満願寺での興業開催条件 <C2343>
座主様と神主様、そして喜六郎さんが座敷に入ってきて上座に着席するなり聞いてきた。
「今、喜六郎から容易ならぬ話を聞いた。あの幸龍寺で行われていた料理比べの興業を、この満願寺でも開きたい、という申し出があったとか。これから2ヶ月後の閏7月に実施したい、ということじゃが、まずはそうなった事情を聞きたい」
座主様は、おそらく喜六郎さんから聞いた所までを繰り返したに過ぎないが、明らかに興奮している。
「仕出し膳の座に入っている料亭の料理を比べて、料理番付表というものを作成しています。
ご覧になられたこともあるとは思いますが、一番最初に仕出し膳の座を作った時に入った48軒の料亭を番付けしたものです」
この展開を打ち合わせしていたであろう千次郎さんは、5月1日に売り出された料理番付の瓦版を懐から取り出し、座主様に見せた。
少し遠回りな説明だが、座主様や神主様を落ち着かせる意味もある。
「この最初の48軒の料亭が5月に行われた興業の対象料亭なのです。仕出し膳の座を作った時の最初の加入料亭です。ところが、この興業が評判になると、この座への加入申請が沢山寄せられまして、第二回料理比べ興業の検討をした6月頭の時点では、座に加わっている料亭が186軒にも膨れ上がっていたのです。
興業は、番付への異議申し立てを受けて、その優劣の判断を公開して行う勝負ということで成り立っています。なので、料理番付を作り公表することがその前段階として不可欠なのです。
今回6月20日の興業にあたっては、その前提となる料理番付を作ること自体がとても間に合わず、再度最初の48軒の料亭に絞って開催しました。その第二回の興業までに更に加入申請・受理があり、25軒増えて、現在211軒の料亭が仕出し膳の座に加わっています。
そして、先日6月20日の興業以降も加入の申請が殺到しておるのです。5日後の28日に、加入希望料亭への説明会をする予定ですが、50~60軒程の料亭が新規加入を求めて集まりましょう。
こうなると、興業の前提となる料理番付を作るには、約260軒の料亭に優劣を付けていかねばなりません。食べ物相手だけに、実際に手に取り、匂いを嗅ぎ、口ざわりを確かめ、味覚を・食感を楽しみ、適切な上下を判断せねばならないのです。人による違いもありましょう故、万人が納得する、少なくとも順位を説得できるだけの材料を集めて言葉にせねばならぬのです。そして260軒の料亭を番付するのは、とてもではありませんが、いろんな意味で限界を超えています」
善四郎さんは、大きなため息をつき、座主様の様子を窺う。
「それで、20日までに加入している211軒を地域毎に3個に分け、その地域で番付表を作り興業を行う、いわば地方予選を行うことを考えたのです。そして、3地域の上位陣だけを集めた料理番付を作るという本選、この2段階仕立てにすることを考えました。
各地区の70~80軒ならば、東西に分けて、各枠せいぜい40軒。これなら料理番付が作れます。
それで、まず各地区で料理番付を作り、それに対して異議のある料亭からの申告を元に、競技を行うのです。
その地区の競技会場として、卓上焜炉とゆかりのある満願寺の講堂を借用したいのです。開催予定は2ヶ月後の閏7月20日です。
本選は、3箇所の予選が終わってから、今まで通り幸龍寺での開催とする予定です」
汗だくになりながら、善四郎さんは説明を終えた。
「おおよその趣旨は理解できた。それで、満願寺を拠点とする地域とはどうなっておるのかな。あと、ここの講堂を一般に貸すには、普通それなりの費用、1日丸ごとで40両(400万円)を負担してもらっておる。人手が必要なら、小坊主を充てその手当ても必要じゃが、そういった条件はどうなっておる」
「区割りは火消し組でくくることにしており、隅田川東岸の向島・本所・深川の料亭がここの対象です。
