意知様の書状の反応 <C2375>
飯田町の田沼家下屋敷から飛ぶような足取りで御屋敷に戻ると、意知様の書状を差し出し早々に御殿様への面談を申し入れた。
座敷の下座の端で殿のお出ましを待っているが、こういった時でも安兵衛さんは律儀に一緒に並んで座ってくれていることに、どこかほっとする思いをしている。
例え何も発言せず様子を見るだけの人と判ってはいても、一人で叱責を受けるのとは大違いなのだ。
あまり待つこともなく、ドタドタと御殿様と紳一郎様が座敷へ入ってきて着座した。
「意知様の書状だけでは詳細が判らぬ。なにゆえこのような仕儀に相成った。急を要することと理解した。まずは要点だけ端的に申せ」
御殿様はいきなり核心の報告だけ求めた。
義兵衛は、江戸に土を運ぶ運用元を誰にするかを決定するための召集であるということを、経緯を踏まえながら説明した。
「すると、山口屋が鍵じゃな。そして、意知様がここの後ろ盾をしようとしている。金銭に関する責任の一旦を萬屋に持たせ、あてにはならんだろうがその後ろ盾として当家がおるのか。そして、加賀金沢藩と張り合うのじゃな。その申し渡しと読んだ。
それで、辰二郎のところがからんでおるのは、お前が何か魂胆を吹き込んだのであろうと思うが、どうじゃ」
御殿様にしっかり見抜かれているのが判った。
義兵衛は震え上がりながら返答した。
「それは、現在一番土を使っているのが辰二郎さんの工房なので、山口屋の手を通さずに安価に大量に確保することを目論んでおります」
この言いように御殿様は諭すように語った。
「義兵衛、そのような小細工を弄するな。この企ては上手くいけば大商いになるのであろう。であればこそ、筋を通すことが重要じゃ。
多少安い値で仕入れたところで、後ろめたい思いと引き換えては家名にも傷が付こうし、他家からも下衆な真似をすると侮られよう。
山口屋が懇意にしている客である辰二郎を頼るのは良いが、こちらから山口屋の領分をこっそり掠め取るようなことはしてはならぬ。
それと、紳一郎。このことで、あまり小言を言うてはならぬ。ワシの言葉で義兵衛ももう充分判っておろう。
まずは、意知様が書状を送った3箇所と示し合わせておくことが重要であろう。意知様はそう動くことを見込んで『明日の午後まで待つ』との意図で参上する日時を設定しておるのよ。
ここで時間を無駄にする訳にはいかぬ。今直ぐ山口屋へ行き事情を説明してこい。
紳一郎からの小言は、今夜戻って首尾を報告してから、ゆっくりと聞くことじゃ」
義兵衛が使いに行き易いように、御殿様はさっさと座敷を抜けた。
「御殿様が申し渡したように、ここで時間は無駄にせぬことじゃ。後の小言は寝る前の楽しみにとっておくぞ」
紳一郎様は今は小言を封印されていたが、御殿様が退出した後にこう一言だけ言い残して座敷を出て行った。
義兵衛は安兵衛さんを縋るような目で見たが、さすがに夜は報告のため奉行所に戻ると言われてがっくり肩を落としたのだった。
しかしここでめげている訳にもいかないので、気を取り直して萬屋へ急ぎ向った。
「これは義兵衛様、驚いたことに、先ほど田沼意知様から書状が寄せられました。
『能登の土を江戸で取引することにつき、関係する者を交えて話をしたい。ついては、明日の昼過ぎに飯田町の当家下屋敷に来られたい』との内容で御座います。
能登の土といえば七輪の原材料でございましょう。どのようなことなのか、義兵衛様であれば知っておられることもあると思い、使いを出そうとしておる所でした」
萬屋に入るなり千次郎さんに引っ張られ、早口に捲くし立てられた。
書状には詳細は一切無く、呼んだのも関係者としか記載がない。
受け取った方からすると『能登の土』『江戸での取引』が唯一読み解く鍵なのだが、良い話なのか悪い話なのか、一体何を言われるのかさっぱり見当が付かない内容なのだ。
「関係者は、瀬戸物問屋の山口屋清六さん、深川工房の辰二郎さんです。おそらく同じ通知が行っていて、目を白黒させていると思います。事情は関係者が集まったところで説明します。ここで打ち合わせするのが良いのですが、来て頂く時間が勿体無いので辰二郎さんの工房に集まりませんか」
この時点で詳細を問うことなく、要件を伝える丁稚を石島町の清六さんと深川の辰二郎さんの所へ走らせた後に、義兵衛等は辰二郎さんの工房に向った。
果たして辰二郎さんも田沼意知様からの書状を受け取り、甥の栄吉と一緒に首を捻っているところだった。
しばらくすると、山口屋清六さんも深川工房へ急いでやってきた。
「明日の昼に田沼意知様の屋敷で行われる話について、私から経緯を説明させて頂きます」
義兵衛は集まっている4人に対し、意知様の屋敷で今朝ほど行われた打ち合わせの概要を説明し、ついで憶測を述べた。
「お上は代官を通して能登・石崎村の『味噌岩』を江戸に運ぶよう指図する見込みなのです。但し、江戸での卸し価格は1俵150貫で2両程度となる見込みで、現在江戸での取引価格である1両で30貫に比べると半値で売っても儲かる見込みです。それで、おそらくこの土の江戸での引き取り先・販売元を清六さんに依頼するつもりではないか、と考えています」
4人とも黙り込んでしまった。
しばらくして、清六さんが声を上げた。
「明日、意知様が私に『元締をせよ』とおっしゃられたら、これを受けるしかございません。
しかし、大坂を通さず直接江戸へ送り込むということをすれば、半値ですか。江戸でお上が送り付ける『味噌岩』を問答無用の言い値で買い取れというのは乱暴にも思えますぞ。今大量に買って頂いておるのは辰二郎さんのところの工房だけですからな。
もし、辰二郎さんがこれ以上不要と申し出をすると、売れない『味噌岩』をかかえて金繰りができず首を吊るしかない訳ですな」
確かに、代官のやることなので、価格変動を抑えるため需要動向に合わせて供給量を調整する、という器用な真似はしそうにない。
しかも、いったんこの仕組みに乗ってしまうと、大坂の問屋筋との取引は喧嘩別れになる可能性もあるのだ。
ひとつ間違えば、確かに清六さんは首を吊るしかない。
「だからこそ、私や辰二郎さんを同席させるのではないか、と思っています」
千次郎さんが清六さんに告げた。
「ははあ、そういった構図ですか。この取引に萬屋さんも一枚咬んで頂ける、ということですな。卓上焜炉を直接扱うことで最近繁盛している萬屋さんが下支えして下さるなら、多少は安心でしょう。不味くなったら一緒に首を吊りましょうぞ」
卓上焜炉は土器製品なので、本来は山口屋のような瀬戸物問屋が扱う品目という思いから、萬屋さんをあまり快く思っていないことを忘れていた。
その意味では、土の代金のことで誠意を欠いた対応をしていると感じている辰二郎さんは、清六さんに対して良い感情を持っていないので、どっこいどっこいといった風に見える。
「ところで、清六さんよぉ。大坂から回ってくるはずの土は、一体どうなっているんでぇ。
事情はここにいる栄吉が調べて教えてくれたが、今更、金が先などとは言わせねぇぜ」
清六さんの腹に何かある物の言い様についカッとしたのか、辰二郎さんがこう切り込むと、清六さんはとたんに脂汗をかき始め、しどろもどろの言い訳を説明し始めた。




