満願寺での興行 <C2419>
満願寺の客殿で、本所・深川・向島地区での料理比べ興行が始まる頃に、参拝者の数はピークを迎えた。
懸命の説得の甲斐あって、集まった人々が固まってしまう状態は避けられたようだ。
集まった衆から客殿の中に案内された人数はきっちり100人であった。
そして、案内されなかった、つまりあぶれた衆は参道をゆっくり歩み、秋葉神社の社をぐるっと回って神主の御払いを受けて賽銭を投じ、また鳥居の所に戻されるという長い周期での巡回をさせられたのである。
一度鳥居まで戻った者たちは、再び参道の列に加わることなく、満願寺の境内でたむろしていたが、その頃にはすでに興行が始まっていた。
神主は、面前におおよそ50人集まると御払いをするという動作を繰り返していた。
その数、おおよそ100回程ということから、興行を見に来た参拝者が、当初想定5倍のおおよそ5000人規模であったことが推定されたのだった。
そして、境内で売れ評判となったのが『幕の内弁当』であり、客殿への案内が始まる頃には1000個全部が完売していた。
ただ価格は満願寺の目論見通りに160文(4000円)と、結構高めに設定変更されていた。
結果論であるが、きっかり100文しか懐に入れていない庶民には手が届かず、比較的裕福だった者しか買えないという状況となり、その意味では混乱を引き起こす要因とならなかったのは幸いなことであった。
そして、弁当を購入できた人達は、境内のあちこちで優越感に浸りながら『幕の内弁当』を広げて見せ、手が届かなかった者を悔しがらせたのである。
一方、客殿内では3人の武家側行司の一人、寺社奉行支配で神道方の配下の吉川幸次郎(従門:40歳)がひとり冷や汗をかいていた。
なにせ武家側の筆頭行司は御三家・水戸35万石の御殿様、次席が北町奉行で3000石の曲淵様なのだ。
そこへ、寺社奉行枠について屋敷が本所にあるという理由で、吉川家が指名されて参加していた。
寺社奉行は大名が務める役であり、その支配する役については概ねその大名の家臣を充てるものなのだが、専門色の強い神道方や碁所・将棋所、楽人衆・連歌師は能のある旗本・御家人が代々その役に就いている。
そして、吉川家は代々この神道方を務めているのだが、4代目になる吉川幸次郎は旗本とは言え、わずか100石でしかない。
そもそもの家格の違いに怯え、縮こまっていたのだ。
事前には、町奉行は与力、水戸家下屋敷から屋敷を管理する用人の何某としか寺社奉行側は聞かされていなかったものだから、その時点では当然とも言える判断だった。
それも一応同じ本所に屋敷がある寺社奉行吟味物調役の松阪源左衛門は、この吉川家より石高が低いのだから、幸次郎への下命は当然だったのかも知れない。
それに比べると、行司席に大金を出して譲り受けた商家の面々は、この僥倖に驚くとともに、水戸様と同席できることに満足感一杯であった。
料理の味が本当に判る仕出し膳側の3人の行司は、他の行司がどうであろうと、真剣に料理を見極めるのに必死だった。
客殿の中の観客は、100文出して中に入ると、外で160文で売られていた『幕の内弁当』が配られ、それだけでも支払った銭以上のものを勝ち取った気分で、大いに浮かれていたのだ。
もちろん、興行の間に『幕の内弁当』を食べ、その美味にも大層驚いていた。
各人、それぞれの思いをもったまま、4軒の料亭から供された仕出し膳の吟味は進んで行った。
半刻ほどの時間で料理の吟味は完了し、行司9人の投票に入る。
そして、さほどかからず集計結果がまとまり、女将の口から報告されて興行は終わりとなった。
結果を客殿の前に張り出すと、大きなどよめきが起きた。
どうやら今回対象となった4料亭には、それぞれ常連客が居り、応援団が形成されていたようなのだ。
