地区予選の前哨寄り合い <C2355>
義兵衛が浅草の八百膳の前に来ると、門横にいつも居る案内の丁稚が飛び出してきた。
「義兵衛様、皆様お集まりでもう寄り合いは始まっております。いつもの内輪の奥座敷です。私が先に来訪を告げに行きますので、ゆるりとおいで下さい」
ここでの扱い・待遇がだんだん上になって来ていることに、安兵衛さんは気づいて笑っている。
アポ無しで、しかも、寄り合いが始まっているにもかかわらず突然の割り込みになるのだから、普通の立場では歓迎される訳はない。
にもかかわらず、丁稚ですらこの意識になっているというのは、果たして良いことなのか、悩むところなのかも知れない。
内輪の奥座敷、それは料亭の宴席とは別に作られている、言わば善四郎さんの暮らす私邸に設けられている座敷で、料亭を使う客が出入りするものではない。
宴席はそこで使う客を喜ばすための演出という風に作られているが、この座敷は善四郎さんの意を汲んで実用本位でしつらえてある。
襖越しに声をかけると、善四郎さんから反応があった。
「義兵衛様、ようこそ御出で下さいました。お入りください」
中に入ると一番上座が用意されており、そこですったもんだのやり取りがあって、結局義兵衛はそこへ座ることになった。
見渡すと、善四郎さん、千次郎さん、幸龍寺のお坊様、瓦版版元さんに加えて、東西の両大関である武蔵屋さんの主人と坂本さんの主人が参加している。
着席すると、真っ先にお坊様が話しかけてきた。
「各料亭から仕出し膳を持ち寄って貰うという案ですが、22日の起案で28日実施ではとても間に合いませんでした。座主様が『仕出し膳料亭の座としては良いかも知れぬが幸龍寺が絡むことの利が見えぬ』と言われ、これで時を潰してしまいました。
しかし、面白い試みであることは確かですので、他所で実施される前にこちらで行いたいとは考えております。
つまり、次回のこの寄り合いには実現したいと思っております」
「仕出し膳料亭の座としては、場所を借りて内輪で寄り合いを行うだけなので、条件が折り合わなければ何も幸龍寺でなくとも良いのですぞ。実際、明日の寄り合いは客殿を借りる費用をちゃんと支払っておろう。もし、他所でもっと良い条件を出してくる所があれば、そちらで寄り合いをしてもかまわないのですぞ。
座主様には面倒事を増やさぬように、周囲の者がきちんと言っておいて貰わねば困りますよ」
善四郎さんが強気に出ている。
武蔵屋さんや坂本さんの手前、興業の主権が座にあるということを見せ付けるためにやっているに違いない。
しかし、この発言で場が白んでしまったことは否めない。
版元さんが納めるように話し始めた。
「まあ、大人げないことは止めにしましょう。いろいろと予定が決まってないことが敗因なのですから、大雑把にも予定を立てておくことは必要でしょう。
明日開催する座の寄り合いと新規加入料亭への説明会はともかく、ではその次の座の寄り合い・説明会はいつ・どこで位の目星をつけておかないと、これに合わせた根回しも難しいですぞ。今まで会を回せていたのが不思議な位です。
興業も同じことです。とりあえず、7月の向島・本所・深川地区はようございます。閏7月の日本橋・浅草・神田もまあ幸龍寺さんの所でようございましょう。8月の京橋・芝・愛宕・赤坂・麹町地区はいささか苦しいのではないでしょうか。円福寺への交渉も、そろそろ進めておく必要もあります。9月の本選も、どういう基準でするのか、番付への異議から始めるという訳にもいきますまい。
目前に迫ってから火の車というのは、今回だけにしてもらいたいものです」
版元さんは、大枠からきちんと議論しておく必要性を指摘してきている。
今回の騒動でさすがに予定の大切さが身に染みているに違いない。
それより、向島と愛宕の支店の展開をいつからにするか、運転資金のこともあって時期を見定めているのかも知れない。
「まあ、そう言われても、ワシとて遊んでいた訳ではない。ほれ、やっと向島・本所・深川地区の料理番付の下案ができた所よ。明日はこれの披露となるが、そこでの異議申し立てが7月の興業のネタじゃ。
これと同様に残りの2地区分の番付表を作れば良いのじゃろう。
実はな、今回は幸龍寺があきらめた各料亭の仕出し膳持ち寄り、の企画は絶妙な案として、明日の寄り合いで説明したいと考えておるのよ。この内輪の興業に幸龍寺さんが多少でも協力してくれれば、座としても随分助かる」
脅したばかりの善四郎さんが、手の平返しに近い言い方をする。
硬軟織り交ぜて交渉・説得しているのだ。
しかし、寄り合いは明日なので、ここはもう絞って質疑をどう裁くかを考えなければならない時のはずだ。
つい、割り込んでしまう。
「寄り合いは明日なので、明日皆で決めなければならないことに絞ってはどうでしょうか。『膳の持ち寄り』の件は、どうも優先順位からして先送りにして良い様に思います。
一番重要なのは、版元さんが言われていたように、座の寄り合いの扱いでしょう。全体の会は、毎月同じ日に決まった場所で開催するという格好にすることをまず決めましょう。
それで、寄り合いの場で定型的に報告するのが、座の収支・焜炉の承認・新規追加希望の料亭とします。加入希望の料亭について翌日から座に加入してもらい、その次の寄り合いから参加できるようにして、その寄り合いの場で番付けのどこに載せるかという案を提示する。
こう決めると、まずは寄り合いの骨子が決まります。次に興業のことを予定も含めて確認します。
今回の目玉は、地方予選と本選の設立ですよね。この経緯は充分説明できますので、反対される料亭には妥当な対案を提案してもらうことで押さえ込めます。そこが決まると、興業周期を3地区+本選の4ヶ月で1周として毎月同じ日に開催する方針を説明できます。
そこが決まると、定例報告に戻れます。
最初は直近に実施して結果を未報告の興業の結果・収支報告です。そして、次の寄り合いまでに行われる料理比べ興業についての企画内容説明でしょうね。
定例報告・承認案件はこういった格好にするという報告をし、質疑応答の後で皆から了解して貰えれば良いのです。
それが済むと、7月の向島場所に向けて、善四郎さんが苦労して作り上げた番付表の出番です。
これに対して異議申し立てのある料亭を、前回の基準で篩いにかけ、閏7月20日の料理比べ興業を行う方向を示せば良いのです。開催まで約2ヶ月ありますから、詳細は7月28日の総寄り合いで告知すれば間に合いますので、今回はおおまかな説明をして、質問は受け付けるだけで良いでしょう。
一方、武蔵屋さんには次回の寄り合いに向けて、地区の料亭を集めた寄り合いで意識の統一を図っておいてもらう必要があります」
義兵衛は一気にまくしたてた。
こういった大きな寄り合いも、もう3回目なのだから、そろそろ運営を安定させてもらいたいという思いもある。
明日の寄り合いに焦点を合わせ直し、来る料亭・主人に何を伝えるのかを主体に考えてもらえれば良いのだ。
途中乱入の義兵衛が場を仕切り直した格好で、話し合いは進み始め、明日の準備は整っていく。
「では、私はここいらで失礼します。明日は幸龍寺に様子を見に行きますので、よろしくお願いします」
そう言い残して八百膳を抜け出した義兵衛と安兵衛さんだった。
おそらく残った面々で明日朝までになんとかシナリオを作って議事進行させるのだろう。




