杉原様の屋敷で裏事情暴露 <C2351>
■安永7年(1778年)6月26日(太陽暦7月20日) 憑依138日目
早朝より名内村から鮮魚街道へ出て松戸へ向かった。
来た時の列に、名内村から名主の秋谷修吾さん、血脇三之丞さん、それに4家のそれぞれから他村見学ということでの希望者4人の計6人を加え、ちょっとした行列になっている。
樵の佐助さんは『残っても良い』という申し出をしたのだが、細山村の樵家で連れていく面々の選別と説得が必要と説明すると、一緒に戻ることを承知した。
来た時と逆順をたどり、昼前に松戸、松戸の渡しを使って江戸川を渡り、千住大橋を超えまずは3番町の杉原様の屋敷に入った。
ここで、代官・山崎力蔵様とその中間、それに名主の修吾さんと義兵衛・安兵衛さんだけが残り、あとの面々は百太郎・助太郎に案内されて椿井家の屋敷へ向かった。
残った5人は、屋敷の座敷へ入り杉原様へ今回の首尾を報告した。
「さて、下見して如何であった」
山崎様が答えた。
「なかなか準備不足で、すぐに生産に乗り出すという訳にはいかないようです。
特に、加工原材料の木炭について、原木を安定供給するためには村の南側の森にかなりの整備が必要となります。また、この森の帰属についても意見が出され、係争地であることから該当部分の整備は後回しにする方向です。
また、木炭を作る窯についても、それなりの窯を7~8基揃えて作る必要があります。
そういったことで、森の管理や窯のことを指導してもらえるように、細山村から樵の方を数名応援に出して頂けるとのことです。
名内村では、そういった方々を迎え、教えを頂いて練炭作りができるのではないかと考えています。今回、その一環として、村の主だった者を椿井家の里へ送り込み、どのような環境で生産しているのかをしっかり見てきたいと考えております。
なお、年内に累計生産量1万個が目標と皆に説明しましたら、椿井家の方・工房責任者の助太郎さんから意見があり『名内村では最終的な生産力として日産で一万個を目指す』という宣言がございました。直ちにという訳ではございませんが、もしその通りのことが実現できるのであれば、当家や名内村の者は大儲けできることに間違いございません。
『こういった利益・収入を確定させた上で係争地についての沙汰を勘定奉行に願い出たほうが良い』と、義兵衛さんから教示されております」
杉原様は、山崎様の報告に目を一層細めた。
「秋谷、日産1万個という目標を、お前はどう感じた」
「まずは、年貢米についてのお達しについて、御礼申し上げます。御家で消費される米以外は、この事業で産み出される利益をそのまま納めれば良いという好条件を山崎様から聞き及んでおり、皆喜んでおります。また、練炭1個を江戸の萬屋さんに卸す毎に90文を村の売り掛け金として頂戴できる、という話も大変ありがたいと感謝する次第です。これはなんとなれば、我が村の中で木を伐り木炭を作りこれを使うことで、村の外に余計な費用が出て行かない、ということだからです。
そして、金程村の工房では約50人の子供達が力を合わせ、ようやく日産2500個を達成していると聞きました。何が制約で限界になっているのかを知りたい気持ちで一杯です。たとえ日産1万個に届かずとも、金程村の日産2500個は必ず達成できるものと思っております。
ただ、懸念事項は木炭の原料となる原木の確保・木炭を作る時の燃料の確保です。これを旧牧の森から調達しますが、先ほど山崎様が御報告されていたように約3分の1の面積が係争地となる可能性がございます。特に、この森から得られる木材で練炭を作り出し、信じられないような富を得ることができるのですから、これが実績となって周囲の村に知れ渡るとなれば、大変なことになります。
たとえば、日産2500個ということは、おおよそ金56両になるのですから。10日で560両、1ヶ月で金1680両なのです。『椿井家は景気が良い』との噂を山崎様から聞いておりましたが、この金額を聞いてなるほどと思った次第です。
次は杉原様と名内村の番ということですな」
秋谷様の言い様に、少し違和感を覚えた義兵衛は異を唱えた。
