米の備蓄を増やすにはロジスティクスが肝心 <C237>
多少くどい数字の話しの部分になります。
しかし、竹森・義兵衛間の相談具合が感じれる話となっていますのでそれをわかって頂ければと思います。
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「単位面積あたりの米の収量を増やすという取り組みは、色々と難しいのが判った。
では、外から米を買って備蓄するという方法を考えてみよう」
必要とする量から見ても、これが本命の案なのだ。
「毎年秋に90石の米を買ってきて、これを蔵に積む、というのが妥当だ。
今年の秋、20石の備蓄に70石の収穫があり、90石を買い込むので、180石積みあがる。
来年の秋、130石の備蓄に70石の収穫があり、90石を買い込むので、290石積みあがる。
3年目の秋、240石の備蓄に70石の収穫があり、90石を買い込むので、400石積みあがる。
4年目以降は、350石の備蓄から増分はなく、以降毎年50石ずつ減っていく。
これが基本の計画になる。
課題を書き出していこう」
義兵衛にこう問いかけをする。
「まず、購入するお金ですね」
「確かにその通りだが、ちょっとそれは横に置いておこう。
年毎に100両というお金が必要になるが、その捻出は後で考えよう。
お金があるとして、何が問題になるのかな」
実際にいざ手配となった時に起きるトラブルのことを予め考えておくことで、普段目にするもの・耳にする話から得る情報の深さが変わってくるのだ。
「どこからどうやってお米を買うか、ですか。
米を作るほうですから、買い方を知らないです。
そういえば、年貢米を納めるお館様の蔵にお米がありますよね。
確か100石以上もある米を商家に売りさばいていますね。
これを貰ってきて、代金を払えばいい。
蔵の中の90石を、江戸に持ち出すのではなく、金程村に持ってくればいい」
「結論はそうなるが、簡単にいくとは思えない。
金程村が生産するより多い量の米を持ち出すのは不自然だ。
飢饉に備えて備蓄を増やしている、という話をしなければならない。
金程村の動向を気にしている他の村も、備蓄を増やすことをするかも知れない。
今年の秋は、あまり気にせず売ってもらえる可能性はある。
しかし、来年以降は難しいのではないかな。
米を買い付ける商家は、こういった動きに敏感だ。
毎年70石位の米を買い付けていた椿井家に米が無く、逆に20石を買い上げるなどということが起きる。
しかも、これが3年続く。
4年目、商家はどう思うだろうか。
また、飢饉が終わった後、商家は今と同様に椿井家の米を扱ってくれるとは思えない」
「お館様の蔵のお米は、お殿様だけのものではないということですね。
取引される商家もかかわってくるとなると……
まず、備蓄を増やしたいという話を甲三郎さんに通す。
そのためには、飢饉が迫っていることを匂わす。
次に、米を90石買いたい話を商家に通す。
この時、遠いところから運ぶのではなく、お館様の蔵の米を移す方向で済むことを匂わす。
それでも不足する20石は、受け取りに行く位のことはしても良いと言う」
義兵衛の考えで多分正解だろう。
その方向で詰めていって、まず名主・百太郎への献策になる。
「では、その話が通ったとしての問題はなにがあるかな」
義兵衛に買い付けに成功した後のことを問う。
「ちょっと思いつきません」
まあ、いきなりなら出てこないのも当然だろう。
「運搬と備蓄という言葉から気づくことがあるだろう」
義兵衛は、具体的な状況を思い浮かべるに違いない。
「お館様の蔵から70石(=175俵)もの米を運び出すのは大変だろうな。
年貢米20石(=50俵)を納めるのも、一苦労している。
ここの蔵との距離は約半里(=2Km)だが、登り下りが多いので、ひとりが1日で運べるのは10俵がやっと。
70石の米を運ぶには、10人で運んで丸々2日かかる。
商家が持ってくる20石の手渡し場所が登戸村だとすると、細山村を過ぎて全部で3里の距離となり、これは遠い。
