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米問屋・井筒屋伝兵衛さんへの確認 <C2404>

 ■安永7年(1778年)閏7月6日(太陽暦8月27日) 憑依176日目


 献上品を納める日ではあるが、義兵衛は大八車を指揮する訳でもなく非番となっていた。

 これは、おそらく義兵衛が行く所に常に他家の安兵衛さんが同行することに配慮したものであろう。

 主な家臣だけで車を牽いて御城へ向かう段取りとなっている。

 実の所、義兵衛も人足として御城へ車を牽くつもりだったのだが、ぽっかりと空いた時間ができてしまった。

 御殿様が武家官位に叙任され奉行職を拝命されることにともなう宴会については奥方様と紳一郎様が指揮を執る手はずとなっており、担当する料亭と緊密に話し合いが進んでおり、義兵衛が横から口を挟む余地はない。

 そこで屋敷で何もすることがなくなった義兵衛は全国の稲作の状況を探るべく、かねて出入りの米問屋・井筒屋伝兵衛さんの店を訪ねることにした。

 伝兵衛さんも椿井家に縁の深い商家として13日の宴には呼んでいるのだが、その席では表面的な話しかできないだろうと考えたからだ。


「ご無沙汰しております。椿井家の義兵衛です」


 店の戸を潜り挨拶をすると、店主の伝兵衛さんが飛んで出てきた。


「これはこれは。椿井様が新設の油奉行になり官位を叙任なされると聞き及びましたぞ。御老中の肝いりのお役目とか。誠におめでとうございます。また、叙任後のご祝宴に拙店もお声掛けいただきありがとうございます。

 それにしても、最初にお会いしたのが五月頃でございましたな。もう三月もご無沙汰しておりますが、この井筒屋に何か御用でございましょうか。

 それに、そちらのお侍さんはどなたですかな」


 3ヶ月ほど前に萬屋のお婆様・千次郎さんに案内されて訪問した時に、椿井家の借用金を一括返済し、秋口に籾米を仕入れる手はずまで整えたところで終わっていた。

 そして、その時はまだ安兵衛さんは付けられていなかったのだ。

 傍目には年上の安兵衛さんが主人で、義兵衛はその傍付きに見えなくも無い。


「こちらは、北町奉行・曲淵甲斐守様の御家来で、私の護衛として付けられております」


 安兵衛さんが伝兵衛さんに軽く頭を下げると、伝兵衛さんは恭しく深く腰を折った礼をしている。

 やはり貫禄は安兵衛さんのモノで、義兵衛ではその域には及ばない。


「それで、今日は、今年の稲の発育状況について米問屋さんの目から見てどのような具合なのか、を知りたく寄せていただきました」


 とても返す言葉は無いのだろうが、まずはいきなり直球の質問を投げてみた。


「まあ、店の前ではゆっくり話も出来ません。まずは客間へ御出でください」


 番頭に奥へ案内してもらいながら、前回の訪問時には気がつかなかった米問屋の店構えを確かめる。

 客間では番頭さんが安兵衛さんを主客の場所に導いたが、安兵衛さんが義兵衛へ席を替えるよう求めた。


「しかし、こちらの方が町奉行様のご家中の方でございましょう。同じ御武家のご家中の方であれば、役職・家格から見てもこうなります」


 着座しないまま言い合っていると伝兵衛さんがやってきて、上座に並んで座ることとなった。

 出された茶を頂いていると、二人の様子をじっと見ていた伝兵衛さんが逆に問いかけてきた。


「ははあ、安兵衛さんは奉行所から義兵衛さんに付けた目付という訳でございますな。そう考えれば合点がいきます。

 それで、今年の収穫見込みとのお問合せですが、何とも申し上げることはできません。むしろ聞きたいのはこちらの方です。

 今、なぜお問合せされますのでしょうか。また、義兵衛様は稲についてどのような感触をお持ちなのでしょうか」


 きちんと切り返されてしまった。

『本音ベースで情報を聞きだすためには、趣旨も含めて話すしかなさそうだ』と思い直した。


「先頃佐倉へ行く御用があり、その道すがら田の様子を見ておりました。

 今年は春先にグンと冷え込み、このままでは稲の実りも危ういかと思っておりましたが、6月7月と晴天が続き、夏の暑さもひとしおで盛り返したような気がしております。私の里の村でもどうやら例年通りの出来が期待できそう、と便りがありました。

