佐倉藩の御武家様への講座開設 <C2423>
「これでは問題が有り過ぎです。どこから手を付けていいか、何と言って良いのか皆目見当がつきません」
助太郎は、作業する奉公人の動作で気付いた点を書き留めた紙を見せた。
それが何枚もあり、いずれも遠目に見て真っ黒に見える程、細かい字でびっしり書き込まれているのだ。
義兵衛はそれを頭から読み始めたが、直ぐに読むのをあきらめた。
「書かれていることは、それぞれもっともなことばかりだが、致命的な大きな指摘もあれば、細かい指摘もある。
ここは、金程村ではなく、名内村でもない。佐倉藩支配下の木野子村なのだ。こちらの言うことを素直に聞いてもらえると思うな。指摘したら、もっともな理由を説明せねばならんのだ。そういった場合、自分達で気付く可能性があるものは、指摘を先送りにした方が良い。気付きそうにない問題だけをまず抽出しよう。そして、幾多もある指摘の中から関連性が高いものを見出して、要点だけ説明して伝えるのがいいだろう。
相手側は高い矜持を持っている面々だから、無暗に指摘すると却って反発される。要は、こちらからの指摘を受け入れてもらうことが肝心なので、先方の聞き入れやすい言い方なのか、を絶えず確認しながら指導して欲しい。
ただし、工房や奉公人の安全に関することだけは別だ。何かあってからでは遅い。特に粉塵爆発、火災には用心だ」
この方針に従い、義兵衛の書きつけと助太郎の書きつけ両方の拾い読みを進めた。
「試演の場には、今作業してくれた奉公人が居た訳ではないので、作業を伝聞で伝えるしかないのだろう。そうする理由を理解せず形だけ真似しているから、重要な点を理解していない事が透けて見える。
だからと言って、お侍さんと奉公人をまとめて扱うのは難しいだろう。
そうさな、明日からはお侍の10人全員を集めて座敷で工房の運営、お金や物の出入りについてを説明する特別な事前説明とやらを私が行おう。そうして、その間は奉公人全員を助太郎が預かる形にしてしまい、工房で練炭を作る骨子を飲み込ませてしまうのだ。
30人相手ではきつかろうが、助太郎に頼めるかな」
義兵衛の提案に、安兵衛さんが口を開いた。
「奉公人は全部で30人と言っていますが、内3人は世話掛かりだそうで、実際に工房で練炭を作るのは27人だそうです。今日来ている奉公人7人のうち1人はお世話掛かり、あとの6人が各部屋の担当責任者と聞いています。なので、明日増える21人は、この6人の配下という序列が決まっているようです」
これは思わぬ有力な情報だ。
ただ座敷で茶飲みをしていた訳ではなく、奉公人から色々と聞き出してくれていた。
口には出さないが、弥生さんが居たことで栄さんから話が聞けたことも大きかったに違いない。
この情報を聞き、方針を決めた。
奥座敷から広間に移った義兵衛達は、そこで待つ治右衛門さんと4人の武家達に説明をし始めた。
「お待たせ致しました。
工房は極めて適切に合理的に作られています。目標とする規模、日産5000個を考えるとやや小ぶりですが、後から拡張することも考慮されており、理想的な作りと言えます。
また、各部屋毎に責任者を設け、それぞれの作業内容をきちんと分けている、というのは良い取り組みで感心しました。
ただ、こういった部屋の責任者になられる方々は、他の部屋でどのような作業が行われるかを、きちんと理解しておいて頂いたほうが良いと考えます。それで、二手に別れて説明していきたいと考えました。
私がここで皆さんに工房の管理について簡単に説明させて頂き、その間に助太郎と弥生が工房の奉公人に作業の概要説明にあたりたい、と考えておりますがよろしいでしょうか」
今までの工房と異なり、練炭を作ることを念頭において主構造物と連結する納屋を建てたのだから、理想的な配置になるのも当たり前なのだ。
それに、前の二つの工房での経験から得た情報も伝えてあることも大きいに違いない。
こういった事情は治右衛門さんしか知らないので、武家4人は褒められていることを素直に喜んでいるようだ。