「おや、これは面白い。常連客が勝手にまとまって応援してくれていたのか。ならば、今後の興行でも応援団があることを意識した興行の運営はあるのだろうな。応援団からの代表として、何人かは客殿に入れるように仕組むとか、外側で待つ場合でも常連客同士でまとまって居られるように、予め場所決めをしておくとか、まとまった個数の弁当を売り込むとか。これは盛り上げる工夫をする余地が充分ありそうだ。この興行の反省会の時に皆に意見しても良いかも知れん」
義兵衛は独り言でこう呟くと、『私設応援団を編成し制御する』と心の中に刻んだ。
更に、客殿内の興行を女将が見事に仕切ったことでは、やはり女性の凛とした声は多少の騒めきの中でもよく通り、こういった席の進行に向いていることも改めて認識できた。
『じじむさいおっさんが何か言うより、メリハリが効いている』
決して善四郎さんが『じじむさいおっさん』と言う訳ではないが、女将の張り上げる声のほうが向いている、というのは確かなことなのだ。
表向きの興行が終わると客殿から行司・目付が退席し、女将の先導で別棟の宴会場へ移動していく。
客殿の残務・観客の退席や片付けは、段取り通りに仕出し膳の座の手の者によって進められる。
別棟の宴会場は、そう大きい訳ではないので、幸龍寺のように義兵衛が会場に居る場所はない。
義兵衛は目付役控室から宴会場脇の供待ちの場所へ移り『さあ、興行を終えた後の宴、これからが椿井家にとっては本番だ』と気を引き締め直した。
だからと言って、義兵衛の出番はなく御殿様任せなのだが、あまり不安は感じていない。
遠目に見ていると、曲淵様と御殿様が少し話をされた後、水戸様を囲んで何やら楽しげに話し込んでいる様子だ。
何か支障があれば、いつでも呼び出されるに違いないだろうが、どうやら出番はなさそうだ。
そこで義兵衛は供待ちの場所にいる他家の供に意識を向けた。
供待ちの場所は、控室程の余裕はなく、水戸様の供でほぼ溢れていた。
手持無沙汰な供侍は、控室で出された『幕の内弁当』のことをしきりに話している。
その内容を聞き取ると、弁当は大満足だが、要は『飲み物がない』ことへの不満に尽きるようだ。
幾人かは酒と言っていたが、それはまた別なことだろう。
『そうか、駅弁でもお茶を売っていたよな。確か、牛乳パックサイズでペラペラのプラスチック容器に暖かいお茶が入っていた。プラスチック容器の前は土瓶で売っていたんだっけ。もうすっかり消えてペットボトルだよな。そうか、竹筒の水筒に水を入れたものを付けて売ればいいのか』
町奉行様の控え室からいつの間にか横に来ていた安兵衛さんが義兵衛の脇をつついた。
「義兵衛さん、その顔。なんかまた良い案が浮かんでいるのでしょう。後で良いので私にも教えてください。
いや、きっと適任者を見つけて話すに決まっていますから、その折でも結構ですよ」
どうも顔つきで悟られるようになってしまった。
宴会は1刻半(約3時間)も続いて御開きとなり、皆上機嫌で、武家側行司から順に御供とともに退出して行く。
目付である御殿様は、結構遅い順に回してもらっている。
「話は屋敷にてするが、今回は誠に良い宴であった。義兵衛は後始末もあろうゆえ、ここに残って良い」
勧進元の武蔵屋の女将、興行元締めの八百膳主人・善四郎さんから丁寧な挨拶を受け、上機嫌な御殿様は家臣と一緒に屋敷へ戻っていった。
全員が帰り終わった後に武蔵屋の主人も現れ、女将と一緒に義兵衛へ深くお礼をした。
「今回の興行は、おかげ様で盛況でございました。大成功でしょう。収支も丁度あったようになりました。幕の内弁当、これが無ければ立て直せなかったでしょう。折角叙任の祝宴で多少お返しできたと思っておりました恩義、また返せぬ程負ってしまいましたが、これはいずれの機会にか必ずやお返し致します」
「いえ、それよりも聞いてください」
義兵衛は先ほど思いついた一緒に水を売るべき、という話をすると、武蔵屋が反応するより先に善四郎さんが食いついた。
「それは気がつかんかった。良い話が聞けたぞ。仕出し膳の座の知恵袋とは、これは全くその通りじゃ」
なお、幕の内弁当箱の回収だが、客殿内の400個は全て回収できたが、境内では約半分の500個程度しか回収できていないことが後から判明したのだった。




