豪華な七輪枠 <C2399>
■安永7年(1778年)閏7月3日(太陽暦8月24日) 憑依173日目
佐倉藩の勘定方・吉見治右衛門様の御屋敷で一泊した翌日、助太郎・近蔵・弥生さんの3人は名内村へ出立した。
義兵衛と安兵衛さんは、木野子村で佐助さんから炭焼きの様子を聞いてから、江戸に戻ることとした。
また、佐倉での練炭作りについては、江戸藩邸から改めて椿井家に支援要請の連絡を頂けることとなった。
治右衛門様からの連絡は木野子村での工房準備が整ってから、と推測されることから、10日ほどはかかると踏んでいる。
幸いなことに、今回の実演で使った道具類は予備分も含めて全て治右衛門様の御屋敷に置いていくので、呼ばれた時にはすぐ作業にかかれる見込みである。
佐倉から東金へ向かう道・南へ一刻ほど歩いた台地の上に木野子村がある。
そこの名主・彦次郎さんの家に間借りしている細山村の佐助さんを訪ねた。
「義兵衛様、ここの木炭作りは材料が豊富なだけにとても雑に作っておりました。お上の牧、小金牧を整備するお手伝いを命じられており、その見返りとして牧の雑木林で伐採した椚木を村に沢山抱えているのです。このあたりは富塚村と同じで、面倒を見ている小金牧で木野子村の担当部分は結構広く、また林の管理は理にかなっておりました。お上の目が光っているので、整備に手抜きできないそうで、名内村の雑木林とは比べるまでもありません。
今日は、炭焼き窯を作る場所を決めるために村のあちこちを案内してもらう予定です。80貫の窯を作る予定ですが、彦次郎さんは話が早くて助かります。
それで、おそらく最初の炭ができるのが、10日ほど後と見込んでいます」
これは都合の良いことだ。
工房で生産を開始する頃に、丁度20俵分の木炭が焼きあがる寸法だ。
あとは、順次窯を増やしていき、まずは毎日20俵提供できるようにすれば良い。
佐助さんと彦次郎さんに、今後の工房作りの予定を簡単に説明した。
「勘定方・吉見治右衛門様が、この木野子村で工房を作ることになった。最終的には日産5000個程度としたい意向はあるようだが、まずは1桁少ない日産500個を目指すこととなる。
工房の稼働予定が決まれば、名内村を支援している工房の面々をこちらに来させて指導する予定だ。里に戻りたい者も居るかも知れんが、あと少し我慢して励んでもらいたい」
「いや、これは良い出稼ぎになると皆申しております。今月末に里に戻る時の土産を何にしようか、なんて話も出ております。
それで、戻る前には給金を頂きたいのですが、名内村の30日間とここでの20日間で一人6両、銀で240匁になります」
義兵衛は手持ちがなく、安兵衛さんに預けたままになっている24両を出してもらい、それを佐助さんに渡した。
「今は手持ちとしてこの24両しかない。皆で分けると一人あたり4両になろう。この村での先払いも1両入っている。それから不足する2両分は、ここでの上がりで賄うので、その心算で働いてもらいたい。月末には、残りを名主様経由で里の家族に渡すことにしよう。
今渡した小判のままでは買い物もできんだろうから、折を見て佐倉城下の両替商に持ち込んで銀と銭に換えてもらうと良い。つもりとしては全部で銀960匁分になるはずだが、江戸の両替とは違い意外に高値で交換できるかも知れぬ。ああ、両替商に行く時には、工房の責任者になる吉見治右衛門様に連れて行ってもらえば良いだろう。御城の勘定方も担当されておられる方なので、両替商に侮られることもなかろう。治右衛門様宛にその旨を書いた文を残しておくので、それを小判といっしょに持っておきなさい」
どうやら炭焼きについては心配ないようだ。
幕府が下総台地に設けた牧の数、大きさ、広さを聞き改めて驚かされた。
確かにこれならば、木炭を作る材料に不足はない。
そして、佐倉藩が万一練炭作りに失敗しても、村としては大量に生産された木炭を、佐倉炭と銘打ってそのまま江戸へ流せば良いのだ。
