田沼意次様からの難題 <C2334>
赤蝦夷という言葉が切っ掛けに集められたはずだが、その元となった義兵衛の書いた絵図に意次様の興味は移っていた。
「私も奉行所で聞いた話なので、真意を説明できるかは判りませんが、知り得ている背景から話します」
曲淵様はことの発端と思っている七輪のことから簡単に説明した。
・椿井家は七輪と練炭を売る商売を秋口から本格的に取り組む
・七輪は深川の工房で手掛けるが、その折能登で採れる特殊な土を使う
・特殊な土は、軽くて断熱性が良く、これからの用途は広いと聞いた
・この土は1俵150貫でまとめて扱っており、能登・七尾では1朱2分(37500円)で買えるが、江戸で買うと5両(50万円)にもなっている
・大坂の問屋がからんでおり利益(差額)はほとんど大坂の商家が吸い取っているようだ
・加賀金沢藩でこの土を専売品とし、東廻り航路で送り込むことを考え、その説明としてこの絵図を書いた
・港毎に藩公式の購入価格と販売価格を設けることで、価格差により物流圧力が発生し、商品が流れるようになる
・結果として、江戸で1両2分(15万円)位の値段にすることができる
・加賀金沢藩へは、藩の専売品に指定し港内での購入・販売額の差から一定の割合を収益にすることを提案した
「義兵衛さんは、今朝ほど加賀金沢藩藩士の渡邉殿にこういった説明をしました。
義兵衛さんの説明をどこまで理解されたかは判りませんが、藩は価格を適正に設定し通知するだけで、収益を得ます。しかも、既存の西廻り航路・上方江戸航路を使用しないため、これで利益を得ていた大坂商家の既得権益を侵す恰好にもなりません。
後はこの案をどうするかは、江戸詰め家老の横山殿がどうするか、でしょうな。中々の見ものですよ。
余談ですが、渡邉殿は八百膳との伝を求めて相談にきて、義兵衛さんはこの案を示し『協力頂けるなら紹介の労を取る』と言ったそうです」
曲淵様の説明に、意次様は『ウッ』と唸ったきり、しばらく黙っている。
「これでは加賀金沢藩の丸儲けではないですか。
この提案に乗っかるだけで労せずとも藩に運上金が入り、そして渡邉殿はあの八百膳に口を利いてもらえる。
家老の横山殿が反対する訳もなく、加賀金沢藩の勘定方は大喜びに違いありませぬ。
ですが、発案者の義兵衛・椿井家の利はどこにあるのですか」
田沼意次様の息子である意知様がこう発言する。
「大和守様、椿井家は七輪を作るための土の代金が減ることで利を得るので、問題ございません。すでに4千個が屋敷に積みあがっていると聞いていますが、最終的には10万個は売れると見ております。
全数椿井家が深川の工房に作らせており、1個で材料費が100文浮けば、1万個あたり250両の利益が出る格好となります。10万個で2500両浮く勘定です。
ただ、このような策を弄しても、実際に江戸で安い土が大量に得られるようになるのは、時期的に苦しいと考えます。10万個を作りきった後では役に立たないと思ってます」
御殿様・庚太郎様がそう返答したが、意次様は更に深いため息をついた。
「これ、意知。そのような簡単なことも判らんのか。修行が足りぬぞ。
それから、庚太郎殿、時期が間に合わんとしても、安い土が届く方法が決まれば、大坂経由の土の値段を下げる圧力も働こう。最初の150貫ほどでも、この値段で江戸で卸すことができたという実績があれば良いので、全部がその値段で入る必要は無かろう。1個で10文下げさせれば、10万個で250両じゃ。2250両を儲け損ねたと見るか、250両でも上手く儲けたと考えるかの差でしかない。
それにしても義兵衛の案で秀逸なところは、場所毎に公定価格を変え、物流を任せているところじゃ。
曲淵は、港毎に買い入れ価格と売り渡し価格を決めて、あとは港毎に違う価格を示すとその価格差で物を運ぶ意欲が出てくるように言っておったが、ここがこの案の肝であろう。あたかも勾配を付けた水路を用意しさえすれば、あとは勝手に水が流れていくような具合ではないか。
