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武蔵屋の工夫 <C2417>

 一行が北町奉行所の裏手・私邸側の門を出た所で、御殿様から話しかけてきた。


「ワシはこれから弟と磯野家に行くが、お前は明日の興行の下準備もあろう。夕刻に屋敷で明日の首尾についての見込みなどを報告してくれればよい。ではな」


 義兵衛は深くお辞儀をして、この場で御殿様をお見送りしたのだが、ほんの数日前にも全く同じような場面があったことを思い出した。

 見送りながら、御殿様が実弟・壬次郎様に義兵衛のことをどう説明するのだろうかを、義兵衛は内心は大変気にしていたのだった。

 それはさておき、まずは武蔵屋へ向かう。

 武蔵屋に近づくにつれ、遠目には人の出入りが多い様に見えたのだが、客入り口の所で確認すると、今日・明日は臨時休業の立て札が立ち、満願寺で料理比べ興行が行われる旨の告知が掲げられていた。

 普通は店の入り口に出ている暖簾もなく、客が出入りする口は閉じられ、横の勝手口から人が流れていた。

 義兵衛と安兵衛さんも人の流れに乗って勝手口から中に入ると、直ぐに手代が飛んできて2階の座敷に案内された。


「ああ、義兵衛様。もう少し前であれば八百膳の善四郎さんもいたのですが、つい半刻ほど前に女将と一緒に満願寺へ出かけております。夕方になりますが、瓦版の版元も一度顔を出して明日の段取りの最終確認の予定です。

 それから、明日出す幕の内弁当ですが、注文は1400個ですが、こちらでは1500個作るつもりで準備を整えているのですよ。ちょっと店の中も、いくつかの広間をつなげたりして工夫をしております。見て、御意見頂けましょうか。

 ああ、丁度昼時でしたね。もしまだ済んでおられないようなら、明日出す幕の内弁当を御出ししましょうか。作る手順を皆で確認するために、20個ほど作ってみたのですよ。なに、2個位なら持ってきてもかまいやしません。

 それで結局、今日の試作も含めて弁当箱は1600個揃えました。皆同じ大きさなので、重ねると結構重厚な感じです」


 どうやら寺とのやり取りも含めた興行については女将に任せ、主人は裏方の幕の内弁当作りに精を出すことにしたようだ。

 主人はイキイキと話すが、箱だけで25600文(64万円)、約6両2分もかかっているのだ。

 しかし主人に言わせれば、もはや金の問題ではない、という状況なのだろう。


「これは有難いです。是非試作した幕の内弁当を賞味したいです」


 出された弁当は正しくその名に恥じない、箱も中身もしっかりとしたものだった。

 特に、蓋・底の板は、後世の薄くスライスした経木とは違い、しっかりとした厚みを持っており、片手で持ったときの安心感に絶大な差があった。


「これでも仕出し膳の料理番付では大関を張っている武蔵屋です。『幕の内』とは全く上手く言ったもので、流石は義兵衛様だと皆感心しておりました。これは絶対に流行ると確信しておりますぞ」


 昼食が終わると、下へ案内してくれた。

 ふすまを取り払い、3つの広間をつなげて出来た空間の真ん中に、3本の板が広間を貫いて渡されている。

 左奥に畳んだ弁当箱が積みあがった山が見えている。


「この一番左の所で弁当箱を折り、蓋を底にして仕切りを立てた箱を置きます。そして板の上を右に滑らすのですよ。畳毎に何を入れるかは決めてあり、手前に座った者が板の向こう側に置いた箱から材料を取って箱に詰めたら右に滑らす。その繰り返しで、一番右の端にきたら、弁当箱を取り、底の蓋を取ってかぶせたら、あとは別な部屋へ運ばせて重ねれば終わり、という具合です」


「なんだこれは。練炭作りと同じような感じ。そう、確か流れ作業」


 安兵衛さんが思わず口にした。

 そう、目の前にあったのは弁当を作る2列のラインだったのだ。


「ご主人。何点か指摘しますので、よく聞いてください。

 まず、弁当を流す所は手前にふちを付け、奥側を少し高くしてください。そして、箱を滑らした時に、ひっかかりなく流れるかをよく確かめておいてください。縁に沿って流すことで、多少楽になるはずです。

