田沼家下屋敷での大儀な話 <C2377>
■安永7年(1778年)7月13日(太陽暦8月5日) 憑依154日目
午後に招聘されている飯田町・田沼家下屋敷での打ち合わせを前に、安兵衛さんと茶の間でまったりとしていると、突然に御殿様が部屋に入ってきた。
「義兵衛、お前のする方向に間違いはないが、急いてはならぬぞ。
自分の意見を出す前に、それを言ったら何がおきるのか、を良く考えよ。そして、誰にしわ寄せがいくのか、そのしわ寄せを誰が治めるのか、まで考え抜くことだ。それから、影響を抑えこむ人の意見を真っ先に聞くことにせよ。
まあ、昨夜は紳一郎から色々と沢山、大なり小なりの注文があったであろう。ここぞとばかりに張り切っておったからな。
でも、ワシが出張って場が収まるならそれで良い。ワシが収め役として手頃なのだからな。ただ、前もって教えることじゃ。今後は留意せよ。
今回は、大和守(田沼意知)様に時間について格別の御配慮頂いたが、いつもこうとは限らぬぞ」
前の蝦夷地の図面のことを思い出しながら、義兵衛は平伏して改めて理解したことを示した。
義理堅いことに安兵衛さんも横で一緒に平伏してくれている。
御殿様は満足した顔で、出立の刻限を告げると部屋を出て行った。
「いつも思うのですが、こちらの御殿様は何で無役なのか、不思議に思います。
義兵衛さんに適切な助言をいつもされるではないですか。余計なことはせず、必要なことだけ要点をきちんと伝えるなぞ、余程先を見通さねばできぬことでございましょう。どのお役に就かれても大過なくその任を果たされるように思いますが、誠に不思議です」
「前にも言ったかも知れませんが、御殿様は誰かにへいこらするのが一番御嫌いなのだと思います。以前であれば、椿井家に借金があり、それを収入を増やすことで解決しようと、仕方なく猟官活動を考えておられたようです。しかし、積年の借金がこの夏前に片付いたことから、何かのお役に就く活動は一切手を引いたご様子です。
確かに、今お役に就くためには、推挙頂くためにいろいろと手を回すというのが一般的で御座いましょう。借金している身で、更に借金をして贈与するお金を作り、お役に推挙してもらうという風潮は、何か間違っている気がするのですよ」
「いえ、手を回すも何も、もう御老中様とは何度もお話をされており、ついでに欲しいお役を申し入れれば良いだけでしょう。最初の口利きのために逢いたいがため、賄賂を贈るのですが、それが不要という立場ではないですか。それに、きっと町奉行様から口添えも得られますよ。あまりにも、勿体ないことではないですか。
無能なのに役料欲しさに御老中に面談を申し込む旗本の多いことと言ったら、切りがない程ですよ」
「そこは、いくら周りの者が騒いでも、肝心の御殿様が役には無欲だからどうしようもないと思うのです」
たわいもない話をする内に出立の刻限が来て、門前で御殿様を待っていた。
やがて御殿様と供の紳一郎様が玄関から現れ、一緒に田沼家下屋敷に向かった。
御屋敷を出て、ゆったりとした足取りで進むが、歩みの速度を変えることなく正午ピタリに田沼屋敷の門前についた。
先に松平定信様のお屋敷を訪問した時も、まったく同様の歩みだったことを思い出して、改めて驚いたのだった。
田沼様の下屋敷では紳一郎様は控えに通され、御殿様と義兵衛、それに安兵衛さんは直ぐに座敷に案内された。
そこでは、すでに千次郎さん、清六さん、辰二郎さんが下座の一番端で小さくなって伏していた。
御殿様と義兵衛・安兵衛さんは座敷の右横側に座ると、田沼意知様と甲三郎様、それからもう1名のお武家様が入室してきた。
「一同、面を上げぃ」
甲三郎様が意知様の意を汲んで発声し、会談という恰好で通達が始まった。
まずは、椿井庚太郎様が商家の2人と職人の辰二郎さんを紹介する。
ついで、甲三郎様が今まで見たことがないお武家様を紹介してくれた。
「こちらは、勘定方の組頭で現米80石取りの関川庄右衛門様である。勘定奉行配下で勘定衆のとりまとめをされておるが、今回の新しい取り組みに興味を持たれており、大和守様が概略を説明されておる」