各地区の勧進元にはその地区の大関相当の料亭にも加わってもらうつもりです。ここですと、この寺の向かいにある武蔵屋さんですね。この構想の鍵は満願寺さんの協力があって成り立つ話なので、まだ武蔵屋さんには説明できていないのですよ。大筋で合意頂ければ、この後で武蔵屋さんのところで話し合うことになります。
それで、費用の件は、事務方の萬屋さんの出番ですぞ」
「まずは、実績の説明になります。
浅草・幸龍寺では客殿の使用料をお払いしております。ただ、先日第二回の興業では、使用料と同額を座に寄進して頂きました。人の手当てについては、客殿以外の場所の差配は寺側任せ、客殿の中については無償で協力してもらっていました。
この興業での賑わいですが、5月に行った興業では約3700人、6月はおおよそ2倍の7000人近くも人が集まりました。この数はいい加減なものではなく、当日配った札で数えているので最低でもこの人数、という数字です。この人達は、興業を直接見る席を手に入れるため、皆さん懐に席料の100文を入れており、先日の興業で幸龍寺はいろいろ工夫をしてこの銭を集めていたようです。実績としては150両にもなっていたようですが、これは境内に居る人のことなので、この収益に関して座は一切関与していません。ただ、幸龍寺はこの成果にホクホク顔でした。
要は、この興業は参詣人を集める目玉と割り切って座の興業に便宜を図る、という方針ですね。
興業の事務方としては、幸龍寺と同じ条件で興業をすることを認めて頂ければ大変助かります。
具体的にどのようなことを幸龍寺がしたのか、という点は別途お教えすることはできましょう」
大分気持ちは傾いているようだが、興業の格差を説明する必要がある質問が神主様から来た。
「それで、御老中様や御大名様は出席なさるのかな。興業を通してそういった方々と伝ができるのであれば、諸手を挙げて歓迎しますぞ」
「いえ、御武家様の席は、北町奉行・曲淵様にお任せしており、御老中様が直接出ると確約できる訳では御座いません。前回が特別であったとお考えください。本所には賄方のお役人様の邸宅が多いという事情もあり、こういった方々の参加を促すやも知れません。
そして、本選での興業ならば御老中様が直々に着目されることもありましょうが、予選ということであれば、こればかりは興味を持つかで決まりますゆえ、北町奉行・曲淵様の考え次第でございましょう」
千次郎さんはそう説明した。
時間の制約が厳しいお偉いさんが序二段の相撲から観戦する訳がなく、見るとすれば幕内力士の取り組みからだろうし、優勝決定戦であれば興味も湧くというものだ。
「ほう、それならば、北町奉行様が差配される行司や目付といった枠と同様に、満願寺と秋葉神社が差配できる枠を作ってくだされ。幸龍寺では行司10名、目付10名という陣容であろう。最低でもその行司・目付の各1名、できれば各2名の枠をこちらで扱いたい。それが出来るのであれば、幸龍寺と同じ条件で引き受けましょうぞ」
座主様がこう言い放ったが、これはなかなかな戦略眼だ。
商家側の席が、行司68両・目付36両で落札されているのだから、最低でも100両分の利権を渡せということになる。
少なくともそれだけ価値があるものを、満願寺が手にし、それをネタにして利益につなげることができるのだ。
寺社奉行様や町奉行様をわざわざ町人の興業に取り込んだことの意味を、この座主様は見抜いているに違いない。
千次郎さんは善四郎さんに目配せすると応えた。
「その件は、承知致しました。ここでの興業について行司・目付格席各1席を満願寺でお使いください。今お約束ができるのは、各1席分です。話を詰めていく段で、もう1席ずつ増やせるかは考えましょう。
この興業について、いろいろと打ち合わせすることも出てきますでしょうが、細かい話は喜六郎様と行えばよいのでしょうか」
「その通りじゃ。これでこの満願寺と秋葉神社は更に賑わうことになりそうじゃ」
締めの発言をして、座主様と神主様は立ち上がり座敷を出て行き、後には喜六郎様が残った。




