表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
403/565

七輪・練炭の献上準備 <C2403>

 ■安永7年(1778年)閏7月5日(太陽暦8月26日) 憑依175日目


 義兵衛が佐倉へ行っている間に御殿様は七輪と練炭を献上する手続きをしていたようで、昨夕になって『明後日・6日の昼に江戸城の進物取次番へ納めよ』との下達があった。

 献上品は、七輪100個と練炭1000個の物量にしたようだ。

 想定市価は総額で75両(750万円相当)、重量では約500貫(約1850kg)にもなる。

 ただ、当初は七輪はこの倍、練炭は4倍を考えていたようだが、『流石にその数量だと長い目で見て無理がある』と紳一郎様が止めたのだった。

 確かに、こういった儀礼は目先に囚われないようにすることが重要なのだ。


 当初は最終的に木炭を扱う油漆奉行(同役は勘定奉行配下)配下の手代へ献上品を渡せば良いと考え、甲三郎様と昵懇になっている勘定奉行配下の勘定方組頭・関川様へ申し出をしていた。

 しかし、献上品はお上の財産になるということで、正式な申請が必要となることが判り、手順に沿うようにあわてて準備を進めたようだった。

 物にもよるようだが、公私の区分は結構厳密なようで、外部からはなかなか窺い知れないところがある。

 このあたりは、私物を業務に使えない現代の大企業の煩雑な手順と相通じるところがあるようだ。

 してみると、江戸時代の内部統制というのは思った以上に近代的なのかもしれない。

 正式ルートは、老中配下の留守居役、その配下である進物取次番に受け付けてもらい、現物を御門で進物取次下番に渡し受入検査となる、とのことだ。

 そして、この受付が終わると献上品である七輪・練炭は行き先である油漆奉行が管轄する蔵へ振り分けられることになる。

 この進物取次へ納める期限が明日6日の昼ということなのだ。


 通常では進物取次へ上申してから認可が降りるのに結構な日数が必要なので、御殿様はのんびり構えていた。

 しかし、この献上について最初に口聞き先を間違えていたことから、これが勘定奉行・桑原能登守様(57歳)の知る所となり、更に御老中・田沼意次様が椿井家の動向について北町奉行・曲淵甲斐守様からの報告を聞いており、そこから奏者番・田沼意知様に伝わった。

 そして、田沼意知様が本丸留守居役の依田和泉守様(75歳)に内々に伝えたことから、この献上が特別扱いとなってしまったのだ。


 結果としてまだ暑い最中に暖房器具の搬入という情け無い状態になったのだが、この献上品を城内で捌くにあたり御殿様を新設・張出しの油奉行に任命する方向で話が進んでいるとのことなのだ。

 なので、献上品納入の下達と前後して勘定奉行・桑原能登守様から、この閏7月11日(太陽暦9月1日)に武家官位が叙任され、城内での布衣が許され、新設・油奉行への名乗りが披露される段取りとなっていることを伝えてきたのだった。

 武家官位は、城内での名乗りに必須であり、予め届けを済ましている。


 油漆奉行は旗本が任名され、定員2名。勘定奉行配下で役料は100俵。手代12人、同心4人が配下として付く。

 通常では勘定組頭や地方代官の任期を終えた者が就く名誉職に近いものがあり、こういった序列を乱さないために古くにはあった『油奉行』を臨時に期限付きで復活させたものなのだ。

