北町奉行所の土蔵再び <C2332>
八百膳への口利きを求めて訪ねてきた渡邉様に、義兵衛は七輪の材料となる能登の『地の粉』を安価に入手できないか、という相談を持ち掛け、その方法を紙に書いて説明したのだった。
その内容は、従来の西廻り航路(酒田を起点に佐渡・小木、能登・福浦、丹後・柴山、周防・赤間関、瀬戸内海を経て大坂へ至る)と上方・江戸航路を使うのではなく、石崎から北前船を頼って酒田、土崎・能代・鯵ケ沢・青森まで運び、そこから東廻り航路(青森を起点に八戸、宮古、石巻/塩釜、那珂湊、銚子を経て江戸へ至る)という方法だった。
ただ、この説明にあたり、ちょっとした日本地図を描き、そこへ解説を加えたものを書いて示したのだ。
渡邉様は、上役の湯浅様とまずは相談すると言ってこの説明した紙を持ち帰り、後には安兵衛さんが残ったのだった。
「ええと、義兵衛さん。すぐ今から北町奉行所に行きましょう。今、加賀金沢藩の渡邉様にされたお話はとても重要な内容を含んでいます。当然ご存じだとは思いますが、義兵衛さんがなされていることは私が御殿様、曲淵様へ報告しているのです。当然のように『なぜ』という下問がいつもあり、最近はある程度背景から推測して返事ができるようになりましたが、今、渡邉様に話された内容はとても説明しきれません。こうなると、もう一緒に奉行所に一緒に行くしかないでしょう。決して邪魔立てするつもりはございませんが、流石にこれは、加賀金沢藩の御武家様に話されたことやその内容は、私の手に余ります。
もし、今が駄目ということでも、おそらく奉行所からの呼び出しとなります。そういう恰好になると、大事になりませんか。私の立場や、御殿様の影響のこともよく考えてください」
突然に安兵衛さんがそう言い放った。
確かに、言う通りと思った義兵衛は、直ぐに紳一郎様に控えの間へ来てもらい、そして、渡邉様へした概略を説明し、安兵衛さんへ渡した説明図を見せた。
「うむう、これは止むを得まい。殿にはワシから説明しておくので、これから奉行所に向え。やってしまったことはしょうがない。ただ、軽率なことは控えよ。
そして説明の中で問題が起きたら、ただちに屋敷に届けよ。御殿様の登城日はまだ先なので、連絡さえあれば、それなりの対応はできよう」
安兵衛さんがいるため抑えた口調ではあったが、明らかに怒気を含んだ厳しい声で紳一郎様は奉行所へ行く許可を出した。
御殿様に迷惑が及ぶような勝手な真似はしてはならぬ、という意図は充分伝わってきている。
義兵衛はその意を汲んで平伏し、奉行所へ向った。
北町奉行所は当番月でないため門は閉ざされているが、私邸側の門をくぐり屋敷へ入った。
屋敷に入ったあと、安兵衛さんが事前に曲淵様に説明しているようで、義兵衛は私邸側の座敷へ案内されてそれなりの時間を待たされた。
曲淵様が座敷に入ってくると、平伏し挨拶しようとする義兵衛を差し止めた。
「時間が無い。安兵衛よりあらかた聞いたが、まずはこの絵図につき、聞きたいことがある。
ワシは八代様(将軍・吉宗様)御存命の享保年間の折に作られた本邦の図(享保日本図:1721年)を見たことがあるが、確か門外不出であった。しかし、形や大きさの比率は良く似ておる。
何故に本邦の図をこのように描くことが出来たのかまでは問わぬ。だが、この絵図では、蝦夷地の松前藩だが、かなり大きく描かれ過ぎていないか」
「いいえ、私の知る所、いやおそらく巫女の代わりとして一時期依り代となっていた時期に得られた知識と思いますが、北海道・いや蝦夷地は概ねこの程度の大きさと認識しています」
義兵衛は、質問されている刹那に全身汗だくとなり、しどろもどろになりながらなんとか答えた。
