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萬屋さんへ借金の申し込み <C2358>

 ■安永7年(1778年)6月29日(太陽暦7月23日) 憑依141日目


 義兵衛が木炭加工品を売り出す先の重要な顧客と認識している料亭の、今や重要な関心事項となっている仕出し料理の座の寄り合いが無事終わり、今後の運営や興行に関してもう手離れできる状態になってきた、と義兵衛は認識した。

 ただ、秋口の七輪や練炭の最初の売り込み先として、この座の料亭が最有力なので無碍にはできない。

 たとえ座に加入している料亭が250軒になろうとも、七輪一個と練炭数個を組み合わせたものを無償で配る位のことをしても、無駄にはなるまい。

 客室で七輪を置いて暖を取る仕組みを一部屋作ってしまうと、全部の部屋に設置せねばならなくなるのは見えており、部屋の稼動分だけ薄厚練炭が消費されることになるのだ。

 普通練炭1個を卸して140文の収入の内訳は名内村とそう変わるものではないが、工房が椿井家所有の位置づけであり、そこで働く子供達は皆奉公人扱いとなっている。

 このため、利益の大半が椿井家にまず入ることになるのだ。

 勿論、工房には、原料を購入する費用、奉公人への賃金、器具を購入する費用以外にも幾何かの自由裁量で使える費用が入ることになってはいる。

 また、各村の名主には年貢米納付量の軽減と、村での飢饉対策費用としてそれ相応の費用も渡されることになっている。

 しかし、残る利益は全て椿井家に入ることになっており、年末の売掛金は細江紳一郎様が御殿様の指示の下で管理する方向なのだ。

 更に、義兵衛の献策に従い、萬屋に預けて運用益を家に入れる方針となっている。

 高々250組の七輪組を無償で配っても、初期投資する営業費用とすれば大したことではない。

 そこまで瞬時に思い浮かべた義兵衛は、その次に狙う顧客として、寺院を考えているのだった。


『寺のお堂や講堂は寒かろう。若い修行僧ならばともかく、老僧には冬の寒さがこたえるに違いない。そして、一度そのぬくさを知ってしまえば、手放せるものではないことは、大丸村の円照寺で実証済なのだ。さて、どう攻めるか考えねばならぬ』


 寺社を狙いとした場合、興行にかかわる寺社にも売れると踏んでいるが、直接かかわりを持つのがやはり興行に関係する3寺院しか今のところ繋がりがないのが心細いところなのだ。

 その意味では、興行にかかわる寺社奉行様の御力添えが欲しいところではあるが、ここを頼ってしまうと、練炭の供給不足を引き起こした後が怖いので、今は様子見しかない。

 本当は武家を相手として売り込みを図りたい所なのだが、これに高位の方をからめると、やはり練炭の不足が恐ろしい。

 しかも、武家や寺社はすでに既存の薪炭問屋が取り込んでいて、奈良屋さんから9月の一カ月は自由と一札を取っているとは言え、他の顧客に手をつける格好になるため、萬屋さんは同業者から恨まれることに成り兼ねないのだ。

 そうなると、薪炭問屋における萬屋さんの地位・立場をきちんとするべく、事前の意識改革が重要となるのだ。

 そして、売り物である練炭をどれだけ潤沢に、需要に見合う量を供給することができるのかが課題なのだ。

 いつもここでグルグル回りをしてしまっている。

 ともかく、後3ヶ月の間に萬屋さんがどう変わっていこうとするのか、がやはり鍵になる。

 能登の土のことで、借財を申し入れねばならない事情もある。

 そうして、椿井家の屋敷にやってきた安兵衛さんと一緒に萬屋さんの店へと向かった。


「今日はどのような予定でしょうか」


 紳一郎様には事前に今日の行き先など概要を報告しているが、やはり借財の件は持ち出せていないのだ。


「萬屋の千次郎さんにいろいろと相談があるのさ」


 ことも無げに言うが、実は大変な内容なのだ。

 裏口から店の中に入り中の座敷を覗くと、お婆様と千次郎さんが話し込んでいた。


「義兵衛です。今日はいろいろと相談したい件があり、寄せてもらいました」


「義兵衛様から相談とは、これまた大仰なことでございますね。『こうして欲しい』と最初からおっしゃってくだされば、このお婆はどのようなことでも全力で取り組みさせて頂きますよ」