 ただ、気になっているのが、私の見聞きした場所以外でも同様なのか、というところです。

 特に、府中宿近辺、つまり買い集める米の収穫地です。

 そこの作柄が平年並みということであれば、米値は抑えられるのではないかと踏んでおります。

 それが、この秋に買い入れる500石の籾米の値段に直接関係するため、手元資金をどれだけ用意するかにかかわっているのです」


 伝兵衛さんは義兵衛の言に逐一頷いた。


「なるほど、御心配なされている内容は判りました。

 今の所、稲の実りは順調で、何事もなければ豊作とは行きませんがそこそこの収穫は有りそうです。

 ただ、あくまでも今の時点では、ということです。

 懸念しているのは、秋の大雨、野分け(台風)でしょう。こいつを喰らうと、とたんに生育は悪くなり、また洪水にでもなって田が流されるようなことになると、全ては不意になってしまいましょう。こればかりは手の打ちようがありません。

 それで、お約束について、こういった状況でも500石の籾米をお買い上げなされるのか、ということを確認しておきたいですな。

 資金に上限を設け、それ以内なら買うと言って頂いたほうが良いと思いますが、いかかでしょう」


 これは良い提案に見えるが、米を買う予算枠に見合う米値を付けられてしまう可能性がある。

 特に豊作の場合、思わぬ高値掴みをしてしまう可能性が否めないのだ。


「資金はまだ調達途上なので、いくらとは決まっておりません。おそらくお上から秋の米値が公示されましょう。この夏は100俵(40石相当:6t)に金37両(370万円)と、春より若干高値になっておりました。ただ、この夏に盛り返しておりますので、それよりは安価になると思っております。

 そうですね、蔵前の500石で高くても金450両見当でしょうかね。

 ああ、勿論府中での集約・引き渡しで、なおかつ籾のままで良いという条件ですから、400両もあれば充分じゃないか、と思っていますよ。

 実際にその時になってみないと何とも言えないのでしょうがね」


 とりあえず今考え得る金額を口にしてみた。

 餓死者が大勢出る天明4年だと、この倍の値段を出しても入手できないのだから、妥当と思える金額を口にした。

 だが、伝兵衛さんは義兵衛が言う金額にニタリと笑った。


「まあ、秋になってみないと判らないというのが実情でしょう。値段はその時に、ということで承知いたしました。

 ところで、周囲の村々から米を買い集めるという動きは、実は穏やかではないのです。

 お上からの詮議が無いように予め届けが必要と思われますが、ぬかりはございませんでしょうな」


 確かに、御老中・田沼様などに意向の概要の説明はしているが、了解されていることを示す証拠はない。

 米は戦略物資・軍事物資でもあるので、常ならぬ動きには用心が必要なのだ。


「御忠告、ありがとうございます。どこまで話がついているのか御殿様に確かめておきます」


 何らかの書付を入手する必要性を知らされて、米問屋・井筒屋伝兵衛さんの店を辞去したのだった。


「地場の米を直接買い付けるのは、結構難儀なことなのだなぁ。

 400両と言ったものの、もう少し安くできないものか。七輪・練炭が売れなければ、首をくくるどころではないぞ」


 帰路、こう呟くと安兵衛さんは返した。


「備蓄米の購入に先鞭を付ける訳ですから、今打つ手が判って丁度よかったではないですか。幸いまだ時間はありますし」


 そう言われたものの、飢饉が始まる天明2年(1782年)まであとわずか4年、いや3年半しかない。

 当家はともかく、地域全体・全国で飢饉準備をするとしたら、天災がないここ2年での作柄と備蓄が勝負となるに違いない。

 焦る気持ちを抑えつつ喜びに湧く屋敷へ戻ったのだった。


※誤字指摘で、誤「叙任」:正「就任」との指摘があったため、ここに説明させて頂きます。

御殿様がお役につくことを「就任」ではなく「叙任」としておりますが、これは油奉行に任じられるにあたり官位(従六位下)が贈られ布衣が許されるとしたからになります。

このあたりは微妙なのですが「勘定奉行配下の地方代官に任ぜられる時に布衣が許された」という話があり、この地方代官の引退先が油漆奉行であることから、新設奉行の地位を同格と考えて設定しました。

従い、普通の就任とは大きく異なるため、大々的に宴会をしてお披露目をすることになります。

誤解があるかも知れませんので、このあたりはご容赦ください。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 叙任については質問者も意味の取り違えがありますが、主張自体は間違っていません。授賞と受賞のようなもので、叙任は任を与えるという意味であり、受け取る側の用語ではありません。そのような場合…
[一言] ヤマトよ急げ。地球滅亡のときまであと○○日しかないのだ。 この作品ではムサシかな。 義兵衛よ急げ。天変地異まであと三年半しかないのだ。
[気になる点] 油奉行に叙任 ↑ 叙任といういい方にちょっと違和感感じました。 一般的に朝廷の任官時に使う言葉で幕府の役職で違和感感じました。どこかで出典があるのかな? 感覚的に「就任」や「任命」辺り…
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