そして話は想定した通り、能登から送り込まれる土について江戸での卸先を決めるということであった。
山口屋で土を独占的に扱うことへの条件がいくつか説明され、清六さんはその全てについて了承した。
条件は以下の様になっていた。
・お上から送り込まれる土を江戸で最初に受け取る権利に対し、毎年その対価として金100両を勘定方へ収めよ
・お上が能登から送り込んだ土は、お上が示す価格で全数購入せよ
・土が当面不要という状態になっても、その時点でお上が現地から買い入れた土については、江戸に運んでも全数買い取る
なお、買い取りする金額は、現時点では1俵150貫で金2両とするが、輸送費は一定とは限らないため価格は上下する
そのため、お上が示す価格を変更する場合は、都度元締めとなる山口屋との協議を行う
一応、すべて想定内のことだったので、皆安堵していた。
「御下知の内容は承知し理解しておりますが、恐れながら申し上げます。土がこれ以上不要と申し上げてから実際に止るまで、また逆に必要と申し上げてから江戸で卸して頂けるようになるまでの期間は、どのようになりますでしょうか」
清六さんは、商売をする上で重要になる供給の制御について口にした。
「江戸から飛脚を能登へ出すが10日は見てもらいたい。また、船便は20日程度を見込むが、こちらは海が相手ゆえ確約はできぬ。都合1ヶ月分は余計に積みあがるであろう。だが、逆に要求があっても届くのに1ヶ月はかかるということだ。在庫を1~2ヶ月分持つということで、良いのではないか。ちなみに、今の月あたりの需要はどうなっておる。正直に申してみよ」
勘定組頭の関川様が、逆に清六さんに鋭く質問をしてきた。
清六さんは頭を一層深く下げて答えた。
「はい、今はこちらの辰二郎さんの工房で、毎月6000貫(22.5t)を購入頂いております。ただ、こちらは未来永劫この量を毎月御購入頂けるとは限らないとも聞いております。
一応年末までとの話となっており、そこから先は見通しを聞いておりません」
「ほう、3万貫ほどか。それは多いのぉ。では、その辰二郎の所に売った分を除くと、どの程度の量を出しておる」
「それが、あまり出る物ではございませんので、これまではせいぜい月150貫(約560kg)程度でした。なので、6000貫入用と突然言われ江戸中の問屋を当たって買いあさったのです。
その結果、それまでは1貫80文程度で出回っていたものが、不足により高騰し、今では1貫160文はしておりますでしょうか。
今回、1貫60文程度で原料の『味噌岩』が入手できますので、1貫80文を中心とした価格で売り出すことができるようになると思っています。
山口屋として、このような大役を仰せつかること、大変名誉と思っております。
些少では御座いますが、山口屋からのお気持ちとしてお納めください」
清六さんは、25両を紙に包んだ通称『切り餅』が1個入った緑色の袱紗を2個取り出し、田沼意知様と関川庄右衛門様の前にそれぞれ押し進めた。
二人はそれを受け取り、簡単に礼を述べて退室した。
後には甲三郎様だけが残った。
「今回の対応、大儀であった。と、ここまでは意知様の御用で、あとは私談でよかろう。
兄上様、わざわざお運び頂きありがとうございます。
関川庄右衛門様は、例の御奉行様公認の印を付ける制度を相談している先のお方で、商家から『切り餅』を差し上げたのは時節に叶っており、大変有り難い配慮でした」
萬屋さんや山口屋さんが同席している場所として、その話はどうかと思ったが、もはや同志のようなものだから許容範囲かと思っているのだ。
それからも続く、愚痴に似た甲三郎様の話を黙って聞き、時々示唆を与えることを忘れない御殿様を見て、義兵衛も感心してしまった。
ともかく、これで加賀金沢藩とその政商との争い、大坂の問屋衆との争いは避けられないが、そこは山口屋さんが正面に立って戦うとなったので、義兵衛は口出しする必要はなく、ただ今より安価な材料で原価率が下がったのがとても嬉しいと思ってしまっていたのだった。




