加賀金沢藩の渡邉様 <C2330>
■安永7年(1778年)6月21日(太陽暦7月15日) 憑依133日目
昨日の興業の余波か、疲れが充分取れぬまま目覚めた。
しかし、せねばならぬことが目白押しで、とんだブラック企業のサラリーマン状態なのだ。
それでもこの家では一応武家らしく、寝具が整えられており、この世界では上級の扱いになっている。
連日の疲れからか微熱を感じるので、出来れば屋敷で穏やかにしていたいと思いながら朝餉を採っていた。
しばらくすると、安兵衛さんが屋敷にやってきて部屋に現れた。
「流石に体調が悪いので、今日はどこにも出かけたくはない」
安兵衛さんも同意してくれた。
「確かに、ここ数日といわず、義兵衛さんに付いてもう20日にもなりますが、お会いしてから毎日が厳しい日々でした。特に最近は大きな興業を見事に下支えされましたな。ならば今日1日位はのんびりと過ごされるのも良いかと思いますよ。どうせ、どうしても必要になれば、否応なしに呼び出されるのでしょう。
そうですね、私の予想では、萬屋さんですかね。今回の興業の収支報告でしょうが、それは後でも間に合いましょう。
まあ、今日は屋敷の長屋に積みあがっている七輪の仕上がりを見る程度でも良いのはないでしょうか」
確かにそうだが、七輪は4回目の搬入が確か明日だったはずで、そろそろ各所への仮払いが必要な時期になっている。
大どころでは珪藻土の代金なのだが、差し迫っているのが秋葉神社への寄進なのだ。
本来であればお金は小出しにせず、まとめて支払う代わりに値引きを要求したいのだが、その元手がないので身動きが取れないのだ。
萬屋さんから借りるしかないし、事情を説明すれば貸してくれるには違いない。
だが、それに対して見合うものは全部将来のものであり、借りることで義兵衛の選択幅が限られるのは好ましくない、と思えるのだ。
一層のこと、高利貸しよろしくそれなりの金利で契約すれば良いのだろうが、今までの関わりを考えると多分利息は要らないと言うだろう。
恩を恩で返すということは良いのだが、利益や繁栄の恩を売るとか、その逆はやりたくないという思いなのだ。
そこは、義兵衛の心の問題なのでどこかで折り合いを付けるしかないだろう。
あまり聞かせたくはないが、弱気になっている義兵衛はついつい安兵衛さん相手にぽつりぽつりと愚痴を言い、安兵衛さんも仕方ない、という感じで付き合ってくれている。
「義兵衛さん。新しい料理を八百膳さんに教えて対価を貰うというのはどうでしょうかね。
それとも、知り合いの料亭とか。私の目から見て、恩を金で払ってさっぱりしている坂本さんは好都合ですよ。辣油は即金で御礼を支払っておりますし、あれは興業で切羽詰まってなければ義兵衛さんがもらってもおかしくないお金でしたよ。
ここで思い切って、請負するとか。興業で勝負に勝った今なら、報奨金もあるので狙い目ですよ」
「いや、そう言われても、新しい料理や調味料なんて、そうそう思いつくものではありませんよ。それに、多分必要とされるお金は100両以上というとんでもない金額。新しい調味料があっても10両がやっと、ということであれば、そもそもやり方が間違えているのでしょう。これから9月までの3ヶ月に必要な現金を、きちんと把握しそこなった間違いは、結構厳しいのですよ。
それで、こういった金策に困った時には、出資元を1ヶ所に絞るほうが賢明と考えているのです。
せめて、仕出し膳の座が裕福であれば、そこから借りる算段をつけるのが良いのですが、いかんせん現状の興業収支をやっと黒字に出来たという水準では、どうしようもないでしょう」
こういった遣り取りを重ねる内に、門番からの声がかかった。
「加賀藩士の渡邉様が面会を求めていらっしゃいました。会われますか」
かなり早い時刻ではあるが、わざわざ屋敷を訪ねて来るというのは余程の事情があるのだろう。
この屋敷に戻った早々、不在の折にも訪問があった、と紳一郎様からも伝えられていた。
わざわざこちらから出向くこともなかろうし、要があればまた直ぐくるに違いないと思っていたのだが、それが早速という具合になった。
御屋敷の御殿様の座敷を借りるという訳にもいかないので、玄関脇の控えの間を借り、そこで会うこととなった。
「義兵衛さん。9日程前の八百膳でお目にかかった渡邉勘三郎です。至急にも相談したいことがあり、押しかけてきた次第です」
渡邉勘三郎様は、加賀金沢藩江戸屋敷詰めの勘定方の一人で70石取りの家臣だ。
ただ、前回の接待で出席した中では一番下の者で、江戸詰め家老の横山様は2万石、その配下の勘定方の湯浅様、廣瀬様、御家老付きの牧様と皆100石以上の知行を受けていることから比べると、江戸屋敷の用人の中では下っ端に違いない。
とは言え、義兵衛は5石で抱えられた新参者であり、理屈の上でも本来釣り合う格ではない。
だが、そういった義兵衛に相談とは穏やかではない。
「ここではまだ新参者で下っ端なので、きちんとした部屋への案内は難しく、このような場所でご容赦ください。それで、相談ごととは何でしょうか」
「接待の時に使われた八百膳のことです。あの後、当家家老の横山様が接待内容を甚く気に入られて『是非当家の行う接待先に加えよ』と申されるのです。そこで私が八百膳に掛け合ったのですが『予約で一杯の状態で、とても応じることは難しい』と受け付けてもらえません。
上役の湯浅様から聞いた話では『椿井家からの申し入れで接待を申しつけた所、いとも容易く八百膳を確保しておった』とのことです。当家にとっては縁もない一介の旗本からの申し入れなので、おそらく接待にあたっては、こちらからかなりの無理・難題を言い付けたに違いないのでしょうが、見事に接待されたということについて、驚かされた次第です。
あの接待を八百膳に受け付けてもらうために、何をどうしたのかを教えて頂きたいのです」
家老と上役殿の無理・難題が椿井家でなく、加賀金沢藩では下っ端の渡邉様に向ったのだ、という事情を悟った。
ここは八百膳の善四郎さんから聞いていた『こんな時の言い訳』で説明するしかない。
「あの接待の件ですが、本当にたまたま宴会・接待の予約の取り消しがあり、その後釜に座ることが出来た、というのが真相です。
話を持ち込んだのが前日という、丁度良い時だったことも影響していると思いますよ。
それで、予約取り消しの場合『普通なら予約を他所に回すという失礼なことはしない』のですが、当家は仕出し膳の焜炉・小炭団で薪炭問屋の萬屋さんと深い関係があり、このつながりから八百膳さんに多少ですが無理を聞いてもらうことができます。丁度前日に取り消しされた予約があり、こちらから声を掛けたのが、その準備を反故にする直前だったので、準備を無駄にしないという理屈で八百膳さんに無理を聞いてもらったのです。
そのような訳で、一般のお客様の扱いとなる渡邉様からの申し入れを断られたのだと思います」
実際には義兵衛の言う説明と、湯浅様の前で切った啖呵を比べると矛盾はある。
しかし、渡邉様はあの場に居た訳ではないので、いかにも合理的に思えるはずだ。
果たして、渡邉様は了解した証として頷いたが、まだ続きがあった。
「それで、八百膳で接待の宴を引き受けてもらうには、実際にどうすれば良いのですか」