 それから、詰め終わった者が右に送る時に、待機場所が空いているか確認をし、空いてなければ送らないように指示しておいてください。時間がかかる詰め物があるはずですから、その直前で滞留すると作業が雑になりやすいのです。

 また、弁当箱の枠に指をかけて引っ張るという動作をしがちかも知れませんが、それをすると箱が壊れることも考えられます。弁当箱の送り迎えは、必ず底になっている蓋に手を宛ててするように指導してください。

 最後の蓋をした弁当を奥へ持っていく時ですが、積み上げる前に一度蓋を取り、中が揃っているか、箸は間違いなく入っているかを確認してから積み上げるようにしてください。

 真ん中の板は流石ですね。全体として、良く考えられています。すっかり感心しました」


「おや、真ん中の板の用途は全然説明しませんでしたが、御分かりでしたか」


「真ん中の板は、材料を詰めた箱を目的の畳まで送り込む時に使うのでしょう。手で持って運ぶと、万一の時に他の材料までお釈迦になってしまいますからね。どなたの発案かは判りませんが、これは良い考えです。

 それから材料の箱はそれぞれの畳に2段分ずつ準備するのでしょうが、手前の箱が空になってから取り換えるのではなく、あと少しで終わるとなった時に取り換えて、残った分を次の材料箱に足す、という運用を心掛けると良いですよ」


 義兵衛は主人にそうアドバイスした。


「ありゃりゃ、これは驚くこと間違いない、と思っておりましたが、全部御見通しでしたか。それに加えて、いろいろとご指導まで頂くとは。もしかして、こういったことの御経験がおありなのでは」


「里で練炭や小炭団を作る時に、これと似たような流れ作業をさせていまして。その時に経験した不具合を当てはめてみたのです。

 どうやらこれで弁当作りは上手くいきそうですね。

 それで、興行次第の瓦版は出来ていますか。手元にあれば、1枚頂きたいのですが」


「最終版は夕方に版元が直接持ち込むことになっていますが、確認のための下刷りなら3枚もらっています。1枚だけなら持っていってもようございますが、夕方皆さんが御集りになるまで、お待ちにはなられませんか」


 御殿様は『夕方に屋敷で報告を』と言っていたが、版元さんを待ってからでは夜中になってしまう。

 今回は正確な情報より『大方こうなる』という情報、目付として必要な情報が載っている下刷りで充分と判断した。


「申し訳ありませんが、御殿様が屋敷で待っているので、下刷りを頂いたら戻ります。明日は朝から直接満願寺の客殿に行きますので、その旨、事務方の皆様にお伝えください。今夜は大忙しでしょうから、作業する丁稚の皆さんに、今の内から張り切らないように釘を刺しておいた方が良いようですよ。明け方前の一番眠い時間が最後の勝負所になると思いますから」


 義兵衛は武蔵屋の主人から下刷りを受け取ると屋敷へ戻り、御殿様に報告した。


「うむ、お前の判断で良い。どんなに緻密に事前検討しておいても、大勢の人が集まるとなにがしかの不備は出るものじゃ。興行の後の宴席こそが重要であろう。それで、今回もお前は裏方として糸を引くつもりか」


「いえ、事前の打ち合わせにも参加しておりませんので、経過をなぞるだけで御座います。下刷りにありますように、今回は武蔵屋の女将が仕切ります。この女将は結構才気のある者で、機敏に立ち回ることが出来る者と見ておりますので、大丈夫かと存じます」


 御殿様は下刷りを見ながら満足気に頷き報告は終わった。

 義兵衛は退出し長屋に戻ったのだが、御殿様は壬次郎様にどのような話をしたのだろうか、それがずっと気になっていたのだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白くなってきました。 [気になる点] こんなに連日大丈夫ですか?ファンとしては嬉しいかぎりですが。
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