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華さんとの会話 <C2372>

 ■安永7年(1778年)7月11日(太陽暦8月3日) 憑依152日目


 華さんの許婚いいなずけとなった義兵衛が萬屋へ向った。

 店の前に来るなり、丁稚が駆け寄ってきた。


「若旦那様、早速に御出で頂きありがとうございます」


「ええと、萬屋さんには男のお子さんがおられるはずでしょう。それにまだ結納が済んだだけで、華さんとは夫婦になっておりませんよ」


「いいえ、お子様は、まだ店には入っておりませんが、将来は四代目と御呼びすることになります。

 それで、お婆様から義兵衛様のことは、これから『若旦那様』と御呼びせよ、と昨日の内に言い渡されております」


 ここで丁稚に何を言っても始まらない。

 そこで暖簾をくぐり店の中に入ると大番頭の忠吉さんが飛んできた。


「若旦那様『今日は店に来られるはず』とお婆様が申しておりまして、既に奥でお待ちです。安兵衛様もご一緒にどうぞ、と申されておりました」


 もはや勝手知ったる萬屋で、土間を通り奥の座敷に向った。

 座敷に座ると、まずはお婆様と千次郎さんに昨日の婚約式のお礼を述べた。


「義兵衛さんが私の息子となるとは、これは誠に嬉しいことです。この萬屋のために、是非知恵を出して支えて頂きたいものです。

 いや、まだ早かったですかな」


 千次郎さんは無邪気にはしゃいでいる。

 そして、お婆様は歳には似合わぬとても若やいだ表情で、やわらかい口調で義兵衛に話しかけてきた。


「若旦那様、孫娘の婿殿。早速にも来て頂けましたな。わたくしはもう嬉しくて、この日が来るのが随分待ち遠しかったのですよ。

 それで、今日いらしたのはおおかた費用の件のことでしょう。確か400両(4000万円)の現金でしたよな。あの千両箱の古い小判では使い勝手が悪かろうと思い、この通り、両替商で新しい小判に替えて400両きっちり用意させて頂きました。

 古い小判で260両を持ち込んで、丁度400両。両替商は不思議なものを見た感じでしたが、ホクホク顔でございましたよ。おそらく結構な利益が出るのだとは思いましたが、こちらから両替商の先にある金座に持ち込む様な真似まではできませんでしたよ。

 いえ、あの千両箱は、もう封を解いた切り札でございます。まだ存分に残っておりますので、これを種銭に義兵衛様はうんと勝負してくださって宜しいのですよ」


 床の間を背に、紙の帯封をしたピカピカの小判25枚の固まりが16個、山になって三方の上に置かれており、お婆様はそれを指し示した。


「お婆様、まず『若旦那』はお止めください。いずれ華さんの婿となり、お婆様は祖母となりましょうが、萬屋には後継者がきちんと居ります。それを差し置いて『若旦那』と呼ばれては、世間様の誤解を産みましょう。

 それで、この400両で御座いますが、なぜか当面使わなくて済みそうなのです。

 手元にないときに限って必要になり、こうして手元にある時は直ぐに出さずとも良くなる。これを食べれるという訳でもないのに、江戸ではこのお金というものが必要不可欠なものになってしまっており、誠に銭というのは不思議なものですね。

 なので、当面このまま預っておいてください。もちろん、400両を年1割の利率で運用すれば、年間で40両、月あたり3両は稼げましょうが、いつでも出せるまとまったお金があるという支えが、いろいろと交渉を有利に運べる心の余裕を生みます」


「ほほほ、義兵衛様はお金のことを良く知ってらっしゃる。

 お金はとても寂しがりやなので、沢山あるところに直ぐ集まっていくのですよ。少し足りないかなと思う人からは、どんどん逃げていきますのじゃ。萬屋の切り札であったあの千両箱は、わたくしの心に余裕を持たせ、それで商売を少し高い視点から見ることもできました。お金が逃散するのを防ぐことに多少は役にたったのでしょう。こういったことは、全て父・七蔵より教わりました。

 息子・千次郎は、親の贔屓目かもしれませんが、亡き夫・重助に比べれば出来は良いと思って見ておりましたが、義兵衛様には及びもつきませなんだ。きっと、義兵衛様との御縁は、この萬屋が長く繁栄する礎を築いてくださると信じておりますのよ。

