登戸村、加登屋との取引 <C240>
父・百太郎は今回、義兵衛を黙って見ているだけの役目になります。
■安永7年(1778年)2月下旬 登戸村
早朝、百太郎・助太郎と義兵衛は荷梯子を背負い金程村から登戸村へ歩む。
真っ先に向ったのが、前回お世話になった小料理屋の加登屋さんである。
この家の敷居を跨ぐのは10日振りである。
「こんにちは、先日お世話になった金程村の百太郎です」
大きな声で挨拶すると、主人が飛び出してきた。
「お待ちしておりましたぞ。
いやぁ、待たされました。
明日は来てくれるか、今日は来ないかと、ここ数日ずっと思っておりました。
それで、練炭はいかほどお持ち頂けましたか。
あぁ、これは失礼しました。
まあ、お上がりください」
もう逃がさんとばかりに、座敷に追い上げようとしている。
荷梯子を土間に下ろし、座敷へ上がると、早速主人が話しを始めた。
「この加登屋には、多摩川上流の青梅から木材を流してくるための筏を登戸の渡し近くに泊め、漕手が一休みすることが多いのですが、皆この火鉢の練炭を見て驚くのです。
こちらも面白くなって、火を大きくしたり細くしたりとする所を見せたり、火鉢の上で湯を沸かしたりちょっとした料理を温めたりしていたのです。
最初は青梅へ帰る人が面白そうに見ていたのですが、その話が青梅方面に広がって、それから漕手達は皆こちらに寄って火鉢と練炭を見ていくのです。
中には、売らないかと持ちかける人なんかも居りました。
ただ、練炭は5個しかなく、節約しようと思っていましたが、漕手の方が火をつけて見せろと迫るのでとうとう3日前に切らしてしまったのです」
主人は機関銃のようにまくし立てる。
もっとも、この時代に機関銃はないので、実は別な言い回しなのだが、それはもう凄い勢いでまくしたてて来るのだ。
「それで、今回はいかほど練炭をお譲り頂けるのでしょうか」
やっと本題に戻った。
「まずは、七輪です。
前にお渡しした火鉢と交換させて頂きましょう。
来るのが遅くなったお詫びという意味もあり、無償で交換させて頂きます。
火鉢と大きく違うのが火消し用の内蓋がついているところです。
火を消したい時に、空気穴を閉じ内蓋を練炭の上に被せます。
直ぐには火は消えませんが、暫くほっておくと火が消えます。
再度火をつける場合は、内蓋を取り、練炭の上から灰を落とし、後は同じようにします」
義兵衛が七輪の説明をする。
「これは素晴らしい。
本当に無償でよろしいのですか。
いやあ、有難いです。
誰もいないときでも火が点いたままだったのが、どんなに悔しかったことか。
これがあれば、お客が来た時にチョイと点けて、帰ったら消すということもできるようになります。
ありがたい、ありがたい」
「それから、今、練炭ですが普通の大きさのものを32個持っています。
炭屋さんのところでも話しをする必要があるので、全部をお譲りすることはできません。
お幾つご要望でしょうか」
「できれば全部と言いたい所ですが、炭屋さんの所に持っていく必要がある最低の数量を除いた残りというのはどうでしょうか」
「そうすると、半分の16個ということでどうでしょう」
さて、値段の交渉と思った時、加登屋の主人が口を開いた。
「先ほど『普通の大きさのもの』と仰いましたな。
何か、普通でないものをお持ちですかな」
抜け目のないことだ。
「今回新しいものも用意してきました。
朝火を点けると日中保つ、夜火を点けると朝まで保つというのが売りですが、外で昼時だけ、夕食時だけという向きもあると思い、薄厚練炭というものも作ってみました。
それがこちらで、4分の1の厚さになっています。
これの良いところは、火を点けていたい時間に合わせて、1個使うか、2個使うかと重ねて七輪に入れることで調整できる所です。
4個入れると今までのものと同じ時間保ちます。
今までの普通の1個と薄厚4個重ねたものの値段を比べますと、手がかかっている分、多少お値段を高くせざるを得ません。
ただ、1個つまり1枚分の値段は今までの練炭よりかなりお安くできます」
さあ、これで価格交渉になるぞ。
「これはまた面白いものをお出しになられた。
練炭を輪切りにして売る、ですか。
確かに、こちらのようにそもそも練炭が4分割されておれば、1刻しか居られぬお客様にこの小さいものを使うということができましたな。
ならば、せめて自分の手で半分に輪切りにしておれば、3日前に切らすということも避けられたやも知れませんな」
