仕出し膳の座・寄り合い本番 <C2356>
■安永7年(1778年)6月28日(太陽暦7月22日) 憑依140日目
早朝より安兵衛さんと幸龍寺へ向かった。
寄り合いには大分早い時刻だが、事務方の面々は皆集まり今日の取り組みについて最終確認をしていた。
どうやら八百膳に泊まり込み、徹夜で議論していたようだ。
義兵衛が客殿に入ってくると、駆け寄ってきて昨夜の話し合いの結果を告げてきた。
内容は昨夕義兵衛の進言に沿った内容なので、特に追加して言うこともないようだ。
「大筋に突っ込んだ議論はしていないようですね。これでは義兵衛さんの言いなりではないですか」
一息ついた所で安兵衛さんが話しかけてくる。
確かにその通りで、今の進行に安堵する一方、これでは事務方作業から抜けられないという思いを強くした。
「この場で恐いのは、そういった大筋をひっくり返すかも知れない見解や意見が料亭の主人達から出ることです。私は自分なりに考えて進行の骨組みを伝えていますが、大筋をそう考えた理由や物の見方までは説明できておりません。
しかし、徹夜して固めた内容を先ほどざっくりと聞きましたが、中にはそういったことを考慮した節もあったので、多少とも私の意図自体は伝わっているのかと思っています。最初はこんなものですよ。いずれは壁にぶつかったり、大失敗したりして、そこから学ぶことになると思います。出来れば、私が関与できない時の寄り合いで起きる方が、薬になるので好ましいですがね」
義兵衛は、善四郎さんや千次郎さんといった仕出し膳の座をまとめる事務方が未だに自立できず、意見を求めてくる状態を不自然に思っており、手離れするためには後を引かない失敗を経験すべきではないか、と考え始めていた。
ただ、義兵衛自身がこういった所へ同席してしまうと、どうしても要所で先回りして抑え込んでしまう指示を出してしまうので、8月に幸龍寺で行われる地区予選興行への関与をしないための方策について考えようとしていたのだ。
こうしている間に、幸龍寺の客殿には、座に加入している211軒の料亭の主人達が集まり始めた。
席は事務方より指定されており、地区毎に分かれ、加入が早い順に前からの席となっている。
この寄り合いの後に行われる新規加入希望の料亭主人達は、客殿脇の控え室に順次案内され、そこで待つようにしている。
ほぼ席が埋まった頃に善四郎さんが寄り合い開始の挨拶を始めた。
「今回は、6月20日の興行までにこの座に加入された方々の全員を対象に、座の方針説明と状況報告、それと決めるべき案件に了解を得るために行います。それに先立ち、前回6月9日に行った緊急の寄り合いでは、第二回の興行を成功させる為とは言え、それまでに新規に加入されていた130軒の御主人の意見を封じさせて頂くという失礼を致しましたことを深くお詫び申し上げます。
この後から説明をさせて頂きますが、次回興行は7月ではなくその翌月の閏7月20日と1ヶ月余計に間を採ることで、準備と事前討議の時間をとり、皆様からの意見を反映したより良い形態の興行とし、仕出し膳料理が益々良い形で流行ることを考えておりますので、御協力をお願いいたします」
まず、先の寄り合いの不備を謝る姿勢を見せ、不満を制する方向へ向かせ、毎月28日を座の定期寄り合いとすることの了承を得ることから語り始めた。
次いで、興行を地方予選・本選の2部構成とすること、まずは3地区に分けて編成することを説明すると、質問・意見の嵐となったが、どれも事前の想定を超えることはなく、丁寧に説明することで捌いていった。
ただ、向島・本所・深川の料亭の主人からの意見はなにも出ず、席の3分の1を占める一角は誠に穏やかであった。
後で聞いた所では、武蔵屋の女将が中心となって主人を伴い、話を聞いてから昨日までの4日間の間に手分けして83軒の料亭に足を運び、事前にこのことを説明して回った、とのことである。
