田沼意次様・松平定信様の面談 <C2329>
この小説を書き始めてから約1年半になり、文字数も100万字を越えてしまいました。
なかなか思ったように進んでいきませんが、設定の不備やらなにやらで悩みながらも進めていきますので宜しくお願いします。
幸龍寺の客殿から回廊を通って案内された別室は、三方を池に面した静かな書斎作りの部屋であった。
別部屋が繋がっている訳でもなく、渡り廊下を抑えてしまえば周囲から隔絶された環境、それはおそらく相応しい場所であろう。
池に面して開け放たれた3方の窓は腰板が立ち上がっており、畳の上に座ってしまえば外から見有れる心配はない。
義兵衛はそれぞれの窓際から頭を突き出して外壁を目視し、怪しいものが無いかを調べた。
義兵衛が部屋の入口で正座すると、間もなく小坊主に案内されて主殿頭様(老中・田沼意次様)と越中守様(松平定信様)、それに御殿様(椿井庚太郎様)が渡り廊下を通って部屋にやってきた。
お坊様が茶道具を一通り持ち込み、茶を配り終えると、義兵衛はお坊様にこの場を遠慮してもらいたいこと、渡り廊下の途中で余人が入り込まないよう見張っていて欲しい旨を依頼した。
「これはなかなかの興業ではないか。一流の料亭がその技を直接に競い合い高めていく。こういった場に、台所役人を参加させることで、料理人としての目や舌も肥えよう。お上の御膳もどうあるべきか、工夫も捗るに違いあるまい。
お上の御膳も白米一辺倒から切り替えるよう申し付けたところじゃが、裏でこのような場を画策しておるとは、甲斐守(北町奉行・曲淵景漸)もなかなかやりおる。
さて、越中守殿。先ほどの懇親の席で、なにやら将軍家・家基様のことを言いかけておったが、椿井家の巫女のこと、その予言のことをどこまで聞いておる。あの場では、他の者もおろうゆえ、滅多なことは口にされぬがよろしかろうと思って、止めさせてもらった。
田安家当主へ戻る話は、奥向きの者への口利きも得られ、やっと上様のお許しが得られるところまで進んだが、その背景はあらかた椿井家の者より聞いておろう」
「はい、正しく驚天動地の予言でございます。4年後から7年続く大飢饉になること、家基様が落馬なされそれが元で大変となること、当代様が御病気になられることを聞いております」
続いて、この詳細を語った。
「それで、主殿頭様のところに居られる巫女様が、この国を襲う大飢饉対策の要として私が適任としてご推挙頂いたのではないか、と聞いております」
「すると、一橋様の件は聞いておらぬのか」
「さて、何のことでございましょう。現将軍家のことはともかく、清水家や一橋家のことは全然聞いておりません。予言には、必ず当たるものもあれば、人の行いにより外れてくるものもあると聞いており、あまり先のことを聞いても仕方ないと最初に言われて問うことを止めております」
「それは賢明なことである。椿井殿の配慮も確かであるな」
御殿様が平伏するのに合わせ、義兵衛も平伏した。
白刃で脅された後、聞かれなかったから言わなかっただけ、というのが真相なのだが、田沼様から見ると洗いざらい話していないことも御殿様の深謀遠慮に見えているようだ。
「この椿井家の知行地では、まずは民が飢えぬようにという施策を今から進めておるとのことです。ただ、驚くべきはその進め方であります。里から身分を問わず知恵者を集め、その働きによって財政を豊かにし、その財政を持って米の備蓄・開拓地への救荒作物の作付など効果を表す時間を見込んで順番に手を付ける、と至極真っ当な取り組みをしております。真に驚くのは、この知恵者を見出すためのしかけを60年も前から手掛けておる所です。このような旗本、いや大名も含めて民を治めている者を私は知りませんでした」
ふと横を見ると、御殿様が真っ赤になって体全体から汗を滴らせている。
「はは、越中守殿もそう思われたか。実はワシもそう思い、丁度無役であった椿井殿の弟・甲三郎殿を息子の大和守(田沼意知)の家臣として召し抱えたのよ。財務に明るいため、彼の者が申す施策を勘定奉行の方へ説明させておる。いや、こちらの方も仰天するような施策じゃて。
なかなかこういった方面に明るい人材はおらぬので、本来であればこういった能力を持つ者をとりたてていくべきなのだがな。
