金程村から戻ってきた名内村一行 <C2361>
通常は夕方に到着するはずの里からの定期便が、それより随分早い昼過ぎの時間にはもう屋敷に到着していた。
いつもの定期便に、一緒に付いてきている者が大勢いたのだ。
工房からは、助太郎・近蔵・弥生さんが、細山村樵家からは、佐助さんとその応援5名が来ていた。
そして、名内村で練炭生産にかかわる秋谷修吾さんと血脇三之丞さん、主要家の4名が当然のようにおり、それぞれがお土産のようにいろいろな道具を担いでいた。
今回は、百太郎や米さんは同行しておらず、助太郎が一行を率いてきた格好になっている。
「随分と早く着いた様だが、一体どうしたのか」
「ああ、名内村の6人が焦っているのか、どんどん早く進むのでこうなってしまった。
工房や森・炭焼窯など存分に見てもらい、必要なことは余す所なく見せた。
それで一番衝撃を与えたのは、春さんのやっている仕事、とのことだ。まだ小さいのに帳面付けをし、作業中の班長に耳打ちしたり、その日の予定や先を見て手配することが判るように札に書き付けしておくのを見て仰天していた。
『血脇三之丞さんであれば、似たようなことはできるが、そもそも読み書きできる人が村には少ない。大人でも書かれた指示を見て動ける人は男の半分位なのだ。ましてや子供でこのようなことが出来る者はいない』とのことだ。
数を正確に数えて計算できること、文字を読めて書けること、これを工房で奉公している小さな子供が、それも女児も含めて皆できることを知って驚いたのだ。朝礼や終礼、班長は皆寮暮らしとなっていることなどにもしきりと感心していた。
それで、こういった運営の基盤が代々の御殿様のこしらえた寺子屋に由来することを知ると、是非名内村でも同様のことをしたいと杉原様に直訴したいと意気込んでおるのだ。
いつもの朝よりかなり早めに出たということもさることながら、秋谷様に引きずられるように、皆自然と早足になり、このような時間に着いてしまった」
やる気に燃えるのは結構なことだが、そう簡単なことではないのだ。
細山村・金程村で人々の意識が少しでも変わり、工房が立ち上げる下地・素養ができるまで60年もかかっているのだ。
それさえも、まだ工房による莫大な利益が見えて、初めて見えるような変化に繋がったのだ。
いや、これは逆に、そのような素養が村人全員に浸透していたからこそ、工房の立ち上げという激変を乗り越えることができたのだ。
「う~ん。逸る気は判るが、そう簡単ではないだろう。書かれた指示を必要な人が読み取れなければ、効率的に物が作れない、ということが判ったのだろうな。
里では寺子屋があるので子供は7歳にもなれば、やさしい言葉で書かれている一通りの指示は理解できるし、記録された失敗から学ぶこともできる。この利点は実に大きいことを実感したのだろう。だからと言って、生産の立ち上げに間に合うように村人を教育するというのは到底間に合わんだろう。
おそらく秋谷さんは『長期視点で底力を付ける』話を杉原様に聞かせたいのだろうが、ゆとりのない今では逆効果になる可能性もある。助太郎には、文字・数字が読めない人にも指示の意図が間違いなく伝わる方法を編み出してもらうことになるだろうな」
村での視察の状況を聞きつつそう意見すると、助太郎はビクリと体を震わせた。
その様子を見ていた血脇三之丞さんが近づいてきた。
「助太郎さん、何をお話ししておられますかな」
「ああ、この事業の発案・元締めをしている義兵衛さんに、名内村で展開するにあたっての注意事項を聞いていた。
見て判ったかも知れないが、工房で生産を効率的に行うために、文字が書かれた木札を回して使っている。木札に書かれた内容を読み取れない作業者がいるときに、どうすれば良いかを考えるように忠告されていたのさ」
