木野子村の工房見学 <C2422>
■安永7年(1778年)閏7月24日(太陽暦9月14日) 憑依194日目 雨天
ここ4日ばかり雨が続いており、さすがの夏の暑さも、これですっかりと終わってしまった感がある。
練炭作りでは最後に乾燥する工程があるのだが、雨天では時間がかかる。
この夏は晴天に恵まれたので生産も思うように進んだのだが、秋の長雨のことを考えれば水気が入り込まないしっかりした納屋がないと中々難しいし、長期に干すものが溜まることを考えると、場所も夏場のような訳にはいかないだろう。
木野子村では、そういった点もきちんと考慮しているか心配しながら工房を訪ねた。
「義兵衛に御座います。江戸藩邸で佐倉藩勘定方・吉見治右衛門様からの書状を21日に受け取り、昨夕に木野子村へ到着しました」
両刀を差し憮然とした表情の若者が、これを工房入り口で取り次いでもらった。
いかにも武家然とした対応で、村人が難を恐れ近づこうとしないのも良く判る。
とりあえず刀を佩いているのは安兵衛さんと義兵衛の2人だが、実の所、義兵衛のお侍姿は板についておらず、俄か、の気配が漂っている。
見かけない一行4人を見れば、安兵衛さんが主人で後は付き人と思っても不思議はないのだ。
やがて戸口まで治右衛門さんが出て来て、一行を工房の中に引き入れた。
「ようこそいらっしゃいました。18日に城下から飛脚で文を出しましたが、江戸からこちらに来て頂くまで、やはり時間がかかりましたな。この雨では仕方ありますまい。お待ちしておりました」
書状が届いて翌日には出立しているので、義兵衛としては遅いという感じではないのだが、待つ身としては長かったのだろう。
工房全体としては、正面入り口のある前室の建屋、それに続く作業場としてかなり大きい納屋、納屋の両側にそれぞれ2棟の小屋、計4室の作業小屋があり、更に奥に製品を格納できる小屋がつながって建てられている。
つまり、中央に大きな納屋があって、それを取り囲むように6棟の小屋が連結されて建っている。
治右衛門さんはざっと全体を見せて回ったあと、中心となっている大きい納屋に皆を呼び集めた。
バラバラと全部で12人が集まったが、みるからに奉公人と判る男女が7人と、そうでない風体で、いかにも武家という男が4人。
それに治右衛門さんである。
「皆の者、練炭を作る作業を教えて頂くために旗本・椿井家より来て頂いた人を紹介する。
こちらが細江義兵衛殿である。そして曲淵甲斐守様より目付として義兵衛殿に同行されている浜野安兵衛殿である」
前回、練炭を試しに作った時に目にはしていたが、助太郎と弥生さんは名前を憶えていないようで、目で義兵衛に合図してきた。
「私の横に居るのは、同じく椿井家家臣・宮田助太郎です。技術的なことは、練炭作りに習熟するまで、この助太郎が御教えすることになります。その横に居るのが、弥生で練炭作りの熟練工です。彼女が練炭作りでは皆さんのお手本となります」
そこでの顔合わせは終わり、義兵衛達4人は前室となっている小屋に案内され、また武家の4人も一緒についてきた。
奉公人の7人の内、娘さんがひとり前室へ移ってきたが、あとの6人はそれぞれの小屋へ戻って行ったようだ。
前室の小屋には真ん中の通路を挟んで左右に部屋が作られている。
その区割りを見ていると、治右衛門さんが説明してきた。
「こちら側の部屋は、士分の控え室、あちらの広い部屋が奉公人の控え室としておる。手前の土間で、食事など作る予定なのだ。
とりあえずこちらの座敷でくつろがれよ。栄、皆さんに茶を入れるように」
一緒に来た奉公人、栄さんはどうやらこの前室の用務員に任命されているようだ。
弥生さんは、座敷に上がるか栄さんを手伝うか迷ったようだが、義兵衛は黙って上がるように促した。
「いつ来られるかの連絡も無いゆえ、今日は4人しか来ておらぬが、武家衆はあと6名おり、全部で10名となっておる。明日には全員つれてこよう。
