米の収穫量を増やしたくない心理 <C236>
そりゃ転移者が完璧ということはありません。「だって にんげん だもの」
翌朝、父の書斎を借りて昨夜の質問を一緒に考えることにした。
「年貢米を納めないとして、3年間で備蓄に回せる米は20石×3の60石。
150俵になります。
端境期の備蓄50俵と併せて200俵。
ですが、3年後の秋に例年通り70石(=175俵)の米を収穫したとき、150俵の備蓄米と合わせて325俵(=130石)の米が蔵に積みあがることになります。
伊藤家は大きな蔵を持っていますが、その7割近くまで米があるという嬉しい状況です。
しかし、7年分の米を備蓄するとなると、50石×7年の350石(=875俵)がこの時点で積みあがっていないと食料が足りないことになります」
義兵衛が説明したが、昨夜は270石と言っていたのに、今は220石=550俵不足に見える。
「義兵衛さん、1石は2俵半で換算すればいいのだけど、どちらかに統一して考えよう。
実際の大きさや量を考えるのは、俵(=60Kg)が適してる。
だが、年貢や換金性を考えると石で統一して考えたほうが良い。
伊藤家の蔵も200石が入る上限という認識でいいのじゃないかな」
3年目の備蓄80石と言った時に3年目の消費50石が入っているのに対し、先の計算は3年目収穫期から4年目収穫期までに消費する50石を積みあがる米に入れているのだ。
「判りました。
4年目に収穫がないと、蔵の中には80石しか米がない、でよいですか。
そして5年目にも収穫がないと備蓄が30石になり、8ヶ月目に米が無くなる。
そして、10年目が終わるまで何もない。
5年5ヶ月間に50人が消費する米は270石で、これが更に必要な米の量になる。
これでいいですか」
結局、どう考えても3年間に270石分の米を備蓄として追加するしかないということは変わらない。
「村の中の努力でできることと、外から米を買って備蓄するという両面で考えよう」
昨夜考えたことを義兵衛に伝えていく。
「まず、天災で米の収穫が見込めないときにでも確保できる穀類や主食に代わる芋類を作り、これを食べて米の消費を抑える。
結果として270石も備蓄する必要が無くなるが、切り札になる薩摩芋の収穫量がどの程度になるのか、作付け面積あたりの収量・冷夏時の収穫量の予想ができないため、今これを考えてもしょうがない。
なので、確実にできる次策として、今の米の収量を上げることを考えたい。
この村では、土壌改良や肥料ということをどの程度しているのかを教えて欲しい」
「土壌改良というのは、何を指すのか良く判らない。
肥料は、畑には堆肥を使っている程度で、田については特に何もしていない」
「土壌改良は、例えば深田の底に排水用の筒を入れ水捌けを良くし、山の腐葉土を入れて普通の田に換えたり、藁灰などのアルカリ成分を入れて酸性土を中和したりすることだ」
「折角の説明に口を挟んで申し訳ないが、腐葉土、アルカリ・酸性・中和という言葉がさっぱりわからない。
なので、まあ深田の水捌けを良くするのはともかく、それ以外は何をするのかがさっぱり見当がつかない」
「七輪・練炭を百太郎に説明した時に、実物がないと判らない、と言ったことと同じなんだな。
いずれにせよ、何もしていないということは判った。
言葉の説明は今はもう関係ないので別なときにでもしよう」
この分だと、三大栄養素なんて話しは、そのままでは絶対理解できないに違いない。
なので、理由の説明はあきらめ、どうするのが良いかだけに集中しよう。
「豆類の栽培をすると、生えている土地に栄養分を与える。
秋に豆科植物のレンゲの種をまき、春の田起しの時に鋤込むとそれが栄養となって稲の収量が増える。
こういった植物を使って土に栄養を与える方法があるが、今の時期だと間に合わない。
なので、魚粕を買ってきてこれを田起しのときに一緒に鋤くと良い。
田の水路についても、工夫する余地がある。