「そうかも知れませんが、名内村でも班長には読み書きできる人を充てます。その人に色々と経験させ、道理を理解してもらって弟子を育てればよろしかろう。今回、金程村を見学させて頂いた者は、皆読み書きには不自由しておりません。始めてみれば判ると思いますが、金程村の工房で働いていた子供等が作るより、ずっと早く沢山練炭を作ることができますよ。お任せください」
三之丞さんは自信ありげに言うが、ことは簡単ではない。
名内村で作業する人が皆三之丞さんと同じレベルではないのだ。
おそらく、実際に管理し始めて実態を知ることになるのだろう。
「それはそうと、私を含めた名内村の6名はこれから杉原様の屋敷へ行きます。そして、明日朝に助太郎さんに寄って頂いてから一緒に村へ出立したいと考えています。
なによりも、椿井家の知行地のありようを直接目にして、これを御殿様(旗本・杉原様)に伝えることがどうしても必要と名主・秋谷様が強く主張しておるのですよ。私の見る所、御殿様の知行地は名内村一つですから、御殿様に縋るのではなく、名主様が自らなされば良いだけのことで、今更御殿様を引き入れるとかえってややこしいことに成り兼ねないと思っているのですがね。代官の山崎様は口にされませんでしたが、木炭加工で得た利益の一部はどうせ御殿様の懐に入るのでしょう。そうでもなければ、年貢の軽減なんて餌を撒きませんよ。
あっ、これはここだけの話ということでよろしくお願いしますよ」
三之丞さんは、上のやることを結構冷静に見ていることが良くわかる意見を述べて村の衆の所へ戻っていった。
そして、名内村の6人は3番町の杉原様の屋敷へ向かい門を出ていった。
「血脇三之丞さんはあのように言っておったが、実際に手掛けると思うようにいかん事に気づくのだろうなぁ。他人は自分と違う意見と資質を持っていることに、まだ気づいておらんのだろうから仕方あるまい。
あと、秋谷さんについてだが、こればかりは三之丞さんの意見に全く賛成だな。あの人は、他人任せな所がある。ただ、上手く使える上役という感じで立てていれば良いのだろうな。
あまり人を悪く言うのは性に合わんが、この組み合わせで上手く行く時は良いが、困った状態になると押し付け合いが始まって、事業が進まんようになりそうだ。なので、誰か悪役をわざと置くしかないな。その役は辛いかも知れんが、近蔵に頼むしかないだろう。
それから、自分も1ヶ月位は名内村に滞在して段取りを整えるつもりだが、やはり原料の木炭が気になっている。
義兵衛さんに何か良い考えがあるのであれば、しばらく一緒に来てもらえないだろうか」
名内村は手賀沼のほとりにある村なので、冷害・水害にさえ遭わなければ米の出来はまずまずであり、金程村のように寒村という訳ではない。
また、木下街道というにぎやかな往来道も近くを通っているため、身分差という世の中の縮図の影響を受けており、それにまた各々がそれなりの仕事をして多少苦しいながらも、普通の百姓の生活ができているようだ。
そうすると、一致協力して物事にあたるというのが金程村ほど容易ではなさそうだ。
いろいろ考え合わせると、異なる視点で物を見れる義兵衛が同行したほうがよさそうだ、と判断した。
「ところで、米さんや工房の状況はどうなっているのかな」
「今回も米さんは同行したがったが、米さんが留守にしている間の工房の薄厚練炭の生産能力は日産9000個まで低下してしまっていた。
そういったこともあり、今回は残してきた。やはり班長級が2人抜けると日産1万個達成は難しいようだ。弥生さんの代わりが育成できるまで、班長級の者は長期に持ち場を離れないことにするしかない。残念なことに色恋沙汰にかかわっている余裕はないことを、きちんと理解するよう言い含めた」
ここで義兵衛は言いたいこともあったが、どう話して良いのかの見当もつかないのでグッとこらえたのだ。