 このため、御家人を手代として6人分用意してもらった。

 内4人は油漆奉行から移籍させ、代わりに小普請組から計6人を油漆奉行配下と油奉行に回してもらったのだ。

 お上としては新たな採用枠が出来たことで役高に応じた出費が嵩むことになるのだが、長い目で見ればお釣が出ると考えているようだ。

 もっとも、新設される油奉行は期間限定で御殿様が臨時に携わるだけ、という理由から、役高は設定されず、椿井家としては名誉だけの扱いと決められているようだ。

 家の収入が増える訳でもないが、それでも家臣一同はこの下知を知り大層喜んだ。

 そして、必ず期限に間に合わせるべく献上品納品のため準備を進めたのだった。


 さて、七輪と練炭の量・重量を見るにつけ、大八車5台は必要となる。

 七輪は屋敷にあるものを持ち出せばよいのだが、練炭はそもそも屋敷内にそんなに蓄えがある訳ではない。

 そこで義兵衛は萬屋に赴き、練炭1000個を大八車ごと借用する段取りを取り付けた。

 そして、昼前には萬屋からは各大八車に250個、4台で計1000個の練炭を載せた大八車が屋敷に到着したのだ。


「義兵衛様、これは50両に相当する練炭ですが、萬屋で引き取った七輪200個で相殺しておきますよ」


 車引きを指揮してきた忠吉さんは商人の顔で話しかけてきた。

 七輪1万個分の売り掛け金があるも同然の萬屋さんに対し、気持ちに余裕がある義兵衛は笑いながら返した。


「いえ、売値で1個1000文予定の七輪ですが、萬屋さんへの卸値は1個700文ですよ。あと、金程村の工房から納められている練炭や炭団の売掛金もありますからね。いずれにせよ、私は萬屋さんと一蓮托生の身です。

 収支の帳面をきちんと付けることは大変重要ですが、ここから年末までは勝負の時です。

 今回の練炭はお上への献上品ですが、これが通ってしまうと毎年恒例のことになるでしょう。椿井家からの献上品ですが、七輪も含め萬屋さんから毎年調達することになると考えます。なので、御殿様は今回の献上品の数量を抑えることにしたのだと思います。

 これは武家への売り込みの端緒となります。お上・武家へ大きく食い込むための投資ですよ。一緒に大儲けしていきましょう」


「はあぁ~。義兵衛様には、華さんの嫁取りではなく婿に来て頂きたかった」


 忠吉さんとの話をするうちに、午後となり、深川・辰二郎さんの所から献上する七輪を載せるために整備した大八車1台が到着した。

 こちらも昨夕の内に話をつけていて、なんと辰二郎さんが自ら牽いてきていた。


「義兵衛さん、いよいよですな。これで御用達品扱いの工房となれると思うと、嬉しい限りですよ。

 勘定方油奉行の椿井様ご贔屓の工房、これで支配違いとして町方のお役人は怯みますからな。

 おっと、言い過ぎました。まだ叙任前でございましたな」


 辰二郎さんの工房は、新設される油奉行・椿井家の支配下の工房の扱いとなる予定と説明していたのだ。

 これにより、工房へいきなり町方のお役人が踏み込むということもなくなり、無闇やたらと有りがたがっている。

 11日に叙任予定なのだが、その翌々日・13日に開催されるのお祝いに駆けつけてくれるようだ。


 叙任当日の夜は奥方様ご実家を含めて江戸在住の身内だけでのお祝い、翌12日は関係武家衆を集め料亭を借りきっての宴会、13日には出入りの商家との宴会をする計画なのだ。

 その後は里に戻ってからの祝宴である。

 あと7日程度あるとは言え、急なことになる。

 もちろん、萬屋さんと辰二郎さんは商家の宴会の主役級として噛んでいる。

 そして宴会となると、縁が深い京橋の坂本、向島の武蔵屋が日頃の恩返しとばかりに全力で取り組んでくれている。

 料理比べで力を借りている八百膳は支援を申し出てくれたが、旧来からの料亭との関係から今回は裏に回ってもらったのだ。


「いやぁ、忙しいが、このように皆で祝ってくれておることが誠に嬉しいではないか。

 以前であれば、懐具合を気にしてこのような宴も考えられなかったが、皆が盛り立ててくれるお陰で何の不安もなく臨めるわい」


 義兵衛の回りに深く関係する者が集まり談笑する様子を見て、紳一郎様は顔をほころばせた。


小説の時代では天明年間に入ると地震・噴火・洪水・冷夏とそれこそ天災のオンパレードですが、今の時代でも天災は同じようにやってくるのでしょう。

現に、ここ数年大洪水による国内被害が相次いでいます。また浅間山が噴火するかも知れないという可能性に怯えています。(2020/07/09)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 七輪が江戸に広がる大事なポイントにきましたね。 飢饉を防げる資金がどう確保されて行くのか。これからも波乱があるのでしょうが楽しみです。 [一言] 地の粉から製鉄技術の発展、そして造船技術の…
[一言] 普通は主だった品以外は「進呈目録」に記して、後日送り届けたりするのですが…。 政治・商業的なパフォーマンスを兼ねているのでしょうが、献上を受ける幕府としてもビックリするでしょうね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