名内村の視察 <C2391>
名内村の生産能力が低い点を指摘され、返す言葉もなく沈黙が広がった。
責められているような場に耐えられなくなったのか、名主・秋谷修吾さんが違う話を切り出した。
「御代官様からの手紙が届きまして、江戸に納めた27000個の練炭で、この村が受け取ることができる銭について通知がございました。正確な金額は月末締めで御連絡頂けるそうでございますが、それまでに富塚村から購入した木炭の代金の請求書を回すように、とのことでございました。
改めて富塚村から買い入れた木炭の量と代金に驚きました。木炭2000俵あまりで代金として100両にもなるのですぞ。
ただ、それを除いても村には信じられないような銭が入ってくるのですぞ。聞くと驚くこと間違いございませんぞ。
なんと、これが280両にもなるのです。どうです。たった1ヶ月で、230石取りの村で1年掛けて作る米の量を上回る銭を手に入れることができたのですぞ。これを快挙と呼ばずして何をか言わんや、ですな。
この仕事を仲介して下さった御殿様やお代官様には、年貢を大きく軽減して頂いたことでもありますし、いつもとは違う御礼をせねばなりません。
それにしても、作業内容と作業時間毎に、そして習熟度合い毎に給金を細かく設定したのは、効果がありましたぞ。皆、目の色を変えて励みよります。
今までは、半給にして片手間で応援してもらっていた者も、どうやら本腰を入れてもらう必要がありますな。
さすれば、目標としている1万個は遠からず達成できましょう」
明るい話題で場が和むかと思えたときに、工房を見ている血脇三之丞さんが不満を述べた。
「肝心なのはそこではないですぞ。木炭を100両分も購入するというのは如何なものですかな。もし、村で計画しているように80貫の炭焼き窯が4基全部が稼動すれば、その分富塚村に渡す金も少なくでき、もっと身入りが良くなるはずではないですか。
工房の中は私がきちんと見ますから、外側の雑木林の管理と木炭の製造は頼みますよ。
それから、給金を渡した後の浮いたお金は、秋谷さんだけのものではございません。村の皆が平等に豊かになるための大切な資金です。きちんとした目的のために使ってくださいよ。
助太郎様が申していたではないですか。『今に安価な類似品が沢山出回ってきて、未来永劫得られる利益ではない』と」
この三之丞さんの言い方にカチンと来たのか助太郎が意見した。
「三之丞さん、文句を言う前に自分の足元をしっかり見てください。1日に作る練炭の合格品は、やっと5000個を越えたところですが、その裏には不合格の練炭が毎日2000個以上出ているのですよ。平均して3割もの不合格では、無駄が多過ぎます。
基準が厳しいからと、何とか基準を掻い潜って合格させようと画策しているのは知っています。その姿勢は頂けません。
何度も申していますが、どれも同じ特性の練炭であることが、とても重要なのです。不合格になる原因を突き止め、そこを糺すという風になりませんか。
私等金程工房の面々がここに居る間は、基準を満たさない練炭は決して合格させません。しかし、お目付け役がいなくなった途端に基準を満たさない練炭を卸すことを危惧しています。
不良練炭がある程度あっても、萬屋さんは最初は受け取りましょうが、あまりにも多いと店の信用に傷が付くことになります。そうすると、名内工房製の練炭は闇に流れて買い叩かれ『安価な類似品』に収まってしまうことになるのですよ。
この工房の名前を安売りしたいのですか。
作業者の意識を変えるには、三之丞さんが確固たる意志を持って、重要なことを悪役に徹して訴え続けることが必要なのですよ」
このやりとりを、佐倉藩勘定方の吉見治右衛門様はじっと聞いていた。
そして、口を開いた。
「ここで内輪の言い争いを聞いていても、実際に見たことにはならぬ。工房や炭焼き窯、雑木林を見てみたい。案内してくれ」
この場で一番貫禄がある治右衛門様の発言に皆は素直に従った。
やはり根っからの武士のオーラと歳からくる重み・風格というのは、無条件に人を従わせるものがあるのだろう。
まずは、雑木林から見せ管理方法のおおよそを修吾さんが説明した。
この方法は細山村樵の佐助さんが方針と細かい規則を仕込んでおり漏れはない。
30年間という長い期間を見込んでの整備方針を滔々(とうとう)と語る修吾さんに、治右衛門様は感心した様子を見せた。
次いで、炭焼き窯を案内する。
ここでは佐助さんが説明したが、窯自体よりこれを全部で4窯作って稼働させた時に必要となる人員数を気にしていた。
現状は1窯を4人で窯を見ているのだが、4窯体制にするともう4人必要となる。
村での人の手当は修吾さんの担当のはずなのだが、こういった場を使っての佐助さんの訴えもあまり届いていないようだ。
最後に工房となるが、ここは三之丞さんの担当で一切の説明を任せているのだが、助太郎が治右衛門様の表情を見ながら理解が追い付いていない所や三之丞さんが端折ってしまった部分を補足説明した。
練炭作りの工程を、粉炭作りから乾燥倉入りまで一通り見終わると、一行は代官所まで戻った。
「全部で40人ほどしか見かけて居らぬが、村総出というがこれでは少ないではないか」
「雑木林は広く、散って作業しておるために目に入っていない者がおります。また、食事準備・給仕・片付けや衣服や器具の洗濯など工房で活動することで必要となる雑用は専任の裏方に任せており、こちらも村の者を充てております。それ以外では、荷運びですな。富塚村に薪や木炭を取りに行っている者が数人おります。
村には100人ほど居りますが、手足が動いて指図通りに動ける80人が、この練炭作りにかかわっており、今や合間に田畑の見回り・雑草対策をする様になっています。気にしているのが秋の刈り入れで、流石にこの時は工房にかかわる人数が大きく減ることになりましょう」
人を管理する修吾さんの的確な答えに、満足そうに治右衛門様が頷く。
皆が安堵する間もなく、質問が出た。
「工房で練炭の製造に習熟するのに、どれ位の期間がかかっておる」
導入に前向きな発言を初めて聞いた気がした。
おそらく佐倉藩で練炭を製造するために必要な資源を算出する情報を求めているように感じたのだ。
三之丞さんが応えるのにもたもたとする間に助太郎が答えた。
「全員一斉に教える訳にはいかないので、工房の中心となりそうな者を6名選び、5日程度かけて全部の作業を一通りさせました。
後は、その6人が教えたことを更に加わった人に教えていくというやり方で15日程度かけています。
ただ、肝とも言える品質管理の重要性を理解させるのが難しく、今でも定着しているとは言い難い状況です」
助太郎の説明に矛盾はなく、治右衛門様が締め括りの話をした。
「大概は理解できた。もし、佐倉藩で練炭製造を始めるとすると、近場ゆえ相談することもあろう。よしなに図らって頂きたい」
どうやらこれで視察は終わったようだ。
義兵衛は助太郎を代官所の外へ引っ張り出すと、懐から25両入った袱紗包みを取り出し助太郎へ渡した。
「これは、修吾さんと三之丞さんを懐柔するための資金だ。佐倉藩で練炭作りを指導する者が必要となった時に使うつもりのものだが、助太郎に預けておく。直談判が必要になった時に、これを使ってもらいたい。9月の販売が始まる前までは、実際には無収入なので、この小判の価値が上がる時がある。上手く行けば、今月末にもそうなる」
これから佐倉へ引き上げるため、それだけを言うので精一杯だった。




