加賀金沢藩の渡邉様 <C2400>
■安永7年(1778年)閏7月4日(太陽暦8月25日) 憑依174日目
久々に江戸屋敷の長屋で充分な睡眠を取りさわやかな気分で朝を迎えた。
朝食の間に安兵衛さんが来てすでに座敷で控えているようだ。
そして、義兵衛が不在の間に何回か加賀金沢藩の藩士・渡邉様が訪ねて来られたと紳一郎様から聞かされている。
「4日には戻りましょう」と返答してるので、今日には訪ねてくるに違いない。
おそらく、お上が『能登の地の粉』を江戸に運ばせる算段をしたことでの苦情を言いにくるに違いない。
座敷で紳一郎様にそういった懸念を相談すると直球で打ち返された。
「当家の者の言ったことが発端であろうが、それを取り上げて実践されたのはお上でござろう。お上がどのようになさるのかまでは、当家は知らぬことゆえ、単に言いがかりであろう。
渡邉様とても、それを判らぬことではあるまい。おおかた義兵衛の動揺を誘ってその後に何か有利な話を引き出そうとしておるのだろう。
事後処理ということであれば、ワシも同席して良いかな。
前回のように、突然に殿が御老中様の役宅へ呼びつけられるようなことになっては、とても敵わぬ」
約40日ほど前の6月21日に引き起こした騒動は忘れようもない。(330話~338話)
渡邉様の相談中に思いついた話の内容がきっかけで、関係者が御老中・田沼主殿頭様の役宅へ集められ沢山の冷や汗をかいた。
当事者である義兵衛はともかく、殿の重臣である紳一郎様は冷や汗所ではなかったに違いない。
「安兵衛殿、貴殿はいつも同席しておって、義兵衛には危うい言動があることを存じておろう。お役目違いとは言え、もうこれ以上ワシの寿命を縮めることがないよう適切な所で治めてくれるようしては貰えぬかな」
「いえ、私としてもアッと思った時にはすでに止めることもできない様相になっており、役目柄事後報告ばかりでございます。こちらも身がもたないような事態にはしたくないので注意はしておるのですが……。
曲淵様への報告が深夜におよぶことも多く、苦労しているのはお互い様ですよ」
ひどい言われ様ではあるが、だからと言って怒っている風でもない。
実際に義兵衛の働きで椿井家の財政は健全になり、御殿様の弟である甲三郎様は次世代の有力者と目される田沼意知様の下で重用され、御殿様についても御三卿の田安家に返り咲く松平定信様から家老にと嘱望される事態になっているのだから、今や家中の者からの風当たりは全く無い。
安兵衛さんもひどい言い方だが、役目であることから何事もないよりは判りやすい報告事項があるに越したことはない様に見受けられる。
同心の戸塚様に代わり安兵衛さんが義兵衛に張り付くようになったのは2ヶ月ほど前のことで、当面という話だったはずなのだが、この張り付きを終わらせる様子が微塵もない。
『御役にたてた』とばかりに嬉々として曲淵様に報告する姿しか浮かんでこない。
こうして座敷で雑談をする内に、昼前になって渡邉様が訪ねてきた。
渡邉様には、能登から東廻り航路で土を運び江戸で150貫(約563kg)5両(50万円)しているものを7割引きの1両2分(15万円)相当に下げる策を説明し『藩として検討してくれれば八百膳さんへ宴席の口利きをしても良い』と言った覚えがある。
何度もここへ来るというのは、何か進展があったか問題が起きたかに違いない。
挨拶もそこそこに、紳一郎様も交えて話を聞くこととなった。
「6月21日に聞かせて頂いた件、藩中の上層部へ説明し掛け合いましたぞ。
それで、いくつか話があります。
まず最初は、きっかけとなった八百膳への口利きの件です」
藩として検討したのだから、八百膳へは当然話が通っているであろうと思い宴席を確保しようとしたら、拒絶されたらしい。
江戸の町人は、加賀藩を中心に物事を動かしている訳ではないので当然のことなのだが、初手から間違えている。
