第二回料理比べ興業 <C2328>
■安永7年(1778年)6月20日(太陽暦7月14日) 憑依132日目
第二回となる料理比べ興業の開催日である。
取り組みは、8料亭・3戦となっている。
> 日本橋・坂本(大関) 対 浮舟町・百川(小結)
> 一石橋・三文字屋(前頭)対 橋場・甲子楼(幕下)
> 亀戸町・巴屋(幕下) 対 3軒の下記料亭
牛込・阿波屋(幕下)、明神町・伊勢傳(三段目)、八丁堀・魚留(三段目)
目玉は大関・坂本に挑む新進気鋭の小結・百川となっている。
これに料理方の重しとして、登戸村の加登屋が睨みを利かす形となる。
行司は10名だが、3倍の票数を持つ3料亭、それ以外の事務方1席、武家3席、町方3席である。
> 料亭は、勧進元・八百膳、大関・武蔵屋、関脇・大七
> 事務方の瓦版版元・當世堂
> 武家:寺社奉行・太田備後守(遠江国掛川藩5万石藩主太田資愛)
北町奉行・曲淵甲斐守(旗本3000石曲淵景漸)
台所役人・相沢林之丞(御賄頭・旗本200石+100俵)
> 商家:町年寄り・樽屋与左衛門、札差・伊勢屋宗四郎、薪炭問屋・奈良屋重太郎
目付は武家5名、商家5名となっている。
> 武家:松平越中守(松平定信・陸奥国白河藩11万石藩主)
老中・田沼主殿頭(田沼意次・遠江国相良藩57000石藩主)
寺社奉行・土岐美濃守(土岐定経・上野沼田藩35000石藩主)
南町奉行・牧野大隅守(牧野成賢・武蔵国足立郡・知行2200石旗本)
台所役人・柘植伝太郎(御広敷膳台所頭・旗本130石+100俵)
> 商家:札差・下野屋十兵衛、札差・利倉屋庄左衛門、札差・笠倉屋平十郎
帆船干鰯問屋・村田屋平四郎、魚問屋・鯉屋市兵衛
そして、事務方として萬屋が全体と商家側を仕切り、椿井家が武家側の仕切りを支援する格好となっていた。
「どぉ~ん、どぉ~ん」
大きな太鼓の音が幸龍寺の境内に響き渡る。
行司役・目付役ともに客殿脇の控え室に揃う頃、興業の見学に来る参拝者から客殿廊下へ入室する観客選びが中庭で始まったようだ。
大きなざわめきが窓を開け放った客殿の中まで聞こえてくる。
最初は4択、後は2択となっており、何度か設問が繰り返されて見学者を80人に絞り込む算段だ。
出題され回答選びを締め切る度に大太鼓が鳴らされ、そして歓声が響く。
その音が7~8回も続くと大太鼓が乱打され、見学者の移動が始まった。
答えを間違った者が中庭に残されているが、折角の仕組みということで、懐の銭を使って太鼓は鳴らさずにゲームを楽しんでもらう趣向と聞いている。
見学者が入り、競技する膳の準備が整うと、小坊主の案内で目付役・行司役の順に着席していく。
全員が着座すると、萬屋主人・千次郎さんが興業の開始を宣言した。
「どぉ~ん、どぉ~ん」
間髪置かずに中庭で太鼓が鳴らされる。
この音に合わせて、別棟では今回の勝負で使われる料理と同じ膳による試食が始まっているに違いない。
さて、その競技だが、前回はそれぞれの膳に順位付けする必要があったのだが、今回は対戦する3組のそれぞれに優劣を判断するだけで良くかなり簡略化されている。
行司がそれぞれの膳に手を付け、勝っていると思う膳の方に白の碁石を置き判断が下される。
3料亭の行司は碁石を3個持っており、これを置く。
4脚の対戦組み合わせのものについては、勝っている膳に白石、一番劣っている膳に黒石を置くのだ。
行司が席を立つと、小坊主が膳を回収して結果を報告、事務方はそれを集計して勝敗を付ける。
そして、肝心の膳料理だが、卓上焜炉を使用した膳は8脚中3脚しかない。
