深川・辰二郎さんとの内輪話 <C2370>
■安永7年(1778年)7月8日(太陽暦7月31日) 憑依149日目
昼前に深川・辰二郎さんの工房から全部で1000個の七輪を乗せた大八車5輌が着いた。
これで御屋敷には6000個の七輪が積みあがっていることになる。
義兵衛は、七輪を運んできた辰二郎さんと弟子の栄吉さんを呼び止め、長屋の座敷へ案内した。
「毎月1万個を作って8月末までに5万個、うち1万個は萬屋さんに卸すという約束は、職人が慣れてきているので守れますぞ。
この分だと、土さえ豊富にあれば、12月末までに合計10万個を作り出すのは、造作もないことになりましたぞ。
それで、前に義兵衛さんが疑問と言っておった土の価格ですが、……。
ほれ、栄吉。お前から説明しろ」
おずおずと栄吉さんは話し始めた。
「まず、最初に山口屋清六さんに『地の粉』をかき集めてくれるよう依頼し、現金払いをしました。結局の所、これが良くなかったようで、こちらの足元を見て現金と売り掛けの両方で支払う方法を吹っかけてきたのです。
それで、現金を事前に船頭に渡すという慣習は確かにありますが、固定の搭載品目で行うということはなく、廻船問屋が手配しているということでした。無事に荷がついた時に荷主が祝儀を渡すということも確かにありますが、これが運送費用に補填されるということでもないとわかり、船便ゆえに前渡しの現金が必要という話とは矛盾しているのです。なので、現金が必要なことを説明するために、その場で理由をでっち上げたのではないか、と推測できます。
それから、こちらに卸す土が30貫(113kg、七輪50個分相当)で1両でございますが、やはりこれは江戸中から土を集めたときの費用でした。6000貫(22.5t)もの量を揃えたのですから、かなり無理をしたのではないでしょうか。多分、現金をちらつかせて集めたのではないかと思います。目の前に小判を出されると、どうしても必要でない限り商品を出してしまうのが商人というものです。そして、そういった値段を値切りもせずあっさり通してしまったため、今後送られてくる土もその値を通そうとした、ということです。
大坂の問屋との取引価格は判りませんでしたが、このあたりは、どこもかなり利益を上乗せしているようで、最近では御武家様がからんだ土で大口の儲けが出るという噂があるそうです。この話は、産地である能登の加賀金沢藩の御武家様もからんでいるようですが、そこまでは手繰れませんでした」
加賀金沢藩の専売品にし、江戸での価格を安くするための方策、という話がどこかでゆがんでしまったようである。
義兵衛がした説明は、江戸での値段を下げる策だったはずだが、これが加賀金沢藩の利益を生むための策に変わってしまったようだ。
「こういった話を聞かされては、山口屋さんは今まで信用して仕入れを任せておったが、その実舐められていただけと判ってしまっての、どうするかを考えておるのよ」
頑固な職人は恐いのだ。
実直なだけに、裏切られたと思った時のお返しは酷いものになる。
「大量に必要なことは伝わっておりますし、不足するから売って頂く、という姿勢から買ってやる、という態度に気持ちを切り替えてはいかがでしょうか。山口屋さんのところでも、沢山仕入れたところで、この土を使うのは辰二郎さんの工房だけのはずです。吹っかけてきたのは山口屋さんですが、実際に余計な銭を払って損を被るのは私ですよ。土は私が買って、それを材料として渡す話だったのですから」
「そこなんですよ。ワシが義兵衛さんを騙した格好になっているのが気にくわんのです」
「いや、辰二郎さんのことは良く判っているので、気にしなくて良いのです。
それより、こちらからお願いがあります。
年内に作る七輪の数量を10万個としてお願いしていますが、これを8万個として2万個減らしたいのです。減らした2万個は来年作ることとしたいのです」
義兵衛は、七輪で使う練炭の生産が思わしくないこと、練炭の消費を抑えるために七輪の出回る数量を抑えたいことを説明した。
