義兵衛からの疑問 <C235>
正確にカウントすると憑依してから15日目です。予めご容赦ください。
■安永7年(1778年)2月下旬 江戸→金程村
翌日、日が昇ってから宿を出、意気揚々と村に帰っていく。
往きは道も良く判らず、不安を抱えた道行だったが、用を果たした還り道は気持ちにもゆとりがある。
道々、神社仏閣、料亭、宿屋、富農の家がどの程度あるのかを数える。
これらの所は七輪・練炭の市場である。
畑でどのようなものを栽培しているのか、今の季節栽培されているものは何かを抜け目なく観察する。
金程村に役立つものはないか、植えられるものはないかを目を皿のようにして探し出す。
そして、街道を荷物がどのように運ばれているかを観察する。
棒手振、背負い梯子、荷駄、荷車、渡し船など、どのような手段で何がどこからどこへ行くのかなどの様子を見る。
こういった情報は長期に渡り定点観測すると、色々なヒントを得ることができるのだが、この時代にそういった概念を導入しても有効に使えるのか、という点は何ともいえない。
このようなことを考えながら、ゆっくりと歩き、その日の夕方、金程村に無事帰り着くことができた。
入手した薩摩芋について、栽培開始時期はまだ先なので、とりあえず兄・孝太郎にその後を押し付けてしまった。
夕食が終わり、寝床についてから色々と思い返してみた。
思えば、俺が義兵衛に憑依して丁度2週間になる。
成し得たことをまとめてみる。
・練炭生産・販売に関する目処を付けた
・百太郎・義兵衛の信頼を得た
・甲三郎様と話をする伝ができた
・薩摩芋の種芋を入手した
もちろん、練炭生産については、助太郎という強力な同調者を得たことや、販売に関しては登戸の炭屋だけでなく加登屋も当てにできそうなことも入る。
こうしてみると、息をつく暇もなく大車輪で状況を変えるための働きをしてきた。
この達成感は、元の世界では得られなかっただけに、俺は満足し眠りに就こうとした。
「竹森様、ちょっとお話しがございます」
眠りに落ちる前に義兵衛が話しかけてきた。
「数字で考えているのですが、飢饉は7年続くのですよね。
あと3年間の収穫は70石×3年で210石です。
この間の消費は50石×3年で150石。
備蓄はどう考えても60石しか増やせません。
端境期の備蓄は50俵程度で20石分と以前お話しましたが、これを入れて80石しか余剰ができない状態になります。
すると、収穫無しに近い年が2年続くと備蓄が尽きてしまいます。
残りの5年間はどう考えればよいのでしょうか。
しかも、稲作一辺倒を止め、他の作物も栽培するとなると、米の収穫は70石ではなくもっと少ない収量になるのでしょう」
俺はギクリとした。
急に意識がはっきりし、眠気が吹き飛んだ。
確かにそうだ。
少しの成功に浮かれている場合ではない。
よく考えると、3年間で増やせる備蓄は大した数量ではない。
義兵衛から指摘されたように、今の施策では1年分の備蓄がたかだか2年分になるということでしかない。
7年間収穫無しだとすると、米で350石の備蓄がないと乗り切れないのだ。
つまり、7年間の米の収支だけで見ると270石の不足する、というのが今言えることなのだ。
「義兵衛さん、指摘されたことは全く正しい。
ただこれには前提がある。
米作偏重で収穫0と考えればということなのだが、別の見方をして見よう。
80石を7年に分けて食べるとすればおおよそ毎年10石を割り付けることができる。
なので、毎年40石しか採れない、つまり米の作柄が半分近くに減っても7年はどうにか食いつなぐことができる、と思ってはどうだろう。
あと、今、薩摩芋という新しい可能性を手に入れたので、検討の前提を変えることができる。
一年で一人一石の米を消費するという前提を、雑穀を二割交ぜることで0.8石の消費と変われば、米は年40石分収穫できれば充分足りる」
咄嗟についた詭弁である。
薩摩芋がどれだけ収穫できるようになるかは見えていない。