義兵衛の言った要請は治右衛門さんから了承され、助太郎と弥生さんは工房の主棟となっている作業場へ向かって座敷を出て行った。
「勘定方・吉見治右衛門様、ありがとうございます。私はこの月末までの6日間この工房に通い、将来に渡って佐倉藩を下支えする各地の工房責任者たる皆様に、工房を管理するための秘訣を順次お教えいたしたいと考えております。来月には、実際に工房で働く奉公人たちを監督し、生産量などを管理して頂くことで、実績を積んで頂ければと考えております。なお、この間も同僚の宮田助太郎と熟練工の弥生が奉公人を指導し、練炭生産の立ち上げ準備をお手伝いさせて頂きます。この両名は、私が江戸に戻りましても、しばらくの間、練炭生産が順調に立ち上がるまで、この工房に通うこととなりますので、よろしくお願い致します。
また、私の行う説明について、勘定方でおられます治右衛門様は、存分に経験を積まれておられますので、いささか諄く思われるとは思いますが、そこはお付き合い頂ければと思います。
治右衛門様、この方針で進めたいと考えておりますが、よろしいでしょうか」
くどいほど逐一治右衛門様にお伺いを立てるが『これも今の立場としては仕方のないこと』と割り切っている。
要は、ここで練炭を沢山作ってもらわねばならないのだ。
「明日、全員が揃われますので、今ここに居られる方は再び同じ話を聞くかも知れませんが、そこは御含みください。
まず、この工房ですが、建てるにあたっては、佐倉藩初めての試みでもあり、治右衛門様がその費用を全額負担されております。そして、練炭を作り売った利益から戻すことになっております。
そもそも、木炭は1俵で4貫の量がありまして、今は180文で取引されております。この1俵全部を練炭に加工しますと、おおよそ350匁の練炭を10個から12個作ることができます。この練炭は、江戸で特定の木炭問屋に卸すと1個130文で引き取ってもらえます。つまり、この村で1俵180文の木炭を加工して練炭にすると、少なくても江戸で1300文になる、ということです。差額は1120文とかなり大きい金額になります。これが儲けの原資となります」
収益構造の核心部分の概要を説明したが、この数字を聞いて4人はかなり驚いている様子だ。
「ところで治右衛門様、この村から買い上げる木炭について、村への支払いはどうなっておりますでしょうか」
名主の彦次郎さんが気にしていたことをさらっと切り出した。
「ここの名主には判るように布告した積りでおったが、聞いてはおらんのか。
木野子村は定免法に基づき毎年10月末までに米70石を藩へ納めることになっておる。米俵にして175俵じゃ。それを一部木炭に置き換えて納めても良いとのお許しを頂いておる。その量は最大米50石分じゃ。
米の一石に相当する木炭の量は100貫、つまり木炭25俵分になる故、この村の年貢は木炭5000貫(1250俵、19t弱)と米20石(50俵)になる。納める木炭が足らぬ場合は、不足する木炭に応じて納める米が増える、というやり方じゃ。
米は年1回しか収穫できぬが、木炭であれば毎日でも作れるゆえ、この村の百姓にとっては随分都合が良い条件じゃろうて」
そもそも取れ高118石の木野子村に70石の年貢、五公五民ではなく六公四民に近い年貢率で、道理で村は疲弊していたはずだ。
ただ、この年貢を米ではなく木炭で代納できるというのは、村にとっては随分と朗報に違いない。
既に木炭100俵の備蓄があり、現行でも5日毎に25俵の追加、あと2窯できれば5日毎に50俵に跳ね上がる予定なのだ。
10月末の年貢納期ならあと90日はあり、順調にいけば米40石分の木炭を代納できることになる。
すると年貢米を納めた後、村に残る米は50石ではなく90石と倍ほどになり、相当にゆとりも出来、備蓄を進めることが出来るはずだ。
後は工房の木炭消費量×直行率=生産量がどうなるかにかかっている。
この後義兵衛は『練炭の品質維持が重要』という説明を繰り返し、この日の講義を終えた。
もちろん、この年貢の話は名主の彦次郎さんに報告したのだが、説明された覚えはなかったそうだ。