何某かの能力に秀でたものを推挙したいものの、しがらみが多くてかなわん。御役を求めて我が屋敷に日参するものは、いつも先祖の話ばかり聞かせよる。ワシが聞きたいのは、ご公儀の金蔵をどのように豊かにするのか、していくのかの話であるのに、大昔の槍働きの話をして、それで遠国奉行に推挙せよとは片腹痛いわ。
そういった中で、越中守殿はどういった訳か椿井家より譲って頂いた巫女様が随分高い評価を口にしておる。この大飢饉の後に出された施策を前倒しするだけで随分違うことになると申すのじゃ。ワシと違うて賄賂まみれではなく清廉で人望が厚いそうじゃ」
義兵衛はじっとりと汗が噴き出すのを感じた。
一体全体、富美(阿部)はどこまで田沼様に話しているのだろうか。
それはさておき、越中守様は満更でもない顔をしている。
「将軍家の大事について、既に田沼様が手当を指示されたと聞き及んでおります。私も将軍家に繋がる者、微力ながらもかような大事に至らぬよう努めますぞ。そして、何よりもこの大飢饉。巫女様の神託では何もせねば大勢の百姓が犠牲になり、また一揆も多発するとのこと。この神託が真とならぬよう精一杯努めさせて頂きますぞ。
そのために、数年前に覚えた下らぬ遺恨はきれいさっぱり捨てております。何卒この私に政に参画させて頂きたくお願い致します」
これは田沼様の好む言い方に違いない。
越中守様の意志表示の発言に深く頷いた主殿頭は最後に義兵衛を向きこう告げた。
「当家で預かっておる巫女が、義兵衛と何か話をしたいそうじゃ。甲三郎も同じように申しておる。一度、当家の屋敷に参れ。ワシが登城の日は、目通りを願う大名家・旗本・商人等も少なかろう。門番には用人の三浦に繋ぐよう申し付けておく。きっと参れ。
それから、毎朝連絡の不備がないように御用聞きをしてくれていると聞いておるが、向後不要であろう。越中守殿は必要であれば、田沼邸へ使いを出してもらおう。もっとも、萬屋が御用聞きすることで利があれば続けるのもよかろうがな」
義兵衛は「ははっ」と命に従う旨態度で示した。
しかし、片付けねばならぬ用件が1個増えてしまったことに、いささか辟易していたのだった。
4人だけの話合いはこれにて終了し、お二方とも客殿の控え室に戻られた。
しかし、御殿様にはこの場に残ってもらい、片付けねばならない案件についての相談をしたのだった。
一通りの話が終わり客殿へ戻ると、企画を担当していたお坊様は満面の笑みを浮かべて二人を迎えた。
「今回の興業は、とてつもなく大成功でございますぞ。
なんと売れた御札が6823枚、その後に行った設問遊びで更に3876枚、これだけでおおよそ26両。別棟の料理供応は一人500文(12500円)で200人席が完売。ざっと250両の売り上げ。もちろん料亭へお支払いはございますが、有り体に言ってしまえば10両程で済むことなので、丸儲けでございますよ。これだけの人出があれば、御祭の出店もさぞかし儲けておりましょう。次の興業で出店の申し出が、いやぁ、想像するだけで笑いが止まりません」
土壇場までいろいろとあったが、これで大きなイベントを無事終えることが出来てほっとしたのだった。
気力を使い果たしていた義兵衛は、事務方の慰労会を兼ねた感想戦に出たものの、いつものような切れもなくぼんやりとしていた。
「義兵衛様、この度も興業は大成功で、これで瓦版の売れ行きも保証されたようなものです。料亭宣伝の文字入れ入札もかなりの利益を出しており、以前示唆頂いた支店もこれで目途がたちそうです」
版元さんの言葉に、まだ増え過ぎた料亭を地区別に分け、その代表で料理を競い合うという件を詰めていなかったことを思い出した。
「ああ、おそらく向島の秋葉神社と、芝の愛宕神社、まあ焜炉に刻まれた神社なのですが、そこが中心となる見込みですので、今の内から懇意にされておかれてはいかがでしょう」
少し投げやりに答えてしまった。
「これは、ありがとうございます。少しお疲れのご様子。あまり無理なさらぬようにお願いいたしますよ」
版元さんからの言葉に力なく頷くと、義兵衛はほとんど木偶の坊状態で慰労会を抜け出し屋敷へ戻ったのだった。




