壬次郎、御奉行様からの呼び出し <C2416>
■安永7年(1778年)閏7月19日(太陽暦9月9日) 憑依189日目
椿井庚太郎・磯野壬次郎・浜野安兵衛・細江義兵衛の4人は北町奉行所の曲淵様私邸側の座敷でずっと待たされていた。
2日前の17日、義兵衛の御殿様である庚太郎様が『一橋様の用人として磯野壬次郎を推挙して貰いたい』とお願いした。
その結果、曲淵様は『人物を自分の目で見極めたいので本人を連れて来るように』と午後になって御殿様に連絡をしてきたのだ。
この緊急とも思える連絡を受けて、留守を預かる細江紳一郎様は御殿様の不在であせった。
御殿様は北町奉行所の曲淵様の所へお忍び姿をして行くことを知ってはいたのだが、まだ戻っても来ない内に、行った先からの連絡を貰ったのだ。
しかも『磯野壬次郎殿に聞きたきことある故、19日朝に北町奉行所私邸まで帯同されたし』という至急とも読める内容だったのだ。
その頃、肝心の宛先である御殿様は、ことの顛末を説明しに磯野家の隠居・磯野元次郎の所へ来ていたのである。
とりあえず紳一郎様は手紙の写しを作り、いずれ伝わることとして磯野家に写しを回送したのだった。
そして、まだ御殿様が磯野家にいる間にこの手紙が届いた。
10日程前であれば、壬次郎様は江戸に居て御殿様の叙任を祝う席にもいたのだが、今はまた新田開発の陣頭指揮を取るため、下小目村に戻っていたのだった。
江戸と下小目村の距離は約12里(48km)。
19日の呼び出しに応じるには、17日の夕刻である今から召喚のための使者を送り、18日の早朝には下小目村を立ってもらわねばならない。
幸い曇りさえしなければ、月夜で明るいため暗夜行ができない訳でもないので、足の速い者2名を選び夜道を駆けさせた。
18日の夕方に磯野家に着いた壬次郎は、そこで実兄・庚太郎が何をしたのかを初めて知ったのだった。
そして19日、迎えに来た実兄・庚太郎とその供の義兵衛、安兵衛と一緒に北町奉行所へ行き、冒頭の次第なのである。
「兄様、まだ磯野家は財政基盤が悪い。それで小普請支配にいる今の内に、磯野家を立て直ししようと頑張っておるのは知っておりましょう。何某かでも推挙して頂くのは嬉しいのですが、今はちょっと困ります」
「そこは承知しておるが、時期というものがある。そろそろ新田開発、増収の目が見えてきたのであろう。そうすると面白いものじゃ。自分が居らねばという気にもなる。でも、そこで一歩引いて、手柄を家の中の者に譲れ。そやつに新田の代官として差配を任せればよいであろう。もし推挙が叶うのであれば、丁度良い機会ではないか」
小声でやりとりをしている。
「ワシはな、気付いておるかもしれんが、今回の叙任・油奉行の就任は神輿に乗って担がれておるだけよ。神輿を作ったのも、先導するのも、担いでおるのも、ほれそこに居る義兵衛じゃ。せめて上手く乗って見せようとワシなりに知恵を絞っておる最中なのじゃ。磯野家に婿養子に行ったとは言え、お前も椿井家の血筋の者じゃ。悪いようにはせんつもりじゃ。
それでな。今回の呼び出しじゃが、曲淵様はお前の性根を見る御積りじゃ。何事も表面を繕わず思ったことを思ったように言えば良い。反感を覚えられても、今の境遇は変わらん、ということを心しておけ」
「ほぅ、兄様が乗らねばならぬような神輿を作るとは、大した者ではございませんか。そのような者が家臣に居るとは、先の祝宴で見かけはしましたが、そうとは気づきませなんだ」
「元は金程村の名主の次男坊でな、甲三郎が気にいっておって家の役にも立つと思い、思い切って士分として召し抱えたのよ。年回りからして、息子を支えるのに丁度良いかと思っておったが、あまりにもやることが大胆なので、このままでは家中の者達も気まずかろうと思い、今はワシが後ろ盾になって居る。百姓出だが椿井家に随分と利をもたらしてくれるが、やはり新参者として多少疎まれておる。ただ、こういった人物が見つかるのも、祖父・金吾様が残してくれた寺子屋の制じゃ。磯野家の里も早くそうなれば良いのだがな」
「いや、そのためにも家の財務の足腰を早く固めねば……」
自分のことが話に上がると、面映い感じがして、顔が上気してくる。
