木野子村 <C2393>
2020年1月31日投稿、ギリギリで間に合わせました。
義兵衛と安兵衛さんは佐倉藩勘定方の治右衛門様に案内され、佐倉城下から1里ほど南に行った所にある木野子村を訪問した。
高崎川を越えて行くのだが、その近辺に広がる水田には稲が豊かに育っており、この佐倉近辺の地は農地として極めて良いことを示している。
ただ、収穫前に大雨が降り利根川が溢れ、それが印旛沼に逆流して水田が水に浸かると、かなり大きな被害を受けることになる。
天明の浅間山噴火による降灰で河川が浅くなり、そこへ大雨が引き金となって大洪水となった災害の覚えがある。
この時に印旛沼・手賀沼の開拓事業が潰れたのも田沼意次様が失脚する背景にあったことをうっすらと思い出した。
ただ、この洪水に対する備えは手に余るので、洪水についての予言を伝えることは控えねばならない。
坂を登り、小高いところを選ぶように作られた道を進む先に、雑木林に囲まれた木野子村があった。
12戸程の百姓家が道を挟んで建っているが、どの家も庇に沿って薪がぎっしり積みあがっている。
目をこらすと、少し離れた雑木林の中にも薪だけを積み上げた小屋があるのがわかる。
さらに仔細に見ると、木炭を作っている跡も見て取れた。
木野子村118石は60人位と治右衛門様から聞いていたが、戸数から推定すると100人は居そうだ。
そうすると、米以外にも結構な収入源があるに違いない。
そう思って廻りを見回していると、一軒の家から先行して派遣していた中間が顔を出し、一行を招き入れた。
「お役人様が直に訪ねてこられるとは、一体どういったことでございましょう」
「うむ、この村で毎日100俵(=400貫、練炭約4000個分)の木炭を買い入れることができるかを調べに来た。もし用立てることができるのであれば、こちらからも頼まねばならぬことがあるので、条件を聞こうと思っておる」
怯えながら何事かと聞く名主・彦次郎さんに、治右衛門様はあっさりと要求をぶつけた。
「毎日でございますか。今日からと言われれば困りますが、10日後からであれば準備できましょう。ただ、限度がありまして、今ある材料で作れるのは1万俵が限度でございます。もし、100日を越えても御入用ということであれば、近辺の村にも応援を頼まねばなりません。あと、100俵ですとそれなりの代金となりますが、よろしいので御座いましょうか」
「ほう、準備できると申すか。1万俵分も手持ちがあるとは心丈夫なことだ。それで、100俵でいかほどの金額になるのかな」
「木炭100俵を御城渡しで6両とさせて頂きたいのですが『頼まねばならないこと』というのも気になります」
勘定方だけに治右衛門様はお金のことを口にすることに遠慮がないようだ。
そして、訪問の趣旨が村の産物の取引のことだと理解した名主・彦次郎さんは、お役人相手に一歩も怯むことなく言い返してくる。
ただ、彦次郎さんが言う金額が、富塚村の川上右仲さんから聞いていた話と大きく違うことに気づいた義兵衛は、思わず口を挟んだ。
「200文も出せば上質な木炭が1俵買えると思っておりましたが、佐倉城下ではそれより高い値で売れるのですか」
「それはその……。毎日100俵をこの村から御城下へ運ぶとなると、それなりの人足も要りますので、そういったことも含んでおります。それ以外にも追加で木炭を作らねばなりませんし、その分の薪も余計にかかることにもなり、予定外のことですので、その他いろいろと……」
安直に吹っかけたことが仇になったようで、しどろもどろの返答をしている。
この様子を見た治右衛門様は、強い口調で言い渡した。
「折角の話であろうに、無駄なことを。1万俵を予定外と言っておるが、そもそも積み上げておる薪や作った木炭は売り捌くつもりであったものであろう。
それから『頼まねばならぬこと』というのは、この村で買い入れた木炭を加工する場所を貸してもらいたいのだ。