夏場の暑い盛りに、焜炉料理は相応しくないという5軒の料亭・主人たちの判断は間違っていない。
義兵衛が直前に策を授けた坂本は、残念ながらしゃぶしゃぶ一本槍で焜炉を出している。
ただ、この暑い最中にあえて辣油を仕込んだ胡麻タレで勝負に応じたということだろう。
客殿内へは上座から涼しい風が絶え間なく送りこまれており、焜炉の発する熱が堂内に留まるようなことはなく外へ流れていく。
料亭・坂本がここまで想定・理解して企んだとは思えないが、見事図にあたった感がある。
前回の興業に比べ比較的短い時間で行司は判定を終え席を立ち、別棟の懇親席へと向かった。
行司が全員別棟に向かうと、目付役は順次小坊主に案内されて席を立つ。
椿井庚太郎様も目付を先導する恰好で別棟に移動している。
この時の義兵衛の関心はもはや料理ではなく、主殿頭様(田沼意次様)と越中守様(松平定信様)の挙動に絞られていたのだ。
行司、目付が席を立ち、客殿内に料亭・板前だけが残ると、千次郎さんが競技の終了を宣言した。
「どん、どん、どん、どん」
中庭の太鼓が乱打され、競技の終了が境内で結果を待つ人に伝えられる。
途中経過は客殿から逐次伝えられ掲示されているが、3票持つ3料亭の結果が一番遅くなっていたため最後までどうなるかは見えていなかったのだ。
そして、集計結果がまとまるとそれが中庭で公開された。
結果は、全て料理番付け通りとなり、前評判の高かった百川は7票で、ピリ辛で旨味のある胡麻ダレを持ち込んだ坂本が9票と、わずか2票の差で惜敗したのだった。
坂本は、夏場不利な卓上焜炉で勝負してかろうじて勝て、店主は安堵の表情を見せていた。
控え室の女将は涙を浮かべていたようだ。
さて、別棟の懇親の場では行司・目付の20人に加え、料亭・主人8人、事務方として椿井様が揃い興業御礼の挨拶が始まっていた。
親睦の場とは言え、立場に応じた席次があり、御老中様を始めとする大名を主賓として挨拶が交わされていく。
お酒も多少入り、場が和み始めた頃に、料理膳の判定結果報告が千次郎さんからなされた。
「詳細は後日瓦版にて公表されますが、この場におられる方々については、売り出しの前日には事務方より改めて御礼と御報告に伺いますのでよろしくお願い申し上げます」
義兵衛が気にしているお二方は、この懇親会の席でも隣り合わせに座って頂くようにしていた。
そして、なにやら親しげに話をされている様子を見て安堵の息を吐いたのだった。
懇親の場は、商家側で大勢となった札差の面々が大いに盛り上げている。
後の世に18大通人と称される文化人・遊び人が商家側の行司・目付として7人も入っているのだ。
その遊び慣れた面々がこういった場をしらけさせるはずもなく、1刻ほどの時間があっという間に過ぎていった。
勧進元の八百膳・善四郎さんもこの様子に満足しており、幸龍寺の責任者である企画担当のお坊様も満足げな表情になっている。
そうする内に、主殿頭様は椿井庚太郎様を呼びなにやら言いつけ、その話が義兵衛にも回ってきた。
「主殿頭様は別室で越中守様と話がしたいと仰せじゃ。すぐ手配せよ。
それで、ワシと義兵衛も同席せよ、とのことじゃ」
義兵衛は千次郎さんに後の収拾をお願いし、企画を担当している幸龍寺のお坊様に静かな部屋の用意を頼んだ。
そして、案内されるまま後に付いて客殿・別棟を後にした。
「御殿様方は場が整い次第小坊主が案内いたしますので、大丈夫です。
しかし、このように盛況になるとは、普段気難しい顔をされておる寺社奉行様も満足顔で、私共も安心致しました」
このお坊様の感想は、今回の興業も失敗する訳にはいかない義兵衛の耳に心地よく響いたのだった。