10名の内8名は吉見家の庭で行った試演におった者なので、義兵衛殿と安兵衛殿には既に面識はあると思うが、全員揃っての明日、改めて挨拶させて頂こう。それから、奉公人が全部で30名ほどになる。当面、この40人という頭数で、工房での生産を始める算段じゃ。まずは練炭を日に500個こさえるのを目標としている。
先に吉見家で行った試演の時に持ち込まれた道具は、全てこの工房へ持ち込んで配置してみたが、今回持ってきて頂いた道具も含めて改めて配置し、工房での具合を確認して頂きたい」
この言い方に助太郎がムッとするのが判った。
「道具は私共から佐倉藩へ差し上げるものではありません。練炭を作るための道具は我が里の財産です。無償ではないのですよ。今回は急いで立ち上げる必要があるので、我が里からお貸ししているに過ぎません。そこだけは勘違いしないで頂きたい。
私がこの工房に居る間に作った道具も、同じ扱いにさせて頂きます」
判ってはいるのだろうが、物を作るという経験がなければ、物を作る道具の大切さ、なんてことは理解できないだろうし、持ち込まれた道具の所有権なんてものにも無頓着だろう。
現にこの工房は木野子村の村人の協力があって建ったものだが、作らせた治右衛門さん以外は、これを建てる費用がどうなっていたのか、など気にしていない様子なのだ。
ここに居座るお侍の方々は、最終的な段階では工房運営責任者候補なのだから、どうやら運営のイロハから教えていく必要がありそうだ。
もうひとつ、助太郎がムッとしている理由について、義兵衛は思い当たっていた。
それは、ここに詰める武家の方々は、自分の手で練炭を触る気がなく、全ての作業を奉公人にさせるつもりで居ることだ。
試演の時にも、実際に自分が練炭を作ってその方法を会得しなければ、不合格品が多発した場合の原因を調べ、これを直すことはできない、とくどいほど説明をしたつもりである。
それを綺麗サッパリと忘れているか、無視しているか、なのだ。
「助太郎、そこから言い始めると先が見えなくなる。一度は作って見せ説明しているので、そこから治右衛門さん達が何をどう考えて練炭を作ろうとしているのか、を見せて頂くのを先にしてもいいのではないかな。
効率や品質を上げるのはその次のことで、道具自身はその次の段階からかかわってくるのだから」
皆まで言わずとも、助太郎には意図が伝わったようだ。
「今日は作業の中心となるであろう奉公人を7名来させており、それぞれに役目を持って主要な作業を試しにしてみるつもりでおった。
昨日までに説明を済ませておるので、順番に見てもらいたい」
義兵衛と助太郎は矢立と紙を手に、中心となっている部屋へ戻り、工房のあちこちに立って作業を始めようとしている奉公人の動きを見て、聞き取りを行う作業を順に行った。
たちまち帳面が文字で埋め尽くされていく。
二人が奉公人の聞き取りをしている間中、治右衛門さん以外の4人は終始無言で金魚の糞のように一緒にくっついてきた。
そして、一通りの作業を見終わると、皆で座敷に戻った。
栄さんは、ここに来る人達の食事や茶を給仕するまとめ役兼係として充てられており、座敷では茶を入れてもらった安兵衛さんと弥生さんがくつろいでいた。
二人はこの後の怒涛の展開が読めており、奉公人相手に質問をして状況を聞き取る傍ら、英気を養っていたのだ。
「治右衛門さん、ちょっと仲間内でも見解が違う所がありそうなので、皆さんと別な場所を貸してください。そこで状況を整理してからお話したいと考えます」
そう告げると、治右衛門さんは座敷の向こう側に用意した奥座敷を示した。
「こちらは、勘定奉行様など上位の方がお見えになる時だけ使用する予定の部屋です。こちらをお使いください」
残念なことに、そういった所の配慮だけは十二分にできているようだった。