甲三郎、このような考えを知っておったか」
「いいえ、思いも及びません。ただ今は、例の公認印を付ける方策について勘定方に専任を設け、おき得る懸念事項を潰すのに手一杯であり、新しいことに関する考案を持っておりませんでした」
「似たような話を、以前義兵衛さんから聞いた覚えがあります。おそらく、土の価格を下げる切り札として考えていたのだと思います。東廻り航路と組み合わせることで、大坂を経由しないことで、目処が立ち明かしたのではないかと……」
安兵衛さんが思わず声を上げた。
この座敷の面々から身分・立場を考えれば、安兵衛さんが発言すること自体異例で、曲淵さんは手を上げて制止しようとしたが、意次様はこれを抑えた。
「これ、発言を止めるではない。神託のこと、巫女のことを知り、より大きなものに動かされているという立場では同じじゃ。
安兵衛と申したな。遠慮は要らぬので、皆申してみよ」
安兵衛さんは改めて平伏し、考えを述べた。
「加賀金沢藩の方々を先日接待した席上で知ったことですが、話題となっております土が採れる場所は、能登の石崎村で、実はこの村は御公儀の直轄地なのです。
状況にもよりますが、加賀金沢藩の動きが遅いようであれば、代官を通して触れを出してしまえば良い、とたった今思いつきました。ここにある主な港も天領や直轄地でございましょう。いかがでございましょう」
意次様は大きく頷いた。
「よう申した。この意見や、誠によしである。
意知、このように考えるのが筋であろう。加賀金沢藩の動きを注視し、動きが遅いようであれば自らの手でこの案を具体的にするようお前の所で検討せよ。
その石崎村でどの程度の量が確保できるのか、周辺の村々でどの程度埋蔵されているのかは、重要であろう。まずは、代官に調査させることじゃ。
そうなると、勘定奉行との折衝が重要であろう。連絡をとっておる甲三郎を使って、新しく伝を設けるのが良いと思う」
意次様は、意知様にこう指図すると、今度は義兵衛に向き直った。
「義兵衛、この考えを米の値段の安定や輸送を円滑にするのには使えんか」
いきなりの難題に、息が詰まった。
「いいえ、いろいろと条件が異なります。
米はいろいろな場所で作られており、また扱い量も多いです。
そして、決定的に違うのが、供給と需要の関係です。
米の生産量は天候に左右されますし、その消費は大きく変動しません。
それに比べ、能登の土は、今の所能登でしか産出しません。
採取は常時可能で、埋蔵量が豊富であれば、人手をどれくらい投入するかで生産量が決まります。そして、生活必需品にまでなっていないため、必要量はこれから調整という段階です。
何より、生産現場と消費地の間の価格差が、現時点ではきわめて大きい、10倍ほどにもなる、という点が米と大きく違っております。この価格差があるからこそ、専売によって旨味のある商売の種にすることが出来ると見えるのです。
そして、米の需給量の調整は、その価格を介在させることによって行われますので、米相場の扱いが難しいのと同様、なかなか手に負えないものがあります」
「そうか。うむ、なるほどのぉ。米は供給と需要の関係調整を価格で行っているのか。
豊作・不作で米相場が変動することを判りやすく説明できる言葉じゃのぉ。
これは興味深い話ゆえ、もっと聞いてみたい気もするが、話が最初から横筋に入ってしまった。
それで、まずは、本筋の赤蝦夷のことについて、聞きたい」
話をそもそも横筋に持っていったのが意次様なのに、平気な顔で話題の転換をした。
ここは、『まずは』ではなかろうが、流石に一国の宰相である。
意次様の表情から柔和なところが消え、引き締まった表情になると、場の空気もひんやりとしたものになった。




