6日間のうち半分の3日間はこういった得られる利益の話をしております。多分、頭では判っているのだろうとは思いますが、実際には帳面上の話だけに実感がないのだろうと推測しております。
この実感を得るには、実際にお金が手元に入る、という体験を一度でもすれば判るのでしょうが、そうそう使えるお金がある訳でもなく、苦慮しております。ここに100両でもあれば、違ってくるのでしょうが、それが難しゅうこざいます」
御殿様は義兵衛の苦し紛れの返答を聞いて、腕組みをし、間を取ってから話始めた。
「義兵衛なりに考えておるのかも知れんが、多分それでは上手くいかん。100両かけても無駄金じゃ。これは少し、ワシが助けてやるしかなさそうじゃな。
その前に、なぜ上手くいかんと断じたのか、訳を教えよう。
確かに義兵衛が考えるように、金子は重要じゃ。旗本や御家人は言うにおよばず、いずこの藩も財務は火の車であろう。家臣達は半知借り上げなど実質的に禄を減らされておろう。これをどうするか、で汲々としておることも確かなことと思う。
だがな、それを悩むのは、基本的には当主だけであろう。金子が無いことで恥をかくのは当主であるからのぅ。
部屋住みに追いやられている者が、家に金が無いことを判り、それをどうにかしようと考えておるか、というとそういう訳ではないであろう。壬次郎や甲三郎は、椿井の里の寺子屋で百姓と一緒に学び、半農生活をしていた故に、自活ということを本能として会得しておるが、これは例外じゃ。働かざる者、食うべからず、の教えのことじゃ。
義兵衛とて、知らず知らずの内に会得しておるであろう。それゆえ、利を説けば皆動くと信じておる」
いつもであれば要点だけを抜き出し短く説明し、後は考えろ、になる所だが、今回ばかりは違う感じだ。
『大きな曲がり角に差し掛かっているので、間違いないように諭してくれているのだ』
義兵衛は背景を悟ると、全身を耳にして一言も漏らすまいと拝聴する姿勢を強めた。
「だがな、武家はちょっと違う。昔は『御恩と奉公』と言っておったが、その根にあるのは祖先の功によって得た禄である。その禄は祖先が言わば命を張って子孫のために得たものなのだ。ゆえに、子孫はその思いの上に胡坐をかいておって不思議はない、と思っておる。武家が『利』とは違う原理で動いていることは判るな」
どうもピンとこないところがあるが、御殿様は腑に落ちるまで語るのをやめている。
『子孫に、という部分を考えなければ、国が出す年金制度のようなものか。若い内にそれなりの掛け金を年金用に積めば、ある年齢以降は最低限の暮らしができるように死ぬまで年金を出すという仕組みと類似しているのかな。ある程度裕福な年金を貰い、それで充分生活が出来ている老人であれば、そこに利を説いて動かそう、という発想がそもそも通じない、ということを言っているのか』
なんとなく判った気がしたら、その気配を読んだのか、御殿様は話を続けた。
「では、どう説けば意欲が出てくるか、という策の部分となる。
結論から言えば『名誉』に尽きる。その侍とそれが所属する所が、他所から、更には後世から評判を得る、ということじゃ。
実はワシもちょっと勘違いしておったのだが、朝廷からの叙任、上様からの御役申し渡しという儀式もあったことで、それなりに感じる所があってな、いろいろと考えたのじゃよ」
御殿様の考え方が少し変わったのかな、という義兵衛の勘は、少しは当たっていたらしい。
「そうすると、木野子村で努めようとする武家衆に『名誉』を得る機会を設ければよい。何もなしていない今ではなく、意欲を持って取り組めば『名誉』が得られるという可能性を見せるだけで良いのだ。
具体的に進めるには、そうさな。まず、私財を投じて工房を作った吉見治右衛門殿であったかの、堀田相模守様自らが家臣達の前で感状を出せば良い。そして、日産5000個の目標達成の折には再度感状でも出すに違いあるまい、と家老辺りから匂わせれば終いじゃ。後は、藩の中でこの『誉』を勝手にもてはやし、二番手・三番手が続くよう親族共が後押し始めるに違いない」
突然義兵衛の中の竹森氏が騒いだ。
『それは陛下の勅による御嘉尚と同じ効果。組織の末端に行くほど威力は絶大』
義兵衛には全く訳が判らないが、凄い手でありそうなことは伝わってきた。
「さて、紳一郎。今100両(1000万円)用意できるか」
「はっ。つい先ごろまでであれば、到底無理でございましたが、幸い先の出入りの商家を招いた叙任祝宴で頂いた祝儀で潤っており、直ぐにでもご用意できます。中に大判(名目は10両)が2枚ございますが、これも使いましょうか。なにせ、この2枚を両替商にて小判に替えても15両にもなりませぬ。化粧箱に入っておりますゆえ、贈答にはうってつけかと存じます。
早速にも猿楽町(佐倉藩上屋敷)へ伝令を出し、先方の御都合を伺って参りましょう」
「大判とは重畳じゃ。ならば、切餅(25両包み)2個と大判2枚の計70両で良かろう。
義兵衛、同じ100両、いや70両でも、使い方次第で何倍にも化けることもある。心得ておけ」
御役についた御殿様は、本当に随分と変ったようだった。




