佐倉産の練炭を嫌がるお婆様 <C2396>
■安永7年(1778年)7月29日(太陽暦8月21日) 憑依170日目
真夜中に江戸市中に無事入ることができた義兵衛と安兵衛さんは、とりあえずそれぞれの屋敷に戻ることとした。
旗本の椿井家であれば御門を迂回して屋敷に着くことも出来るが、北町奉行所は御門の中にあるため橋の番所を通るしかない。
そう指摘すると、安兵衛さんは荷から監察札を取り出して見せた。
「こういったこともあろうかと、御奉行様から特別な札を預かっておりました。町奉行職からのお許しですので、奉行所への戻りということであれば変に詮索されるようなことはございません。ただ、供を連れずに動き回ると多少不審がられることはありますけど。
夜が明けぬ内に椿井家へお邪魔する時も、この札を見せて行き先を告げればそのまま通れました」
日が暮れると翌朝まで江戸の市中は人通りが無いのが普通なのだが、安兵衛さんはそういった中で自由に動くことができる秘訣の一端を教えてくれた。
明日も早朝に屋敷に来るそうだが、それまでの間に御奉行・曲淵様への報告を済ますとなると完全に徹夜となるに違いない。
「いえ、一晩位は大したことではありません。周りに人もいるので、起こしてもらえるだけ有難いです」
報告が終わりさえすれば、仮眠位はとれるようだ。
奉行所に近い筋違橋御門ではなく、昌平橋を渡った後に安兵衛さんと別れ、椿井家の御屋敷へ向かった。
すでに日は変わり、御屋敷では門番以外はすでに皆寝入っていたが、養父・紳一郎様だけは起きてもらい、簡単な報告と明日からの予定だけを告げると、そのまま仮眠をしたのだった。
翌朝、井戸水を何度も被って小ざっぱりした所に眠い姿のままの安兵衛さんが現れたが、直ぐに御殿様からの呼び出しがありそのまま座敷にあがると単刀直入に御下問がきた。
「佐倉での首尾はいかがであった」
義兵衛は、日産500個と2桁少ない生産に着手すること、上手く行けば生産拡大して日産5万個にしようと責任者となった吉見様が意気込んでいたこと、事業立ち上げ支援のために名内村派遣組から人を出してもらうことになったことを説明した。
「閏7月からじゃと、生産拡大して日産5万個になるには4ヶ月と踏んでも11月という目論見になるか。まあ、及第点であろうな。立ち上げで躓くことがないよう、特に御家老様からの横槍が入らぬように用心いたせ。
閏7月2日に吉見家の庭で練炭作りの一連の工程を実演して見せる、とのことじゃが、今日1日ゆとりがあると思うてはいかぬぞ。つい勘違いしてしまうが明日が閏7月1日じゃ。
それゆえ明日の夕方には道具を含めて佐倉藩・吉見殿の家での準備を終わらせる必要があろう。今夜、名内村に泊まるのであれば、ここで時間を潰さず早速にでも向かえ」
御殿様は、やはり先を見通しているので、安心して報告できた。
御殿様の声に送り出されるように屋敷を出たものの、江戸での所要がまだ残っており、萬屋の本宅へ急行した。
「義兵衛です。華さんは御在宅でございましょうか」
なんと、お婆様が直接玄関口に飛んできた。
「これは義兵衛様と安兵衛様ではございませんか。まだ日差しも強い時期でございますし、これから日差しも強くなる時刻でございます。そのように汗だくだと、さぞかし急いで来られたご様子ですが、何かございましたか。
お急ぎの様ですが、まあお上がりください。華もおりますので、一緒に聞かせてもようございましょう」
義兵衛は、佐倉で練炭を作り始める段取りをしていること、最初は日産500個程度だが成果が出れば生産拠点を広げ最終的には日産5万個を目指すことなど、状況を手早く報告した。
「ここへ来た理由は、佐倉の御様子の報告だけではありますまい。これから作る練炭を担保に借財を申しつかったのでございましょう。
義兵衛様、いかほどの金額かは存じませんが、身の丈にあっているかを充分御検討なされましたでしょうか。まだ練炭は売れておりませんし、その収益に至っては判らないのでございますよ。
大名相手にお金を貸しても、貸すときは仏様を拝むように持ち上げますが、返さねばならない時には閻魔様を見るような目つきになるのですよ。しかも、借りていることも忘れておるのでございます」
「誠にお婆様のおっしゃられる通りでございます。
貸そうと思っている金額は、100両(1000万円)でございます。そして、回収は佐倉から送りこまれた練炭の対価で、佐倉藩の取り分から充当して行けばよいと考えました。
借財の申し出は確かにありましたが、こちらは断っております。ただ、練炭を卸すことでの縁ができましたら、改めて話を聞いて欲しいそうです」
義兵衛の言っていることが確かなのか、お婆様は安兵衛さんの顔をじっと見て、間違いないことを確信して頷いた。
「義兵衛様、それは良くお断りしましたね。
あと、佐倉藩で作る練炭の扱いですが、量が量だけに今の萬屋だけでは受け取れんと思うのでございます。9月・10月の売れ行きにもよりましょうが、1個140文の卸値で受け取れる期間と量は、11月までとして、しかも月15万個までが目途とさせて下さりませ。
金程村と名内村だけで毎日5~6千個積みあがっていくのでございます。萬屋としては毎日200両(2000万円)も借金して仕入れているようなものです。義兵衛様のことを信じておりますが、9月の売り出しまであと2ヶ月。あの切り札としてずっと守っていたお宝の千両箱ですが、その金額でさえわずか5日分で消えていくのでございますよ。
この心細いことといったら、わたくしは毎朝・毎晩、いえ実の所今でさえ神・仏に祈っております。
まあそれでも幸いなことに、小炭団と卓上焜炉は面白いように売れておりますので、今まで通りであれば持ちこたえることもできましょうが、佐倉藩御用達となりますと、これはもう萬屋1軒では支えきれるものではございません。
大番頭の忠吉が『佐倉藩での練炭は勝手し放題』のようなもの言いをしたそうにございますが、実の所、そう都合の良い話ではないのでございます」
「御婆様、義兵衛様がお困りの御様子ですよ。先ほどから華もお話しを聞かせて頂いておりますが、義兵衛様とて決して楽をしようとなさっておられるようには思えません。むしろ、難しい所になんとか道を付けようとしておられるのではございませんか。
100両が御入用なのでございましょう。華はまだ350両預かっておりますので、そこから出せば済むことでございます。
義兵衛様は、これから名内村、明日はそこから佐倉へと大忙しなのでございましょう。
華もいつか佐倉の先にある成田山新勝寺とか、香取神宮とかをご一緒に参拝させて頂ければ、と勝手に願っておりますのよ」
華さんの言葉で、お婆様は愚痴を駄々洩れさせていたことに気付き、顔を赤面させた。
そして義兵衛は、華さんの言葉に冷や汗ではなくうっすらと涙を覚えたのだった。
「華さん、ありがとうございます。それから、お婆様、佐倉の練炭の扱いについて御懸念されていることは良く判りました。上手くいく方法を考えてみますので、佐倉・木野子村の段取りが済んだら相談させてください」
その後、義兵衛は丁寧にお礼を述べ、華さんから100両を受け取ると懐の奥にしっかり仕舞い込み、萬屋を後にした。
後押しされるように名内村へ急ぐと、日暮れギリギリの刻限に到着することができた。
そしてその夜、助太郎はすっかり出立準備ができているところを義兵衛に見せて自慢したのだった。