「そうか、蝦夷地は北海道と申すのじゃな。それで、この蝦夷地の周囲はどうなっておる。
言うておくが、隠し立てせず、知る所を述べるのじゃぞ」
竹森様の記憶によれば、確かまだロシアのラクスマンが根室に来るのは1792年のはず。
そして、1804年にレザノフが長崎に来る。
後は、ゴローニンが1811年国後島で事件を起す。
今は安永7年:1778年なので、まだ充分早いはずだが、よく覚えてないが『赤蝦夷なんたら......』(史実は赤蝦夷風説考。工藤平助が寛政4年:1783年に献上)といった資料が田沼様に渡り、それがきっかけで蝦夷地開発に目を向けたという記憶がある。
正確な年代は思い出せないので不明だが、それがもうあったのかも知れない。
「はい、蝦夷地は広いですが、その北方に樺太という大きな島があります。海峡を経てロシアという国と接しています。
また、この岬(知床岬を指す)の先に、国後島・択捉島という大きな島があります。樺太も含め、これらの島は将来ロシアとの間で領土問題を……」
「ああ、説明はそこまでで良い」
曲淵様は義兵衛の話を大きなふりをして、途中で突然遮った。
「安兵衛、西の丸の田沼邸に手の者から使いを出し、御老中の都合を聞いて参れ。『椿井家の義兵衛がことで、至急面談を』とだけ伝えれば良い。
それから、蔵の周囲を人払いし、義兵衛殿を2階に案内致せ。御老中からの返事が来るまで、そこへ留まらせておくのじゃ。お前は、2階で一緒に居よ。周囲は手の者に見張らせ、ワシ以外の者を近づけてはならぬ。
今月が非番の月で幸いじゃった」
曲淵様の指示でバタバタとその場を畳んでしまい、やがて安兵衛さんの案内でいつぞや甲三郎様と一緒に押し込められた土蔵に入った。
「申し訳御座いません。話が非常に機微を要するもの、という判断から『座敷でこれ以上の話は危ない。椿井家の神託に少しでも関係する話の場合は、どこからも聞かれぬようにするため土蔵を使え』と殿からのお達しです。
もしこの後、御老中との面談という次第になれば、椿井家の御殿様にも出て頂くことになりましょう。幸い、今日・明日は御登城などもなく差し支えなさそうです」
『ああ、これは嵌ってしまったようだ』
昨日の興業後に離れで『一度、当家の屋敷に参れ』と田沼様が言ったことを思い出した。
田沼意次様との面談時間が取れるかどうかではなく、甲三郎様と巫女の富美を交えた情報の確認になるに違いなく、そこに御殿様も同席するに違いない。
考えている内に曲淵様も土蔵の2階にやってきた。
「ほう、この暑い中、土蔵の中はなかなか快適ではないか。もっとも、人が増えると熱が篭るので、今は良くてもその内に耐えられんようになるであろう。
あの座敷は、以前話が漏れた可能性があるので、神託からみの話はご法度にしておるのじゃ。田沼様からの返事を待つ間は、ここで居ってもらう。赤蝦夷については、巫女様より田沼様が多少話しを聞いており、そちの方にも覚えがあるようなので聞きたいであろうと思っての処置じゃ」
「それで、田沼様との席には、安兵衛さんも同席されることになるのでしょうか」
「難しいであろうな。ワシは同席を望むが、知る者が少ないことで辛うじて平穏を保っておるのじゃからな。もし、椿井殿や甲三郎殿が赤蝦夷のことを全く知らないのであれば、それも外しての会談となろう」
「ロシアとのことは、御殿様は一切知らないと思います。ただ、甲三郎様は巫女・富美から何らかの話を聞いている可能性もあります。次世代を担う意知様に仕えておりますので、背景を知ることも必要と判断されることがあるやも知れません」
やがて、田沼邸からの使いが戻り、曲淵様と安兵衛さんと一緒に田沼邸へ向うこととなった。
また、同時に椿井家には『至急田沼邸へ行け』との急使が遣わされたのだった。