 それで、『若旦那』と呼ばれるのが御嫌おいやであれば、皆にそう呼ぶことを止めさせましょう。ただ、わたくしは婿殿と呼ばさせて頂きますよ。それ位の些細な幸せは、老い先短いわたくしには丁度ようございましょう。

 ああ、それでこの400両ですが、今不要ということであればこのお婆が、いえ、孫娘の華が預かりましょう。御入用になれば華に申しつけください。華は本宅に居りますので、お会いになって頂ければうれしゅうございます。

 ついでにでは御座いますが、この400両を本宅までお持ち頂いて華に渡して頂けますか。

 勿論、そのまま華に渡さず使われてしまっても良いのですよ。それは義兵衛様の物、のようなものですから」


 お婆様には、なぜか先を見透かされている。

 義兵衛は三方に乗せた400両を海老茶色の袱紗ふくさに包み懐奥に仕舞い込むと、お婆様と千次郎さんに挨拶をして萬屋を出た。

 丁稚の案内でそのまま八丁堀の本宅へ向かった。

 もともと萬屋は、この八丁堀の地を得て店としていたのだが『商売を広げるためには日本橋南に店が必須』という曽祖父・七蔵の教えに従い日本橋・具足町に本店を置き、それに伴い、八丁堀の店は本宅兼倉庫となっていたのだ。

 大口の注文には、八丁堀の倉庫から物を出す運用で対応するようにしており、千両箱の埋蔵も含めて七蔵の先見の明が良く判る。


「義兵衛様、本日は御運び頂きありがとうございます」


 華さんが玄関前に出て直々に出迎えてくれた。


「運んだということでは、確かですよ。ほれ、お婆様からの400両ですよ」


 玄関から土間を通って店時代の帳場に上がりながら、義兵衛が懐から袱紗包みを出して華さんに渡した。


「このお金は当面使わないので、華さんに渡しておきます。必要になるまで預かっていてください。いや、もともとは萬屋さんのお金ですから、預かっていて貰うというのも変な話ですよね」


 華さんは名前の通り華やいだ表情で袱紗を受け取り、中を改めた。


「400両、確かに受け取りました。こちらで預からせて頂きます。

 義兵衛様は、この400両を借りるために婚約に同意されたと聞きましたが、そのような経緯はともかく、華はそれでもうれしゅうございます。末永くよろしくお願い致します」


 歳に似合わずしっかりしている。


「特に御用がなければ、華を相手にお話されていかれませんか。義兵衛様が江戸に来られたきっかけなど教えて頂ければ嬉しいです」


 そこで、義兵衛は練炭の競売のことや登戸の中田さんとのやりとりなど、面白可笑しく語った。

 控えて座っている安兵衛さんが初めて聞く内容もあり、興味深げに聞いている。

 武家に取り立てられたところまで話し、一区切り付けたところで華さんが応えた。


「とても面白いですね。お婆様はよく曽祖父・七蔵様のことを話して下さいますが、それ以上に気持ちがワクワク致しました。

 曽祖父はもう居りませんし随分前のことなので、お婆様の誇張が入っておりましょうが、義兵衛様の話は、ついこの間のことでございましょう。わたくしも、その場に一緒にいるような感じでした。

 お武家様となられた後も、いろいろとおありなのでしょう。権勢を誇る御老中・田沼様にもお目通りされたとか、もし差し障りがなければ、都合の良い時に、また教えてくださいませ」


 明るい声で和やかに話す華さん。

『こんなのんびりとした日が、たまにはあってもいいだろう』

 思えば、ここのところずっと働き詰めのような感じで、このような気が休まる1日を過ごしたのは随分と久しぶりだった。


申し訳ありませんが、373話の執筆で暗礁に乗り上げてしまい、12月11日の更新が難しくなってきています。さらに更新できないことが結構なストレスになってしまっていて、執筆することをつい逃避しようとしてしまいます。場合によっては1~2週間更新を止めてしまうかも知れませんが、ご容赦ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 書けない時は何をやっても書けないというのは、いろいろな作家さんがおっしゃっていたと記憶しております。 一度や二度更新を休まれてもよろしいのでは。
[一言] なんだかんだでおばあさまの手のひらの中ですなぁw。 やはりこの時代における人生経験の長さの差というものが大きいのでしょうね。
[一言] いいよ、ゆっくり休む、というより 作業を止めて、色々見つめ直してみたらいいかも。 思考も時に、整理してみるのがいいかもしれない。 作品の質は落ちてないし、続きは相変わらず、とても楽しいので…
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