「恐れながら申し上げます。
この練炭は暖を取るための燃料です。夏に売れるものではないため、実際には9月からの売り出し、秋・冬の需要期を待たねばなりません。それまでは作っても何らお金が入る訳ではなく、もし売り出しても流行らない時は、関係者で膨大な借金を背負うことになります。萬屋さんに練炭を渡すと売掛金として計上して年末に精算されますが、実際に売れなければ膨大な在庫をかかえ借金浸けとなります。
そうなると、練炭を安売りすることになるでしょう。後は交渉になります。例えば、半値でしか売れないと、申し訳ないですが90文ではなく、半分の45文ということでお願いすることになりかねません。こうなると原料の木炭代にもなりません。倒産してお金を受け取れないよりは、少しでも回収したほうがまだ被害が少ないので、その場合は交渉に応じてください。
そのような事態にならないように、椿井家として裏で一生懸命努力しているのです。こういったものを椿井家や萬屋さんは背負っていることを是非理解してください」
義兵衛の意見に山崎様が質問を投げかけてきた。
「そのような状態ならば、なぜに当家の領でも練炭を作らせようとするのか。金程村だけで作り、それを卸していれば良いではないか。練炭の数が少ないほうが、より高値になるはず。金程村の4倍の量を作らせようという了見が判らん」
「前に七輪・練炭をお持ちし、実演させて頂きましたが、これらは今までに無かった暖を取る道具です。いろいろと流行らせるための策を取りますが、まずは売り出しの時に一定の量が揃っていないと流れに乗れません。七輪は9月までに5万個作る算段を揃え、すでに1万個積み上げています。対して、その七輪で使う練炭が徹底して不足しているのです。
燃料は使えば無くなります。そして、それを買い足ししたい時、手に入らないとなったら見向きもされなくなります。恐れているのは、そこなのです。
七輪は年末までに累計で10万個作ります。例えばこの半分が実際に売れたとします。そして、ある冬の1日、8割の七輪が練炭で暖を取るとしたら、練炭は4万個消費されることになります。
金程村でどんなに頑張っても日産2500個です。その16倍も消費されるのですよ。とても足りません。なので、1万個作ってもらっても、本当は足りないのです。それで、せめて前倒しして売り出し前に練炭を積み上げておこうとしているのです。
名内村で日産1万個でも不足しますが、それでも助けにはなります。そして、9月の売り出しで流行るのであれば、本格的に使う冬までに、更に委託生産してもらえる場所を探すことになるでしょう。
そういったことまで考えて、今奔走しているのです」
義兵衛は練炭不足の窮状を切々と訴えた。
秋谷様があきれて声を上げた。
「ああ、そのような事情から日産1万個でしたか。なので『年内に1万個は噴飯物』という訳でしたか。
それで、全貌を知っている助太郎さんが挨拶で吼えたのですか。背景を理解した今なら判ります」
山崎様は意地悪い顔をして意見を言う。
「それなら、売り出しの時に練炭を大量に購入して確保し、物がなくて高値になったところで売ればうんと儲かりますな」
「いいえ、この全貌を知っている者がそのようなことをしてはなりません。もし、本気でそのような真似をなさるなら、名内村への委託生産・技術協力は止め、私はここで腹を切ります」
義兵衛の強い口調に、山崎様はタジタジとなった。
「山崎、武士として言うてはならぬことを口にしておるぞ。今、義兵衛から聞いた話は決して外に漏らしてはならぬ。裏側を知っておれば、山崎の言ったような腐った考えを思いつく者はいくらでも居る。皆、よいな。
それから、義兵衛。その意気、あっぱれである。流石に庚太郎殿が贔屓にする訳じゃ。面白い話であった。ワシもできる限りの協力をしよう。真っ当なこと、努力することは、実に尊いものだ。良い話を聞いた。紳一郎殿にもよしなにな」
杉原様は、さすがに御殿様が推しただけあって道理を理解されているお方であった。
その言葉を聞き、義兵衛と安兵衛さんは杉原様の御屋敷を辞し、秋谷様と一緒に椿井家の屋敷へ向ったのだった。




