この村には、今木炭がない <C2363>
■安永7年(1778年)7月2日(太陽暦7月25日) 憑依143日目
早朝に安兵衛さんは屋敷に来て、名内村へ向かう隊列に加わった。
全部で11名となった椿井家領地の一行は、先頭に義兵衛と安兵衛さん、最後尾に助太郎と佐助さんという列で3番町の杉原様のお屋敷へ向かう。
お屋敷へ着くと、名内村の6名はすでに門前で待っていた。
「今回、御代官様は一緒ではございません。10日ほど経ち状況が落ち着いた頃を見計らって村に来るとのことです」
合流して17名となった一行は、まずは千住大橋を目指した。
道々、昨夜の様子を秋谷修吾さんに尋ねると、少し厳しい顔をして様子を教えてくれた。
「御殿様に工房の様子を話した後、細山村の寺子屋のことを説明し、その有用性を説いた。そして、名内村でも同じようにして欲しいという要望を出したのだが『村のことは名主に任せてある。寺子屋を興したいのであれば、そのようにすれば良い』と仰られた。
何かあるといつも村に来られる山崎様も、村人を教育することに特に興味を示されなかった。別に費用を負担してもらいたい、と言った訳でもないのに、そのあたりのことが透けて見えたのかなぁ。
ワシの言い方が不味かったのかのぉ」
なんと相槌を打ったら良いものか。
どうやら杉原様は、名内村の村人がどう暮らしているのか、ということには無頓着なことが良く判る。
極論を言えば、知行地からそれに見合う年貢さえ納められれば、あとはどうなろうと知ったことではない、と聞こえるのだ。
失礼を承知で、そう確認するための意見を述べると、肯定を示す頷きを示した。
そこで一旦話は途絶えたが、江戸川を渡り松戸の宿を越え、鮮魚街道に入ってから、再び義兵衛さんは秋谷さんに尋ねた。
「何故ゆえ、知行地に対して関心がないのかを考えてみましたが、いささか不思議です。杉原様はこの村しか知行地がないのであれば、この村の隆盛が旗本としての生活の肝でございましょう。なぜ関心を持たないのかご存知ありませんか」
「そうさの。杉原家がこの村を御領として与えられたのは、元禄(1688年~1704年)年間の頃と聞いております。それより前は関東郡代の代官様を始め、勘定方直轄の代官様などの差配が続いており、お代官様からの影響が大きいことが考えられましょう。今でも直接・間接に差配されております。
現に中や河原子という旧牧の地について、直轄の代官様の指図で近隣4箇所の村から人を出して開墾しております。名内村に割り振られたところだけで、おおよそ300石もの取れ高が見込まれており、230石しかない親村よりもよほど大きいのです。
直轄の代官様の力の方が強いので、村としてもそちらの指図で動くことも多く、そういった経緯が影響しているのやも知れません。実際に、河原子で名内村の者が揉め事を起こしてしまうと、勘定所のお代官様と旗本・杉原様の間での預かりとなりますが、杉原様が強く出た例がなく、結局はお代官様の言いなりです。そういったことが重なった結果でしょうかね」
なにやら係争地がからむ話になりそうだが、そこへ踏み込んでしまうと果てがなさそうだ。
なので、義兵衛はこの話を打ち切る方向に持っていった。
「そのような経緯で杉原様が村の運営に介入されないのであれば、それを奇貨として、秋谷様がしたいようになされば良いのではないのでしょうか。開墾されている場所の分家衆も含めて寺子屋を興せば良いのですよ。ただ、その成果が出るのは結構先のこととなりましょうゆえ、長い目で見ることが必要ですけどね」
「うむ、そうは思っているのだがな。ただ新しいことを始めるには、いろいろと準備が要る。これを自分が差配せねばならぬと思うたら、最初のやる気が失せて来る。まず、資金が要る。場所も用意し、師匠も求めねばならぬ。世話人も要ろう。
練炭の工房管理者に三之丞を充て、そこで皆を差配させ、三之丞から要求があったものを最低限準備するだけで良いのとは違うのだ」
ここまで聞いて、名主の秋谷修吾さんは、とても残念な人だったことに気づいた。
道理で、係争地の案件が棚上げされたままだった。
こうなってくると、むしろ目端の利いた他村によく今まで侵食されずに残っていたものだ、と思った。
こういった背景に近いことを聞き出す内に、鮮魚街道を離れ、昼過ぎという早い時間に名内村に入ってきた。
細山村・金程村からの一行と義兵衛・安兵衛さんは、とりあえず秋谷さんの敷地内にある代官宅へ上がりこみ、荷を解いた。
そして弥生さんは、本宅の女中部屋の一角へ移動、佐助さん達・樵一行6人は、門脇の番小屋へ移動した。
助太郎は、持ってきた道具類を工房予定の納屋まで運び、配置を始めている。
やがて、工房にする納屋までやってきた血脇三之丞さんを捕まえ、段取りの弱点を確かめた。
「工房の中の作業はお任せください。しかし、私の見るところ、問題は原料となる木炭の調達です。秋谷修吾さんへ調達をお願いしていますが、この村で余剰になっていた木炭は先日集めたもので全部でしょう。すると、木炭窯で焼いて作る必要があります。
ですが、その元になる木材や焼くための薪など準備はできておらぬでしょう。ならば、近隣の村にあたりをつけて調達交渉する必要があるのですが、多分何も手配していないですよね。これは参りました」
そこで義兵衛は助太郎と安兵衛さんに三之丞さんを加え、秋谷修吾さんへ談判するため母屋へ入っていった。
「練炭を作るためには、原料となる木炭が不可欠です。この準備は私の運営する工房の管理外ですので、名主様で手当てして頂くことになっていると理解しています。いつから、どれ位の木炭を搬入して頂けますでしょうか」
三之丞さんは修吾さんへ語気を強めて迫った。
「前回、来て頂いた佐助さんが見て廻り報告しておったであろう。『森の管理と炭焼窯から作り直す必要がある』と。今回応援を出してくれておるので、そちらに見通しを聞かれるのが良かろう」
ぬらりくらりとした答弁、責任者らしからぬ質疑応答が続いていた。
このままでは時間だけが無駄に過ぎてしまうと判断した義兵衛が割り込んだ。
「明日からでも木炭が要るのです。それがないと、練炭は作れません。この村で木炭を作りだせるようになるまで、他の所から木炭を買い入れるしかありません。1000個作るには、350貫の木炭が必要です。1俵4貫なので、88俵になります。
私の里では薪炭問屋に1俵400文で卸していましたから、その相場であるなら約9両が必要です。
『この村では自分の所で消費する分しか作っていない』と聞いたので、売値はともかく卸値はご存知ないですよね。
それで、この近辺でそういった値段のことを知っている近隣の村の人を教えてください。
そして、案内して下さい。それ位はして頂かないと、この村での生産は、どうにもなりません」
ただならぬ様相で修吾さんに迫っていると、三之丞さんもグイッと身を乗り出してきた。
この迫力に負けたのか、修吾さんは口を開いた。
「それは富塚村だな。確か、あそこの村は多くはないが木炭を卸しておる。名主はそのあたりのことを知っておろう。
ここから1里ほど江戸よりで、実は通ってきた街道で開拓地に入る前にあった村なのだ。
では、無駄足になるかも知れぬが、行ってみるか」
助太郎と三之丞さんは、工房の整備作業と来ている作業者への挨拶などあるため居残ることとなり、秋谷修吾さんと安兵衛さん、それに義兵衛の3人で富塚村へ向うことになったのだ。