大きさは、大きめの納屋4棟分で、御殿様から事業の認可を頂けたら順次作ってもらうことになる。納屋を作る時に手助けしてもらえるなら、その工賃も出そう。
それで、その納屋で木炭を受け取れば城下まで運ぶ人足は不要じゃろう。話を戻すが、100俵でいくらとする」
逃げ道を押さえて迫るのは、流石に慣れているようだ。
「ええと、1俵200文、いや180文でお願いします。納屋を立てる場所でしたら、道の向かい、西側の4軒の家を外れたところにある雑木林を切り開いていただければようございます。
雑木林を切り開くことや、納屋を建てるにあたっては、村の衆がお手伝い致しますので、何分よろしくお願い致します」
「うむ。ではその条件で御家老様に伺いを立てる。それが決まってから、改めて話を進めよう」
これで治右衛門様との話は終わったようだが、義兵衛はもうひとつ相談する話を抱えていた。
「こちらで木炭を作るときに、どの程度の規模で作っていますか。もし規模が小さいようであれば、我が里での作り方をお教えしても良いのですが、どうでしょう」
これについては余計な話だったようで、名主はやんわり断ったのだった。
確かに、藩で毎日100俵の木炭を買い上げてくれるのであれば、その作り方まで干渉される云われはない。
だが、ここで手ぶらで戻る訳にもいかない義兵衛は、この村で作られている木炭を所望した。
「帰りに木炭置き場を見せるので、そこから幾つか持って帰ればいい」
名主は庭の一角にある炭小屋まで連れて行ってくれ、あらかた1貫(3.75kg)ほどの木炭を拾うのを黙認した。
木野子村からの戻り道で、治右衛門様は木炭を拾った理由を案の定尋ねてきた。
「ここで作られている木炭の質を確認するために拾いました。なので、いろいろな種類を意識して集めております。これを調べればいろいろと判るのです。木炭を焼く窯は、どうやら普通の穴窯のようです。これだと、良質な炭が7~8割といったところでしょうか。2~3割の無駄が出ます。
実は練炭は何がなんでも良い木炭を材料にする、という訳ではないのです。長時間火が燃え続ける背景には、質の悪い木炭や混ぜ物によって燃え上がるのを妨げるようにしている所もあるのです。
良質な木炭だけだと、燃え尽きるのが早くなり過ぎ、思ったような長時間燃やすのが難しくなりましょう。短時間で燃える木炭と、長時間燃える木炭をそれぞれ粉にして、狙った時間だけ保つように混ぜているのです。この混ぜ具合がなかなか難しいのです。これを出来るようにするために、工房での作業工程の中で品質管理する必要があるのですよ。
それよりも、工房で働く人をどう確保するのか、どう組織化するのかの方がよほど重要です」
「それは、あまり心配しておらぬ。御家老の若林杢左衛門様は日光山本坊の修理を命ぜられた時、わずか半年で見事修理を指揮なされたお方じゃ。15年ほど前の事とは言え、藩総出で対応しておるので、まだ覚えておる者も多い。どのようにして藩をまとめて活動するかについては、心得があるものと踏んでおる。その知恵を借りるまでのことよ」
組織作りは御家老様から聞くという方針で問題なさそうだ。
仮に問題があるとしても、そこはもう義兵衛の力が及ぶところではない。
佐倉藩内で事業展開の可否を上層部に諮り、その結果を持って事業に取り掛かる、ということは治右衛門様の仕事なのだ。
屋敷に戻ると治右衛門様は報告内容をまとめ始めた。
「佐倉は江戸に近いがゆえに、碌な産業を興すことができんかった。この地の特産に近い木炭を加工して江戸に出す、というのはいかにも佐倉に相応しい産業じゃ。薪ではなく木炭を、木炭ではなく練炭を、というのは自然の流れで良い。そして、多大な利益をもたらすに違いない」
ぶつぶつ言う背中に、安堵した義兵衛だった。
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