そして、代官所の蔵となると、世田谷代官所、小杉代官所か八王子代官所となり、もっと遠い。
運び方を考えておいたほうが良いのでしょうね」
まずは、そこに着目したのは良い。
「義兵衛さん。運ぶという考えもあるが、例えばお館様の蔵とか、白井家の蔵を借りてしまうという考えはできないかな」
俺はレンタルのトランクルームという発想を伝えた。
「それは、甘い考えですよ。
イザという時の米です。
周りに食べるものが不足している状態で、その時になって運び出せると思いますか。
ましてや、お館様の蔵なんて、書類一つで没収されてしまいますよ」
これは一本取られた。
平成日本のように一揆や飢えに無縁な時代では秩序が保たれており、公的権力も三権分立で独走しないように押さえ込まれている。
なので、自動販売機や無人販売所なんてものも平気で置ける世の中だったが、この時代はそこまでいっていない。
平成の世でも、こんなことがまかり通るのは日本位なものなのだ。
その稀有な所で暮らしていたので、発想の基準がどうしても平成日本になってしまっていたのだ。
「義兵衛さん、確かにその通りだった。
村の中で保管・管理するのが正しい。
では、膨大な米を迅速に運搬する手段が必要ということでよいな」
「そうです。
しっかりしてくださいよ。
ここは240年後の世界じゃないのですから」
思いもかけず義兵衛から注意されてしまった。
昨夜の質問からいいところなしという状態になっている。
「運搬には、やはり車が良い。
2輪車と4輪車が考えられる。
しかし、この車を使うには、2輪車にせよ4輪車にせよ、ちゃんとした幅で凹みがない道がないとどうにもならない。
更に、坂道があると途端に運搬効率が悪くなる。
先に、水車の時に等高線に沿って水路を作るという話が出ただろう。
それと同じように、多少曲がりくねってもそれなりの幅のある水平な道があったほうが、車での運搬がしやすい」
「理屈はその通りなのでしょうが、道を作るとなると人手の問題にぶち当たります。
新しい道を作る人手で、米が運べてしまいます。
長い目で村の繁栄を考えれば、平坦な幅広の途があったほうがいいのでしょうが、4年間で道を作ってでは間に合いませんよ」
またもや、一本取られた。
「なるほど、その通りだなあ。
4輪の荷馬車が使えるような道は、手があいた時に、計画的にちょっとずつ作るしかないか。
しかし、土地がからむとなると、田や畑をつぶす話だけに、進まないだろうな。
商家から買う20石の米は、登戸村の信用できる場所に蔵を借りて一時保管し、練炭を運んだ帰りに蔵の米を持ち帰る、という蟻のような作戦しかないか。
蔵をいつも借りて、練炭置き場にしておく、なんて使い方もあるのかな」
「登戸村と途中の五反田村までは比較的平坦です。
その2つの村と細山村に一時的に蔵を借り、登戸・五反田間は荷車で、五反田・細山間は荷駄で、細山・金程間は背負い梯子の人力で米と練炭を運ぶということでどうでしょう。
3区間と蔵の在庫状況で、人足を雇うのもあると思います。
村でもの外に運ぶのは、木炭卸しの関係から、大工の彦左衛門さんが指揮して行っています。
時期と物量の目安ができたら、彦左衛門さんに相談するのがいいと思います」
これは良案だ。
それぞれ必要とする蔵の大きさを、空きがでないような使い方をこれから考えておけばよい。
「基本的な数字、例えばそれぞれの方法でどれ位米や炭を運べるのかの目安は、大人たちに諮る前に助太郎から聞いておいて、それで計画を立ててもいいのじゃないか。
場合によっては、助太郎も練炭売りで関わらせたほうがいいぞ」
俺の目から見ても、百太郎が言うように、義兵衛さんは結構色々考えるようになってきている。
助太郎もそうだが、この年代の2人は頼もしい限りだ。
憑依者である竹森貴広は何でかいいとこなし、という風になってきました。
それに反して、義兵衛さんの成長には著しいものがあります。
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