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西丸下の田沼上屋敷 <C2333>

申し訳ありませんが、田沼親子、椿井兄弟が同席しているため、混乱を避けるため各人の呼称を意次様、意知様、庚太郎様、甲三郎様としています。以降、こうなりますことをご理解ください。

 北町奉行所から内堀を越えて和田倉御門を通り、幕府重臣の役宅が立ち並ぶ西丸下に入る。

 この一角に御老中の役宅があり、いわば公邸の集合地区となっている。

 西丸下の地区は、一般の大名・旗本が登城する大手門を通らずに、内桜田門から三の丸御殿に入ることができる。

 また、継嗣が居られる西の丸御殿も、西の丸大手御門と坂下御門で直結しており、要職を司るのに相応しい場所に屋敷を与えられているのだ。

 田沼様は老中として、坂下御門に一番近い場所に与えられた屋敷を上屋敷として使っている。

 登城されない日は、お目通りを望む者が列をなして門前へ並ぶ。

 この列は、一度門番が受け付け、用向きに応じた担当用人(家臣団)が順番に対応して捌かれていく。

 ただ、陳情をしてくる者が殆どであり、実際に田沼様と直々に対談される方は結構少ないというのが実態なのだ。

 それでも、一言のお声掛けされるだけでも重要で、そういった面々は、用人からの聞き取りの後に処置が判断され、田沼様からの承認が得られた後に更に待たされた。

 そして、幅の広い廊下で通りすがりにお目にかかり、そこでお礼申し上げることで儀式を終える。

 よほどの内容と判断されると、別室で待たされ挨拶をすることになる。

 こうでもしないことには、とても捌ききれないのだ。

 今回、門番へ安兵衛さんが一言告げると、北町奉行の曲淵様は面会待ちの行列を飛び越して屋敷の玄関へ入った。

 すかさず用人の方が現れて、屋敷奥にある渡り廊下を通り離れ座敷へと案内した。


「主人の都合がつき次第、こちらの部屋に来られます。また、椿井様も着き次第案内致します。

 なお、この離れは他の部屋には接しておらず、よほどの大声でなければ聞こえません。御用の際には、こちらの紐を引いて頂くと、渡り廊下向こう側の控え室にて鈴が鳴り、案内の者が参ります。

 私は控え室に居りますので、しばしそのままお待ちください」


 特に制止もされなかったので、安兵衛さんは関係者然として同じ部屋の下座に義兵衛と一緒に並んで座っている。


「安兵衛、先ほどの本邦の形が書かれた絵図を出せ。ワシが預かっておこう。そしてワシから説明しよう。

 それから、義兵衛さん。実は田沼様からは『赤蝦夷』や『ロシア』という言葉を椿井家の関係者から聞いたら、何を置いても直ぐ連れて来い、と指示されておる。どうやら『この先の本邦のあり方に関して重要な話』と巫女様が言っておったそうじゃ」


 それでこの騒ぎかと納得はしたが、富美にとりついた阿部がどこまでの内容を田沼様に話したのか、想像もつかない。

 とんでもないことを話している可能性もある。

 じりじりしながら待つ内に、椿井家のお殿様が屋敷に着き、部屋に入ってきた。


「義兵衛、絵図を加賀金沢藩の者に渡したのは誠に軽率じゃ。こういった知識は、まずは御公儀に預けるものであろう。そのあたりの思慮が足りておらんぞ」


 御殿様に開口一番で叱られた義兵衛だが、萎れている間もなく田沼意次様が入ってきた。

 そして、続いて久しぶりに目にする富美が続く。

 更に、田沼意知様、甲三郎様とどうやら関係者は全員集合のようだ。


「今回急に面会をお願いしたのは、この絵図のことでございます。これは今朝、義兵衛が今後の商売を円滑にするため加賀金沢藩の江戸詰め家臣に披露したものでございます。問うたところ、赤蝦夷の関係を話し始めましたので、止めて報告に上がりました」