山から湧き出て流れてくる水の中に、微量の栄養分が含まれていて、これで稲が良く育つ。
魚粕を鋤き込んだ田から流れ出る水には多くの栄養素が含まれている。
なので、水を田に引き込むときに、直接流れから引き込む水路を作るが、田から溢れた水を流れに戻すのではなく、次の田に導くようにすれば、栄養分をより多く含んだ水を使いまわすことができる」
「魚粕とは、なんですか」
「海で群れて泳いでいるイワシやニシンなどの魚から、油を搾り取った後に残ったものさ。
最近は蝦夷地で取れるニシンを原料とした金肥が売られている。
ただ、1俵1両とかなり高いのが難なのだ」
高い肥料を使ってまで、1反あたりの収穫を増やすべきなのだろうか。
肥料の値段にまで思いが至ったとき、この疑問が頭をよぎった。
村の石高は、平均的な米の収穫量としているが、実際にはちょっと違う。
村の田は1枚ごとに、上田・中田・下田に格付けされている。
田の1反=300坪=990平方メートル=約50メートル×約20メートルごとに取れる米の標準収量を3つの区分で示している。
この収穫量のことを石盛といい、上田は1.5石、中田は1.3石、下田は1.1石がその標準収量である。
村の上田・中田・下田の各総面積を出し、これに石盛の収量を掛けたものの合計が、この村の石高なのだ。
具体的に金程村では上田6反で9石、中田17反で22.1石、下田36反で39.6石の計59反で70.7石となっている。
では、村人の努力で1両分の肥料を投入し、10反の下田で1反あたりの収量を1.1石から1.3石に増やすことができたらどうなるか。
お上は、下田の面積を10反減らし26反とし、中田の面積を10反増やして27反と帳面に付ける。
そして、村の石高が70.7石が72.7石になる。
増えた2石の半分が、年貢米になり、手元には増えた1石が残るという結果になるのだ。
お上は、帳面の数字をちょいと書き換え、必死で頑張った農家には増えた米を半分残して頂けるということだ。
確かに、これでは割りが合わない。
米が主体の世の中であれば「何もしないで下田のままにしておき、普通通りにしておくのが良い」と考えるのが普通だ。
要は、税金が余計にかかることをする気にならない仕組みなのだ。
つまり、よほどの事がないと、収量を上げる意欲が湧かない制度なのだ。
もし肥料の1両が工面できるとして、それを得ることができたら、米以外に使ってしまうことになるのは当然と言えば当然なのだ。
「年貢米のことを考えるから、収量を増やすことに怯えるのだな。
年貢を米で納める心配がなくなれば、大丈夫なのじゃないかな」
俺は結論だけ義兵衛に告げた。
「いいえ、年貢の基礎がここにある以上、基礎額を引き上げる行為は愚か者のすることでしょう。
新しく開墾して田が増えるのとは訳が違います」
確かに、義兵衛の言う通りだ。
専業主婦が103万円という枠を意識して、それ以上働かないというロジックと同じだ。
女性活躍推進法なんて作っても、税制が変わらないと、おいそれと進まないのと同じことなのだ。
だとすると、米の収量を上げるという方策は取れない、ということになる。
文句は言えないが、この江戸時代の米を基礎とした経済・税制は欠陥が多い。
竹森貴広(憑依者)が出す案がボロボロです。書いているうちに、江戸時代は、米の単位面積当たりの収量を増やそうとする心理が働かない経済だったことに思い当たってしまいました。
江戸時代の当時、実在の金程村は結構したたかで、米(60石:年貢用?)の裏作で大麦(70石)を作っていました。また、一部の田では米でなく大豆(10石)も作り、土地に窒素分を与えています。明治の初頭には、家の戸数も13戸となっており、人口もお話の50人より遥かに多かったようです。農家は麦飯主体の食事をしていた様です。
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