いや、工房をそのまま投げ出すようであれば、名内村と同様に木野子村の村民で作れば良い。
木野子村での様子に安心した義兵衛は、安兵衛さんと一緒に佐倉街道を使って江戸へ向った。
夕刻に江戸の屋敷へ戻ると、早速に佐倉藩の動向を御殿様と紳一郎様へ報告した。
「うむ、すると作った練炭を薪炭問屋で受け取る限り、佐倉藩では目一杯日産数量を増やすことができそうじゃな。
ただ、萬屋の言っておる月産15万個を目処というのはどんなものかな。佐倉藩が本気でかかれば枠は埋まってしまおう。そうなるのが11月に入ってからであれば、多少なりとも練炭が掃けておるゆえ、手の打ちようもあるが、これは際どい条件かも知れん。
1ヶ所で日産5000個作る工房を、全部で10ヶ所作るという算段であれば、この枠を勘案してもらう必要が出てくるかも知れん。最初に作る工房が養成所というのも理にかなっておるし、そこで話をつけて工房の数を需要に応じるようすればよかろう。
しかし、御家老の若林杢左衛門殿は上手く家臣を使うのぉ。さすがにお上からの御用をこなすだけのことはある。人にも恵まれておるように見えるぞ」
御殿様は佐倉藩のことを褒めているが、義兵衛は危うさしか感じておらず、少しでも上手い方向に回すための仕組みとして細山村の樵を村に付け、万一の場合は百姓が工房を乗っ取って練炭を作ることまで想定していることを伝えた。
「確かに、武家の者やその奉公人が真っ黒になって練炭を作る姿は、思い浮かばんなぁ。百姓に作らせて、管理だけしている様子が見えてくるわ。ただ、お前が先頭に立って派手にやるではないぞ。
それはそうと、ワシとて練炭が売れるよういろいろと考えておる」
御殿様は紳一郎様に言いつけ、七輪を1個持ってこさせた。
「これは、木枠を豪華にした七輪じゃ。今の無骨なものと効果は変わらぬが、御城の奥向きで使うことを考えると、木枠の表側だけでも彫刻・漆塗りをして上品に仕上げておる。同じような趣向で1000個ほど作らせており、手始めに200個ほどをお上に献上するつもりでおる。残りは、手元において、都度出せば良いのじゃ。
献上された七輪をお上はあらかた奥向きに配ると踏んでおるが、それが練炭消費の始まりになろう。
七輪の良さは、今年の春先・夏前までワシが使ってよう判っておる。冬の寒さ厳しいおりに、あの七輪があればどれだけ過ごし易かったであろうか。冬前に欲しかったと何遍思ったことであろうか。それが、奥向きでは冬前から幾つか置いてあろう。七輪の有る部屋と無い部屋では、それは趣きも変わってくるであろうし、七輪を欲しがるところも出るに違いない。そして、練炭も出る、という次第じゃ」
御殿様なりに考えているに違いないことに感激したが、紳一郎様がぶち壊しの愚痴をブツブツ重ね、残念な気持ちにもなった。
「それでな、1000個の細工に100両もかけておる。殿のことゆえ、100両かけて直した七輪は全部献上品に化けるのであろう。
小炭団でお前が萬屋から持ち出してきた折角の金子が、これに変わってしもうた。年末には練炭で大儲けするとは判っておっても、今は痛手じゃ」
辰二郎さんの工房が作らせた60文(1500円)の木枠ではなく、1個400文(1万円)もかけ、市中で売るものとは違う豪華な木枠であるからこそ献上品になるというのも、納得できる方策なのだ。
奥での無料配布先の決定を、献上という格好で責任回避したのも流石だと思う。
紳一郎様の愚痴・かかった費用の回収の件はともかく、これで練炭が不足する事態は実に不味いことをあらためて実感したのだ。
申し訳ありませんが、ここにきて全く筆が進んでおらず、2020年2月26日(水)の投稿の見込みが建っておりません。(4行書いたところでハンウアップ、書いては消しの繰り返しが続いてます。いっそ飛ばして先を急ぐかも思案中)
出来次第の投稿になりますので、ご容赦ください。




