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名内工房製練炭と売掛金 <C2386>

 ■安永7年(1778年)7月21日(太陽暦8月12日) 憑依162日目


 昨日、杉原様の御屋敷で『おおよそ2万個を名内村から搬出した』と言いはしたが、萬屋が受け取ったかどうかまでは気にしていなかった。

 そのため、朝から萬屋へ行きことの次第を大番頭の忠吉さんに直接確かめたのだった。


「千次郎様は、仕出し膳の座の事務方打ち合わせで八百膳に出かけております。この20日少し前から月末までは、料理の話ばかりでございますよ。日本橋南の一番端っこにある京橋に近いということなのか、丁度この店の前が瓦版を売り始める拠点にされてしまっているのです。その上、口上の最初に『この萬屋さんという薪炭問屋がそもそもの始めでござい』と看板を指して大声で言うのが決まりになってしまっている様で、それを聞きつけたこの界隈のもんが飛び出してきて、同じように看板を指差すのですよ。

 いい宣伝にはなっているのでしょうが『焜炉料理発祥の店』なんて、炭を売っている店なのに、板前さんが多く出入りするなんて半年前には想像できませんでした。

 ああ、名内村からの練炭ですよね。今の時点で24000個受け取っています。最初に荷馬10疋を率いて、練炭を満載して現れた時には驚きましたよ。馬1疋で運べるのは120個が限度だそうで、馬引きも、運搬を指揮する方も練炭を背負ってきています。その隊列が1回で1500個運んできます。毎日多少時刻をずらして2回納めにきていて、昨日までで8日目になります。登戸の中田から送られてくる分とは、きちんと分けて積んでいますよ。

 そもそも、名内村から運んでくる馬と、八丁堀の本宅の倉庫でお会いしておりませんでしたか。

 ああ、本宅でもお座敷に居られたのでは無理でございましたな。

 ともかく、今日も納めてくれれば更に3000個積み上がり、27000個になります。毎日来ると申しておりましたので、この感じで8月末まで続けば22万個は積みあがることになります。全部で7700両分ですぞ。それで、全部を八丁堀で受け取って積むのもどうか、という話がお婆様から出ているので、千住大橋界隈の小塚橋町、荒川沿いの場所を借りようと算段しております。

 それから、この輸送費は1日2回で20両=80000文の支払いとなり、その分の買掛金を富塚村に付けておくことで話がついている、と聞いています。8日間で160両分ですな。

 24000個ですと、840両の買掛金ですが、60両が義兵衛様分、240両が杉原様分、380両が名内村分、160両が富塚村分となります」


 仕分けはきちんとできているが、380両の内、更に原料の木炭買付分を名内村から富塚村へ振り替えねばならない。

 24000個の練炭を作るために、富塚村から6000貫~8000貫の木炭を買い入れているのだ。

 正確な量は不明だし、もう少し先の分を見込んで助太郎が多目に手配しているのは間違いない。

 そうすると、少なくとも75両~100両位はさらに富塚村に振り分けねばならない。

 ただ、この操作には名内村が出した買い入れ証文と、富塚村からの請求書が萬屋に遅滞なく届かねばならないのだが、これがまだ全然来ていないのだ。

 そこに関する忠告を、練炭を届けに来ている者にしておく必要がある。

 萬屋の中では伝票で金銭を動かしているのだから、これが来ないと富塚村は直接名内村に費用を支払うように言うだろうが、名内村は手にしたお金からわざわざ出費するとなると、その時点で騒動になりかねない。

 実際に年末までにはこの20倍の金額が発生する見込みなのだから、2つの村の名主の目玉が飛び出すのは見えている。

 馬や人手での輸送は、天候に寄らないという利点はあるものの意外に高くつくのだ。

 そういったこと以外に、今の忠吉さんの話には、その意味ではまだ困った話が含まれていた。

 それは、千住大橋近辺で新たに倉庫を持つという話なのだ。


「千住大橋の界隈かいわいというのは良いのですが、隅田川に結構近い場所でしょう。洪水や堤防の決壊を充分見越して、少しでも高台を選んでください。場合によっては、少し遠くなり墨引きの外になりますが、千住大橋を渡った千住掃部宿せんじゅかもんやどの一里塚近くで、水難に遭ったことがない神社を探し、その近辺で探すのも良いと思います。それとも、いっそのこと下駒込(現:文京区千駄木近辺)村の高台まで引き込むというのもあるかと思います」