義兵衛の感覚からすると、武蔵屋の女将の姿勢こそが正しく思えてくるから不思議なものだ。
「大方良いようですな。それで、興行はこの3地区を順に閏7月から9月に毎月行い、その後の10月に本選の興行を行います。興行は20日開催を目途とします。地区予選という恰好で行うのは初めてなので、いろいろ不備があるかも知れませんが、皆で知恵を出し合って乗り切っていきたいと考えます。
それでは、今月20日に行われた興行の収支について、事務方をして頂いている薪炭問屋・萬屋さんから報告をお願いします」
議事は結構淡々と進んでいた。
「それで、以降の興行の元となる料理番付ですが、今回は約2ヶ月の興行開催予定の向島・本所・深川地区84料亭を番付した事務局案を持ってきております。大きな不備がなければ、これを瓦版として世に出しますし、順位に異議があれば興行の中で決着を付けてもらいたいと考えます」
善四郎さんがこう宣言し、瓦版の前刷り126枚を配る。
該当する向島・本所・深川地区の料亭には各1枚、それ以外の地区の料亭は3料亭に1枚という割合である。
とたんに静かだった向島・本所・深川料亭が座る一角が騒がしくなった。
皆口々に自分と他の料亭の比較で疑問と思うところを口に出している。
確かに、何を好んで番付表の最下段に名を連ね恥をさらすことに甘んじるのか、ということだろう。
「意見、これをこのまま瓦版で出すというのであれば、問題ですぞ。自分の膳がこの上の段にあるこの料亭の膳より味が落ちるなど、有り得ませんぞ!」
こういった抗議の声が、座席の真ん中あたりからどんどん出てくる。
途中加入した向島の料亭で、番付で低めに設定されていた料亭が多く座っている場所だ。
寄り合いで出された自分の料亭が下段となっている下刷りの瓦版を、そのまま承知したものとして持って帰ったら、主人と言えども女将や板長から袋叩きにされてしまうのは目に見えている。
「皆さん、番付というのは、こういったものです。一番があれば最下位もできます。誰もが最下位にはなりたくないでしょうが、誰かが必ず最下位になるのです。4段の枠も同じで、一番上の段になる幕内料亭もあれば、一番下の段になってしまう料亭も出るのです。
でも、よく考えてみてください。下位に位置づけられた料亭と上位の料亭でどちらが長い目で見て得になるのかを。
一番最初の料理比べ興業で、幕下の両国町・草加屋は、十両の柳橋町・かめ清よりも高い評価となった。瓦版でもその番狂わせが評判になって、草加屋は大層賑わっておるそうな。そうであろう、草加屋さんの御主人」
「まあ、あれからはもう暇無しでした。今まで出入りできなかった御大名家からも、御用の声を掛けてもらうなどされましたぞ。最初は『何を面倒なことを、費用を持ち出してまで引き受けなければならぬのか』などと思っておりましたが、今振り返るととんだ間違いでした。草加屋は今が旬ですぞ」
草加屋さんの主人は、立ち上がって頭を掻きながら、照れた表情を皆に見せて話をしてくれた。
それに合わせ、千次郎さんが、狙い通りに話を進めるために考えたであろう説明を追加する。
「これも低い場所にいた料亭が、興業で上位を破るという快挙があってからのものです。もし、草加屋さんが最初から十両であれば、今の繁栄はないでしょう。
つまり、下位に位置づけされた料亭には、特別に注目されて名前を売る良い機会になるのですよ。その前振りの番付表と見てください。高く飛ぶ前には深く屈むものです」
この説明で、客殿座席のほぼ中間に座っているであろう者達は納得したのか沈黙した。
上位に位置づけされ結果として下位料亭に負けた料亭、十両の亀戸町・巴屋の例を挙げなかったのは勿論だが、千次郎さんがここに触れなかったということは皆理解できていた様だ。