ただ、御殿様は義兵衛の未来知識のことだけは伏せ、単に頭が良い奴扱いになるよう注意しながら話してくれている。
二人の会話が果てしなく続くうちに、曲淵様が座敷に入ってきた。
「いや、待たせたな。なにやら面白い話をしておったので、座敷に入る前にちょっと聞かせてもらったぞ。
それで、壬次郎殿。主計助殿から是非あるお役に推挙して欲しいという話があってな、御老中様の御耳に入れる前に話をして見たいと思ったのじゃ。
まず、磯野家の家督を譲られ当主となってからのことじゃが、自ら猟官活動はしておらぬ、という理由を聞きたい」
「はっ、家督を譲られた時、磯野家は小普請支配の下におりました。その枠組みの中、組頭様がある意味最初のつてとなる訳ですが、同じような立場である旗本は、おそらくかなりの人数になろうかと想像したのです。そのつてをあてに賄を渡して役を推薦して頂くのは無駄と判断したのです。最初に賄賂を贈った人は良かったのでしょうが、それを見て同じようなことをなされる方は多かろうと思います。ただそうなると、それは既得権益にしかなりません。単に上役の動こうという気持ち次第ですから。そう気付いたため、小普請奉行所内・小普請支配の下での猟官活動は出費だけかかる無用なものと割り切りました。要は、小普請支配の下では小普請金だけ出し、得た時間を有効に使うのが鍵だと見切った次第です。
それで、実家の里に倣い、まずは出来る範囲での収入の安定・増加をどうするか、に手を付けた次第です。なにせ猟官活動の費用・手土産すら出せませんでしたから。それでいろいろと動いて、今やっと目が出ようとしているのが新田の開拓です。幸い、実家の環境が環境だけに、百姓然とした生活も身近でしたし」
見方によっては小普請のありよう・体制を批判しているかのように聞こえるが、実際に無役の旗本を集めた掃き溜めが小普請なのだから仕方ない。
曲淵様は答えを聞いて少し考えこんでから次の質問をした。
「その方は弟・甲三郎と比べ算盤は出来ぬと主計助殿から聞いておるが、財務状況など見ることができるのか」
「はっ、算盤が苦手というのは、寺子屋の師匠からの話かと推察します。得意ではありませんが、普通の商家の手代と同程度は使えます。家計の出入りを大枠で捉えるという点では、自分から申すのも何ですが、弟・甲三郎よりできると自負しております。
現に今、磯野家の金穀の出入りについて、御隠居が直接関与している分は別枠ですが、私が直接把握しております」
この応答を聞き、曲淵様はうなった。
「小普請にもかような有能な者が居るのか。旗本を総浚えすれば、結構有用な人材が見つかるやも知れぬな。
義兵衛、何か妙案は浮かんだか」
御殿様を飛ばして直接の問いには唖然とした、いや他の3人も唖然としている、が、直接の指名であれば応えるしかない。
御殿様の弟・壬次郎様を除けば、事情をうっすらと知っている者だけなので、まだるっこしいことが嫌になったのかも知れない。
「はっ、小普請配下の旗本・御家人を順次呼び出し、下問して回ればよいかと考えます。全員で2万人程もおりましょうが、手分けして一次下問で2000人に絞り、二次下問で200人に絞り、御奉行様が下問して20人に絞り、御老中様が下問なされる頃には有益な人材が得られましょう。これを定期的に行えば、小普請に属する者の考え方も、猟官活動の在り方も変わる、と愚考致します。
下問は口頭でなくともよく、各自を部屋へ集め、課題を与え返書を書かせるなど、施策側を多少楽にすることもできます」
当たり前だが、定期試験で優秀者を選抜する方法を即座に答えたが、この時代に実力主義はまだ過激かも知れない。
しかし曲淵様は義兵衛の返答内容に満足したようで、大きく頷くと座敷を退席した。
「兄様、これは一体どういうことなのですか。御奉行様が直々に又者に声掛けするとは」
「いや、それはまあ事情、経緯があってな。御奉行様の家臣が義兵衛といつも一緒に行動しておろう。察してくれ」
ともかく壬次郎様の呼び出しの件はこれで終わったのだ。
頑張りました。金曜日までの5連投を予約しています。そろそろ季節が追い付いてきてしまいました。少しあせり、です。




