安兵衛さんへの事情説明 <C2410>
■安永7年(1778年)閏7月15日(太陽暦9月5日) 憑依185日目
早朝より細江村のお館を目指し、義兵衛と安兵衛さんの二人組は出立した。
『なんとしてでも、今夕に開催される名主を集めた宴席には最初から出よ』との仰せである。
朝の起き抜けで手早く朝食を取り、安兵衛さんが現れるのを待って出立する。
台所の女中は文句を言いながらも事情を察してくれており、昼食用のおにぎり2人分を竹皮に包んで持たせてくれた。
二人ともこれを風呂敷でつつみ、腰に結わえ付けてから門を出た。
「義兵衛さん、昨日見せてくれた『幕の内弁当』、あれは流行るものなのでしょうか」
随分長く一緒に居るようでも、曲淵家家臣・浜野安兵衛さんと出会ったのは5月の末であり、ほぼ一緒に行動するようになってからまだ2ケ月程でしかない。
しかし、直接言動を観察されると、隠しているものを見透かされたような感じがしている。
おそらく御老中・田沼様は真相を知った上で真偽の程は判定待ちとし、とりあえず義兵衛の行動を見ぬ振りという姿勢を貫いてくれているのだろうが、肝心の義兵衛から色々と情報・知識が駄々洩れなのは困ったことなのだ。
北町奉行の曲淵様もこのあたりのことを薄々感づいており、安兵衛さんには『義兵衛が目立つことをさせてはならない。表立ってなにかをさせることは阻止し、言ったことを広げてはならない』と注意しているようだ。
「昨夜も殿に『幕の内弁当』と弁当箱の件、報告しましたところ、しばらく天を仰いで嘆息しておりました。挙句に『どの程度流行るものかな。これは儂も見てみたいな』と言うのです。
善四郎さんは『義兵衛さんが新たに思いついたものが沢山ある』と言っていましたが、料理関係ですらこの様でしょう。私が見聞きしている練炭・七輪や『地の粉』関係の物流、更に日本地図。隠し玉がどれだけあるかと思うと興味は尽きません。
ほれ、先日も『炭屋塩原』の話をされておりました。萬屋のお婆様は別な所に触発されていましたが、そこ以外はあえて無視されておられたかの様子でした。何か事情を知っているのでしょうか。
殿からは『どこからその知恵が来るのかは、決して詮索してはならぬ』と厳命されておりますが、詮索するつもりはありませんが、何かの折にでもお話し頂ければ私としては嬉しいです」
思わず質問責めにあってしまった。
確かに、安兵衛さんのレベルでは断片しか知りようもなく、全体像がつかめないのもしょうがない。
好奇心を抑えられないのも良く判るので、カバーストーリーの概要を説明することにした。
「5月の末に椿井家の里から巫女が送られてきましたでしょう。実は彼女は『今から4年後にまれに見る大飢饉になる』という神託を授かっていたのですよ。ただ、この神託を受けたのが今から10年程前で、何の裏付けがないまま百姓の前で披露したため、狐憑きかのように言われ、周囲からまともな扱いを受けられず、結果として何の飢饉対策も進んでいませんでした。
それで、その巫女が不遇な時が長かったためなのか、どうやら神様は私を臨時に代理の依り代として使い、飢饉対策を進めさせようとしたような感じなのです。
今はもう巫女が本来の立場に戻ったのか、私は依り代から解放されているみたいで新たな神託は聞くことができません。
それでも、依り代となっている時にどうやら後で取り出すことのできる知恵を授かったようなのです。
私は百姓の次男坊ですから、何の権利も権威もありませんでした。何を言っても聞いてもらえる立場ではなかったのです。
そこで、私は神託を受けた時に、自分にまず信用をつける、という方策から手を付けたのです。幸い、私より実技に秀でた助太郎という朋友がいたのが大きかったです。それで、授かった知恵で木炭加工に手を染め、銭を生み出し、その銭が信用を生み育つという良い循環が出来たのです。
結果として、朋友とともに武家に仕官でき、そこで先に神託を授かった巫女がいることを椿井の御殿様に伝えることができたのです。
今、その神託を受けることが出来る巫女は、御老中・田沼様の庇護がありますので、いろいろと助言なさっておられることと思いますよ。
重要なことなので繰り返しますが、巫女が表に出るまで私に降りていた神託はもう止んでいます。しかし、依り代となっていた時にどうやら知らない知識を授かっているようなのです。全体がどうなっているのか私にはとんと見当も付きませんし、どうやったら知恵が出て来るのかも判っていません。
しかし、何かの拍子に突然勝手に思い出してやってしまう、ということなのです」
安兵衛さんは、今までの椿井家でのやりとりや戸塚様から聞いた話を思い浮かべているようで、しばらく黙りこんでいた。
「なるほど、納得のいく話です。
そうすると、話を元に戻すと、いろいろな形の『幕の内弁当』が作られるようになる、というのも確かなのでしょう」
「そうです。それから『幕の内弁当』ですが、これは大いに当たります。持ち運びに便利で大勢の人が要るときに配りやすい。
今は細江村に急ぎ戻る道なので、こうして腰におにぎりを結わえ付けていますが、物見遊山で出かける時に『幕の内弁当』は手間がかかりません。花見の時などは皆で料理の入った御重箱を囲んで食べるというのが普通ですが、御重箱の近くにいない、もしくは行けない人の手元にこの弁当があれば様相は変わるでしょう。
流石に、仕出し膳の大家である善四郎さんは見て、これで歴史が変わることを納得したのでしょう。興奮して武蔵屋を飛び出していきましたから」
そんな話をしながらでも、若い二人の足は速い。
昼前には多摩川を超え登戸宿に到着した。
炭屋の中田さんと、加登屋さんの店に顔を出すと、どちらも引き留めて話をしたがった。
「昨日、椿井主計助様の御一行様がここを通っていかれましたが、わざわざ当店にお越し挨拶をしていかれました」
この2つの店は、椿井家が現在のように隆盛となった要であったことを御殿様は良く存じており、律儀にもわざわざ行列を止めて挨拶していったものなのだが、突然訪問を受けたことに如何に驚き感激したのかを伝えたくてしょうがない様子だ。
どちらも店の前でわざわざ馬を降り、店の前に出て畏まる主人に礼の言葉をかけたそうだ。
普通の客や通りすがりの者が遠巻きに囲みこの様子を見ていた。
『やはり椿井の殿様は、普通の御殿様とは一味違うなぁ』
口々にそう言いながら群衆は解散していったそうだ。
「そりゃ芝居の一幕か。懐にゆとりがあると、人間振る舞いまで変わるようだ」
義兵衛はぼそっと口に出してしまったが、安兵衛さんは聞こえなかった振りをしたに違いなく、下を向いて笑っているようだった。
この後は慣れたはずの山間の道になるのだが、やたら道が良くなっている。
それもそのはずで、細山村から登戸までは重い荷を積んだ馬が毎日何度も往復しているのだ。
茶屋が出るような賑わいはないが、それでもちょっとした街道筋になっている。
人通りが道を育てている、ということが良くわかる。
そして昼過ぎには細山村のお館に到着することができた。
「よう間に合った。大儀である。それで、里帰りの行列にも参加できぬ程の重要な話、というのはどうなっておる」
どうやら御殿様は紳一郎様から何事かを聞かされていたらしく、顔を見るなり尋ねてきた。
とりあえず、今週は連投してみます。反動で勢いが止まらなければ良いのですが、頑張ってみます。