「出来上がったものを鋸で切るというのは、避けたほうがよろしゅうございます。
木炭のように見えておっても、土饅頭のように固めたものなので、切るうちにボロボロと形が崩れてくることもあります。
最初から分れているものを合わせることはまだしも、これを切り分けるには、よほどの業物を使わねば失敗すること必定です。
なので、この輪切りしたに見える薄厚練炭が商品として成り立つのです」
義兵衛は丁寧に説明を重ねる。
「薄厚練炭はいかほどお持ちになられましたのでしょう」
「全部で32個持ってきております。
こちらも半分は炭屋に持って行きたいと考えています」
「ならば、これも半分の16個を頂きたい。
値段のことですが、4個は競りの時の1個250文ということでお願いしたい。
残りの12個は、おいくらでお譲り頂けるのでしょうか」
義兵衛は、ここで父・百太郎の顔をチラッと見た。
百太郎は、腕組みをして顎をチョイと動かし「お前に全部任せた」という顔をしている。
「では、こちらからかかった費用相当として、200文(=5000円相当)でお願します。
また、薄厚練炭については、1個65文(=1625円相当)でお願いします」
「まあ、そのあたりかと思っておりました。
今後ですが、炭屋で買える値段にもよりますが、もし炭屋に卸す値段がこれよりも安く、また炭屋が小売する値がこれよりも高い場合は、炭屋を通さず直接売って頂くことはできますでしょうか」
この話は、義兵衛では判断できないので、百太郎に対応をお願いするしかない。
恐る恐る百太郎の顔を見ると、百太郎は組んでいた腕を解いて前へ出てきた。
「よろしゅうございます。
次回の持ち込み分から、練炭については、卸しの値段と小売りの値段の真ん中でこちらへお譲りしましょう。
ただ、卸した練炭については、炭屋さんとのこともありますので、加登屋さんから余所へ売らぬようお願い致します。
それから、炭屋との話の結果にもよりますが、七輪については可能であれば加登屋さんで売って頂ければと思っています。
その場合、練炭を数個おまけに付ければお客も満足しますし、炭屋さんへの遠慮はいらないかと思います。
それでも万一、炭屋の番頭さんから苦情が出た場合は『練炭の追加購入は炭屋さんにお願いするよう言い含めています』とでも言えば文句は収まるでしょう」
どうやら一応練炭の値段は決着がついた。
荷梯子から七輪・練炭・薄厚練炭を降ろし、火鉢を乗せる。
この時、炭団を一塊の64個降ろして助太郎に預けた。
今回は七輪の無償という意味もあり、義兵衛の言い値である4440文=約11万円相当を受け取れることとなった。
「申し訳ないですが、受け取りの時、銀10匁の塊があればそれを混ぜて頂けると助かります」
義兵衛は加登屋さんへお願いをした。
この後、炭屋での卸し価格交渉があり、それが終わってから再度加登屋さんの所へ戻ってから金銭を受け取る予定である。
一緒に来ている助太郎は、今回の荷の半分が1両の大金に化けたことを喜んでいる。
義兵衛は前回のことで慣れてきているが、助太郎は掛売りではなく実際に大金が動くところを目にするのが初めてなので無理もない。
しかし、これからが助太郎の出番なのだ。
義兵衛と百太郎が炭屋へ練炭の卸し価格の交渉をしに行く間に、助太郎は加登屋さんの主人から練炭の改良点を聞き出すのが第一の目的だ。
更に炭団を有益に使う方法について、何がしかの意見を貰い、炭団の金銭的価値を聞きだすのが第二の目的なのだ。
本当は俺も残りたかったが、より大金を扱うことになるのが炭屋番頭中田さんなので抜ける訳にはいかない。
そこで、ここは助太郎に頑張ってもらうことになった。
「加登屋さん、これから僕と父は炭屋に行きますが、ここに助太郎を残していきます。
この助太郎は、まだ若いとは言え、村の木炭加工を一手に担う中心人物です。
持ち込んだ七輪の取り扱い方や、薄厚練炭の特徴を説明させますので聞いておいてください。
また、練炭にご不満な点やこうして欲しいというご意見があれば是非伝えてください。
よろしくお願いします」
そう言い残して炭屋へ向った。
とりあえず、懇意にして頂いている加登屋さんは片がつきました。
次は卸し値段交渉(今回それだけではない狙いもある)の炭屋番頭が相手です。
前回騙しに近い状態で終わっただけに、どう出るのか、といったところでしょうか。
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