「ありがとうございます。まず、練炭の委託生産の話です。

 先日、名内村の視察に行きましたが、原料となる木炭の調達量が厳しく、年末頃になって日産1万個程度の見込みです」


 そして、義兵衛は見て・聞いて判明した問題点を大雑把に説明した。


「金程村では普通練炭に換算して日産2500個なので、合わせて12500個にしかなりません。それに対する七輪は売り切れれば10万個です。練炭が圧倒的に足りないのは、間違いありません。七輪の半分が使われるとしても、毎日約3万個の練炭が不足するのです。こうなると、今年はなんとかなっても、翌年からは七輪・練炭という暖房器具は見向きもされなくなるでしょう。

 この事態を養父の細江紳一郎様に報告したところ『近くの佐倉藩の堀田備前守様の所に話を持ち込むのが良いやも』という示唆を頂いております。佐倉藩より薪炭を仕入れている問屋がありますならば、御教え頂きたくお願いします」


「それは、奈良屋重太郎さんであろう。そもそも佐倉に良い木炭が出来る所があるという話が発端であろう」


 千次郎さんが集めてきた情報の中に、下総国の話があって始まった事なのだ。


「ではこの件について、まず重太郎さんと相談したいので、千次郎さんから都合を確認して頂けると助かります」


 そして、義兵衛はゴクリと喉を動かした後、多少怯えながら切り出した。


「今、深川の辰二郎さんに七輪を作ってもらっているのですが、この素材として重要な能登の土は値が張ることから椿井家が負担することになっています。そして、この土を入手するにあたり、菱垣廻船を使うことから、半値に相当する分の現金の事前提供が必要だと瀬戸物屋の山口屋清六さんに言われております。

 その値が、7月から8月末までの3カ月間に作る七輪4万個分の前渡し金として、半金の400両(4000万円)もの現金が必要と言われているのです。残りの半金は年末までの掛けで良いということですが、この前金400両を私の力では準備することができません。それで、大層厚かましいお願いですが、私に現金400両を貸して頂けないでしょうか」


 義兵衛は畳に頭をこすりつけてお願いをした。

 千次郎さんは腕を組み天井を見上げ、そして話し始めた。


「うむ、そういった事情ですか。400両といえば大金です。一言でいうと用立てることは大変難しいです。

 この萬屋の運営にあたり、確かに全部で1000両(1億円)近いお金を動かし、そこから幾何いくばくかの利益を得ています。

 以前にこの店の帳簿を見られたのでご存じとは思いますが、売り上げは精々2000~3000両位で商売をしている店なのです。この春先から夏にかけて、卓上焜炉と小炭団で今までにない売り上げを得ましたが、その利益の半分位はすでにお返ししております。

 ここで、御要望にお応えしたいのは山々ですが『400両もの金額を一括して現金で』という話になると、大変難しいのです。現金のゆとりという点では、萬屋はまだまだなのです。

 まずは頭を上げてください」


 現代風に言うと、自己資本1億円、売り上げ3億円の企業で、損益はかろうじて黒字、キャッシュフローは小さく、とても4000万円もの現金を引き出すことはできない、となるようだ。

 幸いなことに現時点で借入金はない無借金経営ができているが、義兵衛の要望に応えるためには、どこかの金貸しから借金をして利息を払うしかない。

 どこぞの大通人の米問屋や札差しのように、60両を超える興行の席をポンと買えるような店ではないのだ。

 そのことは判っていただけに、千次郎さんのやんわりとした拒絶を受け入れるしかないようで、義兵衛は奥歯を噛み締めたのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 最大の弱みは、そういった方向に持っていったのが、他ならぬ自分自身であるという事ですね。
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