そして、この土需要の減少を上手く利用して、山口屋の支払い条件を有利に進める交渉はできないか、と告げた。
それを聞いて、目を輝かせた栄吉さんと苦い顔をした辰二郎さんという対照的な表情を見ることになった。
「ただ山口屋清六さんには、年内に後3万貫(約113t)の土が要るという話はしている。値段のことは言っていないが、当然、全部で1000両(1億円)分は買い上げると見ているに違いないし、その話を受けて手配を始めている訳だから、今更年内は2万貫で済むので減らしてくれ、とは今更言い難い」
そうして、七輪製造を工夫することで1個に使う能登の土が750匁(約2.8kg)ではなく500匁(約1.9kg)にまで減らしていることを説明してくれた。
「いえ、伯父様。だからこそ、交渉が出来ましょう。山口屋さんも、日程にゆとりがあれば急ぎの手配をせずとも済み、大坂との値段交渉も有利に進められましょう。7月生産分として確保できた土の量からすると、閏7月末までは今工房にある土で充分足ります。さらに、発注主の義兵衛様からは、年内の生産量を多少減らしても良いというお言葉を頂いております。
口約束でございますから、向後買い入れる土についての価格は交渉できましょう。まずは、60貫で1両と今の半額にすることを吹っかけても良いかと思いますがどうでしょう」
前の経緯に引きずられない栄吉さんは、商家で鍛えられたのか、なかなか鋭い視点を持っているようだ。
そして、義兵衛が加賀金沢藩の渡邉様に説いた方策では、100貫1両となっていたので、もしその通りになるとすれば、山口屋が栄吉さんの提案を受け入れても充分儲かるに違いない。
「土の代金は私の方で持つということですが、まだ売り上げがないので、実際にお渡しできる現金は持ち合わせていないのです。値段の交渉は時期がまだ早いと考えておりますので、まずは掛売りに切り替えてもらうように話をまとめてもらえませんか。
それから、一気に売り買いするのではなく、5日や10日ごと、あるいは山口屋さんに荷が入るごとに買い取りを提案してください。
そして、その買い取りの都度価格交渉して頂ければと考えます。価格は90貫で1両と大きく吹っかけても良いかと思いますよ」
もちろん、東回りで安価な『地の粉』あるいは『味噌岩』が江戸に到着する可能性を見てのことだ。
必要量は届かなくとも『そのルートを経由しての実物がある』ということが知れ渡れば、価格上昇の抑止力になるのだ。
この説明に辰二郎さんは頷き、栄吉さんに交渉を任せる旨の指示をした。
「それで、義兵衛さん。本当に8月末5万個、年末までに8万個でいいのかい。練炭のこともあるのかも知れないが、資金繰りも見込みがはずれて苦しくなっているのじゃないのかい。本音で必要な数量を言ってくれていいんだぜ。
実のところ、3日毎に1000個仕上げるというのが続いてはいるが、職人達も目を回しているのさ。5日毎に1000個なら、月6000個になって、丁度今の人数でいろんなことを試しながら楽しくやれる状態になるのでさぁ。ただ、そうすると8月末で35000個、年末までで累計7万個と少ぉし減っちまうんだけどね。
ああ、それでも必要な時には3日で、いや2日で1000個という状態には直ぐ持っていけるようにはしておきますぜ。
そこいらあたりは、この辰二郎にドンとお任せくだされ」
どうやらいろいろと察してくれたようだ。
義兵衛は、それで良いと頭を下げ、そして辰二郎さんたちを見送った。
練炭に合わせた七輪の製造計画縮小は、どうにかなりそうで、ホッとしたのだった。
来週投下予定の373話(12月11日分)で暗礁に乗り上げてしまってます。
土曜日から4日かけて10行ほどしか進んでおらず、落ち込んでます。田沼意知様の登場する予定の所で、書いて迷っては消しの繰り返しになっています。どうやら、政治向きの話になってくると、筆が鈍るようで、思い切って方向転換するかも知れません。ストック切れに悩むきただでした。