粟・稗・蕎麦という雑穀が田から転換してどの程度収穫できるのかも判らない状態で、二割を計上するのもインチキなのだ。
前提にならない話を織り交ぜることはしたくなかったが、とりあえずの言い逃れをしてしまった。
この発言の後、俺は冷静になって考え、再度話を始めた。
まずは、先の詭弁を訂正せねばならない。
「義兵衛さん。さっきの別の見方は、こうあって欲しいという内容が多く、確実性に乏しい。
明日、一緒に考えて欲しい」
そう言ってはみたものの、3年の範囲内で、かつ、村の中でできることは限られている。
主食を飢饉前に7年分確保するという考え方をすると、今の施策だけではどう考えても破綻するに違いない。
義兵衛さんは寝てしまったが、その中にいる俺は解を求めて考え続ける。
天明の飢饉は広く全国に渡って起きた天災という印象があるが、日本は南北に長い列島なので全国一律全滅はない。
冷夏の影響は東北地方に大きく出たというのが実態である。
東も西も、南も北も、平野も盆地も高原も全部が全滅という状態はまあない。
東日本が凶作でも西日本は通常の作柄ということもあり得る。
全体としての収量が少なくても、偏在さえしなければ、誰かが飢え死にしなければならないほど不足する訳ではない。
飢饉の時でも、大阪の米問屋の蔵の中は、きっと米で溢れているに違いない。
さて、米問屋から米を引き出すには、金を積むしかない。
多少高くても、西日本の米を買い付けることが出来れば飢餓には陥らないのではないか。
米が安いうちに買い入れて村の蔵に積み上げておくのはどうだ。
270石であれば、270両=2700万円相当が必要となる。
一度に買い入れるのは難しいが、毎年90石を買い入れて積み増しすれば良い。
また、多少大目に購入しても、飢饉の時に他の村に放出すれば良い。
しかし、7年分350石というのは、875俵の物量になる。
伊藤家の蔵で500俵=200石分はどうにか保管できるが、残りの375俵=150石を預かってもらわねばならない。
津梅家は、多少大きめの蔵があったので、そちらに250俵=100石分くらい置けるかも知れない。
いずれにせよ、来年の秋には伊藤家の蔵が満杯になる。
蔵の建て増しを検討しておく必要があるかも知れない。
何にせよ、毎年90両をコンスタントに稼ぎ出すというのが最初の目標になる。
その片がついたら、蔵をどうにかしよう。
米の備蓄が上手くいったら、飢饉の最初の年は古米どころか、古×4米を食べることになる。
そうすると、先入れ先出しがはっきり出来る倉庫運用も考える必要がある。
まあ、そういったことを考えられるような状況の時は、飢餓に縁がない嬉しい状況なのだけどな。
根本的な見落としはないか。
米の収量が70石だが、単位あたりの収量を増やすことができないか。
酸性土をアルカリの石灰で中和したり、化学肥料で収量を増加させるという手がある。
窒素・燐酸・カリというおまじないがあったっけ。
窒素は、空中窒素をアンモニウムにしたという話、ハーバー・ボッシュ法という名前を、聞いたことがあるが、中身を知らないしこの時代では間に合わないだろう。
豆類の植物が、根粒菌で空中の窒素を固定でき、貧栄養環境の土地でも育つということを思い出した。
他に肥料として、魚粕がある。
魚から油を取った残りカスを有機肥料としても使えた。
ただ、魚粕は山間のこの村では購入するしかない。
結局、その日は金策・金策と思いながら眠りについたのだ。
義兵衛の指摘にオタオタする竹森貴広。やはり普通の人間ですが、基本を見落としてはいけません。
なにより「はらへった防止作戦実施員」です。もっとも、作戦が現場に丸投げという時点で破綻しているのかもしれませんが、ハイ。
次回は、竹森貴広と義兵衛が根本的な対策を協議するお話です。
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