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深川工房で事前の調整会談 <C2376>

『明日の午後に関係する者を集め、能登の土に関する話をする』という田沼意知様の書簡から、辰二郎さんの工房に関係する者達が集まって事情の確認をし、事前相談を行っていた。

 その最中、この土の扱いを巡って不審感を強めていた辰二郎さんが、脅すように現在の土の供給状況を問い質したのだ。

 瀬戸物問屋の清六さんは、脂汗を流しながらぽつぽつと言い訳めいた事情説明を始めた。


「ええと、大坂の問屋から飛脚で通知がありまして……。

 すでに手配し船積みし送り出した6千貫(22.5t)分については、一部到着しているものもあり、お約束通りお渡しすることができます。

 しかし『能登の土が入手できる目処がつかないため、売り渡し価格・量・時期について向後未定としたい。手配が可能となったら、その時点で改めて売り渡しについて相談させてもらいたい』とのことでした。なので、閏7月以降は目処が立たないので、年末までの分をお売りするというお約束は守れそうにありません。

 なんでも、加賀金沢藩が『地の粉』の原料となる『味噌岩』を藩の特産として、特定の商人以外には扱わせないようにしたそうにございます。このあたりのことも、先ほど義兵衛さんからあった説明と符合するものがありますが、お上のなさることと加賀金沢藩がなさることはちょっと違うようで、気にはなっています。

 とりあえず、近々揃う6千貫については工房へ全部お渡しすることに致しますが、こういった事情から、価格は30貫(112.5kg)で1両(10万円)とさせて頂きますよ。ただ、代金は年末払いの掛けということで承知しました。

 それから、江戸市中には辰二郎さんの工房を除き、もう『地の粉』はありません。先日来、私の店に買い求める客がポツポツと来るのです。そういった人には事情を説明して工房へ向わせ、そこから買い取るように言い含めておりますが、工房ではどう対応されておりますか。窮状を訴えている訳ですから、多少高値でも売りつけることはできたでしょう」


 どうやら義兵衛が提案したことが原因で、能登と江戸でそれにからむ色々な変化が起きているようだ。


「困って工房を頼ってきたやつの足元を見る、なんぞオレがする訳がなかろう。使う土の在庫を見ながら、買った価格そのままの30貫1両で渡しておる」


「そればかりではないのですよ。親爺さんは困り果てている人には1貫130文と買い入れた値段より多少安くして、しかも掛売りしてしまうのですよ。私が高くしても買ってくれる、と言っても『この土はなぁ、旗本・椿井家の義兵衛さんから預かっている土なんで、人の道に外れた商売を勝手にしてはならん』と頑固に言い張るのですよ。勝手に譲っておいて、対価を受け取る段だけこのような無茶を言うのです。この土を必要としているのは同じ職人だから、と言って損を一手に引き受けるなんぞ、いくら職人とは言え普通の人のやることではございません。商家の皆様から意見してもらえませんかね」


「こら、栄吉。滅多なことを言うものではない。義兵衛さんから預かっている土を転売して、自分が儲けようとしてはならない、と言っているだけのことだ」


 商人の魂としては、安いものを仕入れて高く売るというのが基本なので、栄吉さんの考えは商家として不当なことではない。

 しかし、こういった考えより辰二郎さんの姿勢のほうがより高い志を持っていると、武家には受けるが、それは間違いと考えてしまう。


「辰二郎さん、土は椿井家のものですから『それで商売を勝手にしてはならん』は正しい考えですが、これを若干でも割り引いた価格で譲るというのは間違いですよ。最低でもかかった手間賃を上乗せするのが正しいやり方です。そうしないと、破綻します。厳しい言い方ですが、いい人を続けた結果、借金をかかえて没落してしまうと、土や技術をあてにする人に、現在工房で働いている人達に迷惑がかかるのですよ。法外な利益を得るのは如何なものですが、適正な価格で売るのが、せめて1貫135文から150文程度で譲るのは問題ないでしょう」


 この意見に辰二郎さんは渋々頷いた。

 このやり取りの間にも、何か言いたそうな顔をしていた清六さんが口を開いた。


「それから『味噌岩』ですが、これは『地の粉』が石のように固まったもので、このままでは使い物にならないのです。砕いて、擦って細かい砂のようにしてやっと『地の粉』になります。なので、150貫2両の『味噌岩』の俵をもらっても、これを粉にする所がなければただの石ころと同じなので、そのままでは売り物にはならないのですよ」


 清六さんの説明に辰二郎さんが応えた。


「ならば『味噌岩』を自分の工房で預かり、都度粉にする、ということにすればどうかな。清六さんからの要請に応じて、粉か岩を渡す、という恰好にすればよい。粉にした分は職人の手間賃を上乗せして売ってもらえばよい。こちらの工房では渡した粉の手間賃だけ山口屋の帳面に付けておいて、季末に買掛金の清算に充てれば助かる。

 それで、七輪の材料については、清六さんから預かった『味噌岩』を工房で引き取り、帳簿上で義兵衛さんが買い取った扱いにすれば丸く収まりますぞ。ああ、それから義兵衛さん、いや椿井家の買い掛けは萬屋さんのところでの年末清算ということになりますぞ」


 今度は清六さんが頷き、その様子に辰二郎さんは満足したようだ。


「どうやら話の方向は決まったようですな。大坂を通さない江戸での『味噌岩』は山口屋さんが元受け、現物は深川・辰二郎さんが預かり粉にして江戸市中に渡す。代金は季末でやりとりをする。

 書状と義兵衛様の説明通りの内容であれば、これで決着ですな。いやぁ、意知様の書状が届いた時、一体何事かと思ったのですが、これで安堵致しました。

 それで、江戸で任されることの冥加金はいかほどとお考えでしょうかな。まずは意知様、それから勘定方へそれぞれお礼と、お上に納める御代金の覚悟が必要でございましょう。お手元にお礼する小判などなければ、融通いたしますぞ。

 なにせ、これからはここにいる一同は、義兵衛様の事業にかかわるということでは、もう御仲間でございますからな」


 この場は、千次郎さんがまとめ始めてくれていて、もう手出しする必要はなさそうだった。

 和気あいあいとした空気の中、話が書状のことを大きく離れていったため、そのまま散会となった。

 ほっこりした気持ちで工房から引き上げる義兵衛に、安兵衛さんが冷や水を浴びせた。


「私はこのまま北町奉行所へ戻ります。明日朝には参りますのでよろしくお願い致します。

 今日はこの後、御殿様への報告と紳一郎様からのお小言の予定ですよね。同行致しませんので、ご承知ください。

 いえ、愚痴はちゃんと明日朝から聞かせて頂きますよ」


 すっかり忘れていたが、御殿様にご迷惑をかけてしまったことのお小言が残っていたのだ。

 まだ日が沈むまでには充分な時間があることを改めて認識し、急に歩みが遅くなってしまった義兵衛だった。

 屋敷へ戻ると御殿様への報告はごく簡単に済ますことができたが、その後の紳一郎様からのお叱りは延々と続いたのだった。


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