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塩原多助 <C2406>

 義兵衛が本宅の奥へ向うと、お婆様も付いてきた。

 部屋に入ると華さんが両手をついて出迎えてくれた。


「華さん。報告が遅れましたが、御借りしました金100両(1000万円)のお金で佐倉での練炭作りの目途が立ちました。

 今月の下旬には再度佐倉に出向いて、練炭の生産量について実際どの程度の生産が出来るのか確かめたいと考えています。

 佐倉と名内で生産される練炭が江戸では重宝することになりましょう」


「それは、よう御座いました。義兵衛様が存分に手腕を発揮できますように精一杯努めるのが私の務めで御座います」


 華さんの言葉に義兵衛は『塩原多助一代記』の御駕籠御用店主人・藤野屋杢左衛門ふじのやもくざえもんの娘・お花の話がふっと頭によぎった。

 もちろん、『塩原多助一代記』は後の世・明治になって三遊亭円朝が書いた落語作品なのだ。

 もとより義兵衛がそれを知るはずもないが、木炭加工に踏み出すにあたり、取り付いた竹森氏が新しい商売に踏み切るよう説得するにあたり『炭で立身出世していく話』を何度も聞かせていた。

 むろん竹森氏とて、そんな長い話を全部知っている訳でもなく、多くの登場人物の名前も地名もうろ覚えだが、心に響いたエピソードをうまく繋いで『こういった事例も後世では語られている。だから、炭はお金の問題を解決するのに向いている』という話に仕立て直して教えていたのだ。

 主人公の塩原多助が店を構えてから娶る妻・花のことは印象に残っていて、これも何度も教えていた。


「華さんの言葉で丁度今思い出した話があります。どこからかの又聞きの話なので、きちんとした筋として語ることは難しいのですが……」


「まあ、新しいお話ですが。早速お教えください」


 義兵衛はまず全体のあらすじを簡単に述べた。


「覚え違いの点もあるでしょうが、塩原多助という男が江戸の木炭業で財を成すという話です。

 そもそも上州沼田村で子がない塩原角右衛門という裕福な百姓がおりましたが、そこで金に困窮していた同性同名の浪人・塩原角右衛門からその息子・多助を50両で買い取ったことに始まります。

 その後、多助に家を継がせるよう考えておりましたが、いざ養父・塩原角右衛門が亡くなりますと、家とその繋がりがある者達から命を狙われる羽目になり、多助は江戸へ出奔します。その折に600文を持って郷里を出ますが強盗に会い文無しとなります。また、江戸で唯一のあてにしていた実父がはるか離れた遠国に居ることが判り、江戸での受人も銭もなく進退窮まった多助は、行く先もない前途を儚み昌平橋から身投げをしようとします。ところがそこに、通りかかったのが神田佐久間河岸(現:千代田区神田佐久間河岸の和泉橋近傍)の木炭問屋・山口屋善衛門でした。善衛門は身投げしようとしていた多助を引き留め、しばらく奉公に置くことにしたのです」


 木炭問屋の名前が出たあたりで婆様の表情から笑みが消えていたことに気付いたのはずっと後からだった。


「山口屋善衛門に命を助けられた多助は、それから何年もの間山口屋のために身を粉にして誠心誠意働き、店の皆から異人ではあるが見どころのある奉公人と見られるようになりました。

 この多助の一番の本領である勤勉と倹約を現したものが、拾い集めた藁草履の山の件でしょう。

 命の親・善衛門さんから働いた給金も受け取らず、代わりに納屋を借り、そこへ捨て物拾いをして集めたものを貯めることにしたのです」


 多助の人となりを現すエピソードとしてふさわしい話だろう。

 後世に作られたお話しなので似たようなことがあるには違いないし、教訓として伝わっている分元が判らない程に脚色・テンコ盛りになっているに違いない。

 多助は鼻緒が切れたりして川に流されてくる藁草履を熱心に拾い集め、これを直してこの納屋にしまい込んでいたのだ。

 これを日課のように続けていると藁草履も膨大な数量になっていた。

 そして、山口屋で使う納屋履きを新たに買う伺いを立てている番頭・和平と善衛門との会話を聞き、多助が話に割り込む。

『1足12文の藁草履を毎日5足買い入れると1年で1800足、21600文にもなることを、そして10年も続ければ金50両近くの金額となります(注:元本では34両2分748文との記載)。私が2年前から借りている納屋にすでに3000足もの直した藁草履が蓄えられていますので、これを安くお買い上げください』と告げると、善衛門も番頭・和平も大変驚いて多助を見る目が大きく変わった。

 そして奉公から10年、お礼奉公3年というのが一般の世の中だが、信用が物を言ったのか11年目には本所相生町に家を借り、奉公の間に拾い集めた木炭屑を720俵(約10t)運び込みで商売を始めることが出来た。

