渡邉様の事情 <C2401>
加賀金沢藩の藩士・渡邉様は持ち込んだ要求がもともと無茶な話ということが判っていたのか、紳一郎様の意見に素直にうなだれた。
紳一郎様が、改めて細かく問い質していくと、加賀藩江戸藩邸の苦しい事情と、渡邉様の苦境は理解できてきた。
義兵衛が理解したことをまとめると次のとおりとなる。
・まず、京や大坂にあった商家の目ぼしい『地の粉』の在庫が全て江戸へ送られてしまっていたこと。
・『地の粉』が加賀藩特産の扱いとなり、一般の商家が直接仕入れることができなくなったこと。
・手に入れるには、江戸から逆に仕入れるか、加賀にある特定の商家から言い値で買い付けるしかなかったこと。
・結果として、かなりの高値でしか手に入らなくなり、京・大坂ではかなりの問題となっていたこと。
・特産品指定と同時期に幕府代官所からの通知で村から土を集めることができず、そのため藩商家からの冥加金・運上金が思うように集まらず、結果として藩は利益を得られていなかったこと。
・こういった変化の責任は、話を持ち込んだ江戸藩邸、算用方、そして渡邉様にあるとされ、責められていること。
つまり、加賀金沢藩は大坂商人への信用を著しく低下させ、長い目で見れば借財が増え藩の運営が難しくなっていくことが容易に推測できる状況に陥ったのだ。
そして当初儲かると見て渡邉様が持ち込んだ案を取り上げた上司である御家老の横山様は、形勢が著しく不利となったことを悟った今になって、その責任を算用方の面々、特に渡邉様に押し付けたに違いない。
渡邉様は上司である湯浅様からかなり絞られたのだろうか、義兵衛に怒りの矛先を向けたかったのだろう。
ただ、このままにしておくと、京や大坂の商家が加賀藩へ向ける怒りは、藩から専売を任された商家に向かい、また直前に京・大坂にある土を買占めた江戸の山口屋へ向っていくことは充分推測された。
その対策を考えようとした時、渡邉様は上役から言われたであろうことを漏らし始めた。
「不思議なのが、『地の粉』の扱いについて、お上・勘定奉行のなされ様が義兵衛さんから聞いた内容とそっくりなことです。
算用方の湯浅様は『当藩の立場を無くすために、お上の企てを義兵衛さんがあえて横流ししたのではないか』と言うのです。
そして『お上の企てが漏洩していたことを当藩より訴えるべき』と言うのです。
横山様は『椿井殿は勘定方のお役に抜擢されようとしている時期なので、よからぬ噂を広がることは避けるはず』とも言いました。
私は策を聞いた時の状況から『お上の策を知って、それを我々に教唆した様子ではなかった』と説明したのですが、こちらが手を打つのとほぼ同時期に同じようなことをなされたところを見ると、湯浅様が言うのも判ります。
いろいろなことを勘案すると随分前から練っておかないとお上の勘定方は動かないでしょうし、そもそも同じようなことを同じ時期に偶然進めるというのは、あり得ないと考えます。
しかし家老の横山様は、直ぐにでも届け出をしようとなさっておりますが、湯浅様は『この件は慎重に進めて藩の不利益にならぬようにすべき』として今はやっと抑えている状態なのです。
まあ、こういった背景があるので、当藩にも利があるような策が立たねば大事になりましょうぞ。
黙ってことを進めてもよかったのでしょうが、それでは如何かとここへ来て話をしておるのです。
結局の所、私にはことの真偽をまずは調べるように申し渡されているので、正直に申しております」
どうやらこの件をネタに、最近羽振りがよくなったように見える椿井家から何らかの利を得たい、と考えている江戸詰め家老達の思惑が透けて見える。
事前に養父・紳一郎様が言っていた通りなのだ。
そしてそこまで見通せない渡邉様は、この上司の思惑に振り回されているようだ。
「渡邉様、ちょっとお考え違いされているところがありますよ」
横で遣り取りを聞いていた安兵衛さんが口を挟んだ。
「私は椿井家の者ではなく、北町奉行・曲淵家の家臣で主人の命により義兵衛さんと行動を共にしています。
本人を目の前にして言うのも何ですが、お上が付けた目付役といったところです。
そして義兵衛さんと加賀金沢藩とのやりとりは、私から都度都度奉行へ直接報告しております。
そして、『地の粉』の扱いについては、私が報告した後で椿井様が御老中様から呼び出されて説明しておりました。
ここでお上に椿井家のことを訴えたところで、貴藩の恥となりましょうぞ。
それでも良いのであれば、勝手に訴えてください」
「やはりそうでしたか。こうなると私が横山様を諌めねばなりません。
ただ、このことをそのまま持って帰ると私の立場が無いのでしょうね。
きっと江戸詰めから外されて、郷里の金沢で下積みのまま終わるのでしょうなぁ」
義兵衛はこの悲哀をなんとなくだが理解できる気がした。
一切の不備の責任を押し付けてことを治めるのだろう。
最初の宴席で土に詳しかったことが仇になってしまったのだ。
「渡邉様、金沢に戻られたら『地の粉』で七輪を作らせてみては如何でしょう。
今年は難しくても、地道に取り組んでいれば来年位には芽が出ますよ。具体策として……」
あまりにも可哀想になって、義兵衛は思わず口に出してしまった。
紳一郎様と安兵衛さんがギョッとしたのが判ったが、ここは理解してもらうしかない。
「七輪、具体策とは何でしょう」
「義兵衛、その案を説明してはならない」
渡邉様の声と紳一郎様の声が重なった。
七輪の説明はしていたはずだが、ピンときてはいない様だ。
しかしここではまず、紳一郎様への説明が先なのだろう。
「当家では、この秋口から七輪を大いに捌く予定としておりますが、それはあくまでも当家の財政を楽にする一助でしかありません。
実際に知行地では七輪作りを断念しておりますでしょう。本命は里で作る練炭にございます。
今は先の見通しができないことから商家に代わり当家で七輪を保管しており、年末までには捌かせる予定ですが、当家では未来永劫このような商売を続けていかれる御心算なのでございましょうか。
アテがあればそこに任す、で良いではないですか。勘定方で進んでいるであろうお印を付ける方策が出れば、当家が作らせている七輪も運上金を納める格好となりましょう。殿様のお役と重なる部分も多く、本格的に広がると想定される来年も当家がかかわっていると碌なことにならないような気がします」
この説明を聞いて、やおら紳一郎様は頷いた。
「確かにそうじゃった。長い目でみれば、七輪の扱いは職人や商人に任せれば良いことであったわ」
就任が内定している七輪・練炭を司る新しい奉行は、勘定奉行配下なのだ。
物資を調達する先が当家である、というのは流石に難があると気づいたようだ。
「それでは、渡邉様への策を説明しましょう」
横に居る安兵衛さんがグッと身を乗り出してくるのが判った。
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