 曲淵様が絵図を広げると、田沼意次様が覗き込み、口を開いた。


「義兵衛、これを目にした者は加賀の者以外は皆ここにおるか」


「いえ、奉行所に出向く理由を説明するため、椿井家江戸詰めの細江紳一郎様に見せております」


 義兵衛ではなく御殿様・庚太郎様がいだ。


「その者は、この屋敷に来るにあたり私の供として連れてきた中におります」


 田沼様は呼び出し鈴の紐を引き、現れた小姓に玄関脇控えの間に居る細江紳一郎を至急呼ぶように告げ、更に今日のこの後の客との面談は全て断って引き取り願うよう伝えると本題に入った。


「赤蝦夷の話が出たら神託を知る関係者を一堂に集めるよう指示をしておった。

 結局の所、巫女・富美は大雑把はことを教えてはくれるが、細かなことは見えておらぬし、どうするべきかの指針は考え無しということが判った。ただ、神託に類すること以外にも、この世ならぬことも口走る故、今まで同様にこの屋敷に留め置くつもりじゃ。

 この絵図だが、とても重要なものと見た。それゆえ、今日はもう来客を謝絶した。

 そこで、曲淵はいかなる所存で赤蝦夷とかかわると見たのじゃ」


 紳一郎様が離れに入ってきた。

 来るなり、意次様の前に置かれた絵図を見て全てを悟ったかのように庚太郎様の横に座り平伏した。


「この絵図を見て、以前見たことのある本邦の図を思い浮かべました。門外不出であり、おそらく御公儀で目にされた方も少ないのではと思いましたが、その類似性は高く、この絵図の信憑性は高いとその場で判断したのです。

 しかし、着目したのは松前藩の差配する蝦夷地でございます。本邦の図と比較しかなり大きく描かれております。

 そこで、義兵衛に確かめた所『蝦夷地は北海道という名で大きさはほぼこの絵図の通り』とのこと。更に、四周のことを確認すると、蝦夷地の北には樺太と申す大きな島があり、海峡を経て赤蝦夷の国と接していると述べました。また、東側の半島から東北方向に国後島・択捉島という大きな島があるということ。これらの島を巡り、将来赤蝦夷と領土に関して問題となること、までを聞き取りました。

 問題の中身については、この場で聞くのが良いと判断し、そのまま連れて来た次第です」


 曲淵様の説明に意次様は、よくやった、という様に頷いた。


「赤蝦夷のことは、明和8年に長崎・出島の商館長より『ロシアは日本侵略計画を持っている旨の情報がある』という知らせを受け、御公儀の中で大騒ぎとなったことがあったが、巫女はこのことを知らなんだようだ。

 また、今月の9日に松前藩の根室にロシア船が来て、通商を要求してきたとの急使がもたらされた。松前藩はまだこのことを隠しておるが、この対応についても、今内輪で相談しておる所じゃが、巫女はこれも知らぬ。

 巫女は『14年後にラクスマンと申すロシアの者が長崎に来航して通商を求める』と言うだけで、詳細や経緯は語ってくれぬ。ましてやつい先日もたらされたこのように細かなことでは知らぬことも多く、対策に困っておるのじゃ」


 確かに、いかに日本史が得意とは言え高校生レベルで、それより細かい話が入試に出る訳ではないのですっぽりと抜け落ちるのはしょうがないだろう。

 こういったことが続くと、神託の確からしさがどんどん疑われていくことになる。

 そういったことを勘案して、富美の中に居る阿部は『自分が知っている歴史しか話さない』という方針にしたものと思われる。


「それはそうと、この絵図の中に書かれている港や金額、なにやら商の気配がするの。意知、この意味を汲み取れるか」


 意次様の前から絵図が意知様の前へ回される。


「能登の所、各所港、最後に江戸まで、金額らしき数字が段々大きくなって書き込まれておりますな。

 ただ、これでは何のことか読み解けません」


 説明抜きでは意味が判らないに違いないのだが、意次様は何やら感づいたようだ。


「赤蝦夷のことも差し迫った問題じゃが、これの意味する所は甲三郎、判るか」


 次に甲三郎様へ話を振ったが判るはずもない。


「曲淵は聞いておろう。説明してみよ」


 やはり意次様は普通のお武家様と目の付け所がちょっと違うようだ。


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