これがお上のことであれば、要望を汲むこともあるのだろうが、順序を踏まねばできることも出来なくなる。
「すると、江戸では加賀藩経由で能登の『地の粉』150貫が1両2分で購入できるようになったのでしょうか」
義兵衛は結果を知っているがあえて最初の要望をシラーっと言ってみた。
「いえ、加賀藩御用達の問屋の扱いで、江戸では150貫を5両で売る手はずです。それが今の相場でしょう。
それで、私は頂いた提案を藩の江戸詰め家老や国元ときちんと協議しました。それなのに、八百膳に話が通ってないようで、義兵衛さんの名前を出しても相変わらず宴席予約を受け付けてくれないのです。お約束が随分と違うではないですか」
「いえ、江戸の『地の粉』の値段を3分の1にしてくれるのなら口利きするという話のはずですよ。実際にまだその値段で加賀様から買い入れできていないではないですか。こちらに何の利もないのに、言いがかりは止めてくださいよ」
せめて半額の2両2分なら約束通りと考えることもできるが、実際そうなっていないのだから仕方ないはずだ。
「それだけではなく、教えて頂いた策を妨害しているのは、お上の勘定方ですよ。似たようなことをされて、この策の旗振りをしていた御家老の横山様と算用方の湯浅様は大変腹立ちをされております。このままでは、提案を持ち込んだ私の立場が無いのです」
少しつついてみると、渡邉様は本音を漏らし始めた。
「国元と江戸を繋ぐ話で大きく儲かる見込みがあると判ると、御家老様は湯浅様と私をのけ者にして進め、話が上手く進むと舞い上がっていたのです。
ところが、話が進み手配が終わったつい最近になって、様変わりしたのです。
それは、まず土の扱いについて江戸とつながりのある金沢の商家に任せたことから、それまで土を仕入れていた大坂の商家との諍いが起きました。
それから、お上の代官所へ勘定奉行様が出された通知です。義兵衛さんが話されていた内容がほぼそのまま示されていました。
そして、藩の特産品として採掘する場での相場は1貫10文ですが、お上の代官所の相場では1貫20文と書かれていました。加賀藩配下の村で委託された商家が買い集める場合は10文、それがお上の直轄領である石崎村だと20文になりましょう。お上の代官が差配なされます村だけであればともかく、近くの和倉村など加賀藩の領地の村の者までお上の代官所へ持って行って売り渡す行為をするのですよ。禁止しても抜け穴をこさえて言うことを聞きませぬ。見方によっては、当藩がなされようとすることをお上が露骨に妨害しておるのです。これを何とかせねばならないと思うのが道理ではございませんか」
義兵衛が身を乗り出しかけたが、それを紳一郎様が制した。
「渡邉様、貴藩の国元でお上がどのようなことをなされておるのかは、私供の知る所ではありませんぞ。渡邉様のお立場も、貴藩内のことでございましょう。今道理と言われても、貴藩内のことに関与する立場ではございませぬ。
当家はお上に直接仕える500石取りの旗本でござる。領地も貴殿の国元である能登国や加賀国などの近傍ではなく、そこからはるかに離れた武蔵国の田舎にあるのです。この江戸から10里ほどの場所にあって、細山村をはじめとする4箇村が知行地となっております。加賀や能登にある村ではござりませぬ。そして、目ぼしいお役についている訳でもない当家に、渡邉殿は何を要求される御積りなのでしょうかな」
義兵衛が口にするよりも年嵩の紳一郎様の言うほうが迫力もあり、それに話の持っていき方が上手い。
どう反応するのかを観察することにした。
長らく中断してしまいました(近況に記載)が、ゆるゆると再開します。ただ当面は週1回程度のローペースになりそうです。また、多少文体など変わっているかも知れませんが、その辺りはご容赦ください。




