名内村展開の会議 <C2350>
練炭の試作を行い、どのように作られていくのか、一連の作業を見せた。
また、百太郎と佐助さんが炭焼き窯と原木を供給する森の状況を確認してきた。
その上で関係する村人も含めて座敷に集まり、今後の方針を相談しようとしている。
「それで、百太郎さん。実は、今日見て回った森ですが、実は全部が完全に名内村の領ではありません。元はお上の牧・中野牧の飛び地であり、それが管理できないということで開放された経緯から、近隣の村との境界がはっきりしていない所があるのです。特に、一番南側で西に新しく開墾をしていた場所、多分新田となった時にはお上の代官が置かれると思っている場所ですが、こことの争いがあります。
面積にして今日見て頂いた森の所の大方3分の1の面積になります。
西側の新田の開墾にはこちらの村人も協力しており、その代わりに南側の森の下草を採る権利を認めてもらっていて、一見この名内村の領として見えています。なので今日お連れしたのですが、この森が管理され大金に化けることが知られると、おそらく開墾した村は所有を主張するに違いありません。
こういった中途半端な状況であったからこそ、こちらとしても森全体に対して積極的に手を出していなかったのです」
名主・秋谷様の説明を聞き、これは根が深そうな問題だ、と感じた。
今の内から手を回して、係争部分を名内村の領と確定させておかねばならない。
おそらく、年貢に相当する分の10年分を、代官の取り締まり元である勘定奉行に納める必要はありそうだ。
話は、今勘定奉行の配下と交渉している甲三郎様にキーパーソンを紹介してもらい、田沼様に縋ってみるしかないだろう。
そうすると、田沼様に動いてもらうためには、それ相応の献上品・金品も必要となる。
ただ、名内村にこれといった特産はないし、杉原様も賄賂を贈るほどの資金もなさそうだ。
そうなると、事情を説明し係争地の所に対する本格整備は後回しにしてもらったほうが良い気がする。
ある程度資金が溜まってから、お上の力を借りて一気に押すしかなさそうだ。
「森の3分の1も、ですか。とりあえず、確実にこの村の領と判別している所から整備を進めるしかないですね。まずは、木にからみついた蔦と下草をどうにかしてしまいましょう。まず木炭に相応しくない木を切り出して薪にし、見極めて枝払いをしっかりしましょう。
植林もしっかりしていく必要があります。植えるのは、松と椚が良いように思えます。苗を沢山準備してください」
佐助さんも係争地に手を出すのは不味いと感じたようだ。
森の整備方法について、樵の専門家として意見を述べたのに次いで、助太郎も意見した。
「実際に様子を見て感じたことを話します。
先に日産1万個と申しましたが、最初から日産1万個目標では、とても動けないでしょう。最終的な目標はそこにあるにせよ、まずは日産100個も出来れば良い、ということで色々な作業を始めてみませんか。
それで、森を整備する方、木炭を作る方、工房で作業する方を何人か選び、椿井家の領地で行われている作業を見てもらうのが良いと考えます」
百太郎が続けた。
「百聞は一見に如かず、と申します。
秋谷修吾さん、血脇三之丞さん。お二方も含め、我が村を是非視察してくだされ。そして、この村でどうするのが一番良いのかを考えて下され。
ただ、早いほうが良いです。明日我々は引き上げますが、その折に同行されてはどうでしょうか。
また、この事業を担う主な方もそれに含めたら良いと思います。歓迎致しますよ」
修吾さんと三之丞さんは顔を見合わせ、小さく頷き、修吾さんが返答してきた。
「村の主だった人にはまだ説明していないですが、その様にしましょう。
私ども2人に、あと4人ですか。ここに居る面々の中から選びましょう。計6人で金程村・細山村と工房を見学させてください」
村名主の宣言で決した。
その後は、名内村に滞在することになるであろう工房の2人と、細山村から連れて来る樵家の数名が当面居住する家の話となった。
代官宅と工房にする納屋に近いところに建つ小作人の家を徴発し、別の小屋に住み替えして貰うことで工面するようだ。
話がここまで進んでいるが、義兵衛には疑問に思うことがあり、それが少しも話題に上ってこないことを不審に思った。
「少々教えて頂きたいことがあります。この村の家の構成と人口はどうなっているのでしょうか。それと、この事業にどれだけの人を割り当てるつもりなのか、見通しを教えてください」
前半の質問はともかく、後半の質問は答えられないに違いない。
なにせ、どのような仕事で、どの程度の負荷なのかを今まで知らなかったのだから当然のことだ。
ともかく、義兵衛の質問に修吾さんが答え始めた。
「この村には、私の居る秋谷家、三之丞の血脇家、それから山崎家、石井家の4本家があり、それぞれに分家がある。全部で12家になっておる。そこにそれぞれ小作家が入っており、赤子まで入れて110人じゃ。
工房での作業という話であったので、小作から人を出して20人程集める算段をしておった。
だが、森の整備、木炭の製造という外廻りの作業が増えるのであれば、体制を大きく見直す必要があろう。また、最終的な目標で日産1万個などと聞かされては、考え直す必要があろう。
村の取り分が原料分を入れて1個90文なら、1万個で225両。毎日この金額というのであれば、年貢のための米作りも手を抜こうということになる」
ここで義兵衛は輸送のことを考慮していないことに気づいた。
江戸に送り込む費用は、どこへ織り込むのだろうか。
登戸には支店があった萬屋さんだが、江戸から東にはそもそも拠点がない。
すると八丁堀の倉庫に搬入するまでが、この村の仕事になるのだ。
毎日3500貫(13t)の練炭を運ぶのに、馬なら100疋も必要で、これは大した金額になり、そして村の負担なのだ。
練炭は鮮魚ではないので、多少時間がかかっても手賀沼の川船を使う手もある。
「村に売り掛け金が計上されるのは、薪炭問屋に練炭を渡した時になります。年内は基本・日本橋の萬屋さんが受け取りますが、ここまでどうやって運ぶのかを考慮しておりません。
しばらくは、人が運んでも良いのでしょうが、最終的には1個350匁(約1.3kg)の練炭を1万個も江戸へ送り出すのです。馬か川船か、何らかの方法を考えておいた方が良いと思います」
義兵衛はこう切り出したが、修吾さんはまともに取り合わなかった。
義兵衛は『御殿様の耳目代わり=お飾り』という風に紹介されたのだから、当然かも知れない。
むしろ、百太郎のほうが検討不足・考慮漏れの指摘を受けて驚いていた。
それから、百太郎からこの問題を話しかけ、修吾さんのほうで検討するという言質を取って話し合いは終了した。
話し合いが終わると、三之丞さんと村人を連れて納屋へ向う。
先ほど弥生さんがパッと作った練炭を見て、三之丞さんはおそらくその配下であろう小作人に『お前も作ってみろ』と指図した。
モタモタと4倍ほどの時間をかけて1個を型から抜き終え、出来上がった練炭を三之丞さんに見せた。
たが、それを近蔵が受け取り計測すると、重量不足・高さ不足で不合格品と判断された。
「確かに350匁ギリギリの重さはありますが、この後乾燥させると確実に重量が減ります。なので、不合格です。
この時点で計測した場合、355匁~360匁でないと不合格とします」
三之丞さんはこの説明に納得していたが、量産への道のりは遠そうであった。