 恐れるのは水害で、天明の大飢饉を前に、江戸の橋が流されるような大洪水が起きた、との覚えがある。

(注:安永9年6月に関東地方で大雨が降り利根川・荒川・戸田川が洪水。永代橋・新大橋が流出)

 これに巻き込まれて、練炭をフイにされてしまうのは避けねばならないことなのだ。


「そうですか、洪水ということでは八丁堀の倉庫も危ないのですよね」


「いえ、高潮で多少洗われるようなことはありますが、川の洪水のようなことにはありません。倉は土台でしっかり嵩上かさあげできているので大丈夫ですよ。ただ、火と水は困りものなので、倉庫を持つなら災害から安全な場所ということを踏まえて建てたほうが、充分用心したほうが良いと思いますよ」


 神田近辺で水浸しという騒ぎがあった記憶はあるが、やはり川がからんでいたという認識なので、埋立地である八丁堀は濁流に飲まれるということは心配しなくてよさそうだ。

 ただ、長い目で見ると、高潮や地震にあうことを想定して避難できるものは準備させておいたほうが無難だろう。


「御意見を頂きありがとうございます。ともかく千住大橋の近辺は避けたほうが良いのですな。主人とお婆様には、きちっと伝えておきますので、ご安心ください」


 とりあえず懸念は伝え、必要なことは聞き出せた。

 目論見通り順調に行きさえすれば、取高200石の旗本・杉原様の所ですら、今年の年末には5000両(5億円)を受け取れるようになるはずなのだ。

 年貢米での収入が良くて100両(1000万円)という状況から、その50倍の収入になる。

 つまり、1万石という最低限ではあるものの大名と同じだけの収入になるのだ。

 義兵衛は、この見通しで杉原様が変な具合にならなければよいのだが、と妙な気使いをした。

 確かに、俄かに大金持ちになると禄なことはないのだが、名内村で練炭を作り続ける限り、そしてより安価な類似品が出回り値崩れしない限り、この状態が続くことは容易に考えられる。

 御殿様はこのあたりの機微を知ってかどうかは定かではないが、財政面でかなり余裕ができていることを秘匿している。

 だが、杉原様がもし木炭加工で大儲けできることを吹聴してしまうと、それを真似した安価な粗悪品が大量に出回り、その結果七輪の市場自体が成り立たなくなる可能性もあるのだ。

 一度念押しも必要だろうが、それは御殿様に頼むのが適切かと考えた。


「それで、佐倉藩で木炭加工をする件について、奈良屋さんはどのような反応だったかご存じでしょうか」


「はい、主人・千次郎様が直接話に行っております。『佐倉藩という大きな藩のなさることに、一介の商人が口を挟むことは難しゅうございましょう。ただ、上手くいくようであれば、そこに加えさせて頂きたい』とのことです。主人は『上手くいかなかった時は萬屋がひとり家を傾け、上手く行く様になれば乗っかりたいとは、片腹痛いわ』とこぼしておりました。『けつのあなが小さいやつ。これは人物を見違えたかな』など、とても人様には言えぬような言葉でお婆様に向かって報告しておりました。

 まあ『当面は勝手にやって良い』と言われたようなものでしょう」


 忠告さんのいらぬ話で、会談の様子はおおよそ判った。

 そうであるなら、明日の堀田様への御目通りで、佐倉藩11万石での木炭加工の話を存分に出来る。

 日産5万個とした場合の想定収益を述べた時に、11万石の御大名様がどのような顔をするのか見てみたい気になってしまった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 壮大なもうけを妄想してますが,いつ売り出すのか・・・一銭も利益が上がらないまま,ホント大雨や洪水でもあったらどうするのかなー延々準備一辺倒で,早く売り出して欲しいです~
[一言] 萬屋の千次郎さんも一皮剥けつつありますね。 このまま頼り甲斐のある旦那さんになってくれれば…
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