 そして、木炭1俵(4貫:15kg、300文:7500円)すら買えない町人を相手に、集めた粉炭を桶に入れ、味噌漉し1杯(約50匁:190g)を8文(200円)で計り売りするという、恰好の隙間商売を始めた。

 単純に木炭を粉炭にすると、50匁は4文になるが、それを8文という値段をつけて日銭を集めたのだ。

 しかも、ほとんどが捨てられた灰の残滓から集めたタダ同然のものを、なのだ。


「そうやって一生懸命に木炭屑・粉炭を売り歩くところを、御駕籠御用店主人・藤野屋杢左衛門の一人娘・花が多助を見染めたというのが次の話でございます」


 字は違うけれど同じ名前の娘が出て来るとあって、華さんが顔を上げて見つめてきた。


「花はその思いを父・杢左衛門に伝えた所、杢左衛門も多助のことを実に良い者と見抜いておった。それで、多助が炭を棒手振している時に同じように明樽あきだる売りをしている岩国屋久八を呼んで多助の人柄を確認し、縁談の下段取りを進めはじめたのです」


 杢左衛門は久八に多助が独身であること、娘の花を嫁にする気があるか打診してくれるよう頼んだのだ。

 多助は久八の意見を聞いた上で、身分違いのことと大店で帯刀御免の家の娘であれば、貧乏所帯の仕事や家事は難しく一緒に艱難辛苦して共稼ぎをできるものではなかろう、と一端断った。

 それを杢左衛門に報告したうえ、一度久八の養女に仕立てることで身分を調整し、久八の家での仕事や炊事などきちんとできることを確かめるといった方策を得てこれを勧めた所、了解された。


「なにより凄いのが婚姻当日、多助の店に昔の恩義の約束を果たすべく船12隻に木炭1000俵(約13t)を満載して河岸に到着したことです。このとき多助だけでなく、花嫁衣裳を着たままの花さんまでもが炭俵を船から納屋へ担いで夫を助けたそうです。

 その後、塩原夫婦は力を合わせ店を繁盛させ、故郷へ錦を飾り、そして地所を広げていった、という出世話でした」


 最後の話に目を丸くしたお婆様が突っ込んできた。


「それで、義兵衛様、花と結婚した時の多助さんの歳はいくつと聞いておりますかな」


「はい、多助は31歳、花は21歳だったかと」


「実は似たような話が4年程前にあったことを思い出しました。確かに、本所相生町(現:墨田区両国3丁目塩原橋近傍)に『炭屋塩原』という店はあり、太助さんという主人は確かに居ります。はて、1000俵であればもっと大きな噂になりましょうが『婚礼の日に河岸に到着した木炭を、新婦は衣裳の汚れに顔色ひとつ変えずにそのまま担いで運んだ』ということしか聞いておりません。

 あと聞かせて頂いたお話の中で符合しているのは味噌漉し1杯単位からでも屑炭を計り売りした所でしょうか。

 なぜ後の世で喧伝されているかのような口調でお話しくださったのかはわかりませぬが『買い手の要望を見据え、正直さと勤勉さを忘れず商売に邁進する』という今の話は、大変面白うございました。

 それで義兵衛様は先行して規格化された炭団・小炭団を作ったという寸法でしたか。

 多助はゴミをあさり、屑炭・消し炭の残りをおのが足で拾い集め、これに値を付けて儲けたのが始まりという訳ですか。もとでが拾いものであれば、新しい試みもできるというものでしょうね」


『しまった、やってしまった。明治11年に三遊亭円朝が書いたとされるこの話、終わりのエピソードは完全に創作だけではなく最近の本当の噂を脚色しただけだったのか』


 義兵衛はお婆様の突っ込みに激しく動揺した。

 この後の多助は、味噌漉し1杯の粉炭を布糊で固めた炭団を作り、これを売って大儲けし、江戸で地所を24個所も持つ有力商人に成長するのだが、そうすると今から先のことを語ってしまうことになるのに気付いた。


「いや、これぞ商人の鑑、木炭屋としての才能でしょうな。ああ、父・七蔵を思いださせます。

 義兵衛様、華と一緒に名を残しましょうぞ」


 あれ、ちょっと違う受け止め方をされている。

 華さんも頷いている所を見ると、来世の知識というあたりは、この席ではスルーされたようだ。

 もっとも、大飢饉の予言があるのだから、それと類似と錯覚されたのかもしれない。

 横に座っている安兵衛さんは黙っているが、何かおかしなことに気付いたには違いなかろう。

 この話は御老中まで知らされるだろうが、そこは肝を握っているお方であり『軽率』のそしりはあるかも知れないが、大事はないと見た。


今回の話は、閑話に近いものです。改めて『塩原多助一代記』を読み直すと、結構記憶違いしていることが判りました。しかし、江戸・炭・出世というキーワードで、多助は外せません。

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