行司席・目付席での収入 <C2326>
「義兵衛でございます。先ほど江戸へ戻ってきました」
店の中から大番頭の忠吉さんが出てきて茶の間へ案内してくれた。
そこには八百膳・善四郎さんと版元さん、それに幸龍寺の御坊様が揃っていた。
この時期だと幸龍寺で話し合いするのが妥当と思われるのだが、なぜ今時分に萬屋で雁首を揃えているのか、義兵衛は不審に思った。
「義兵衛様、今日お帰りになると聞いておりましたので、こちらで集まっておりました。段取りはあらかた済ませておりますが、お報せせねばならぬことが起きております。
御老中・田沼様預かりとなっておりました目付席でございますが、今日の昼過ぎに北町奉行所の戸塚様が萬屋へ見えられまして、田沼様自らが参加なさる旨、通知がございました。それでこのように集まった次第です。
一介の町民が行う興業ではありますが、仕出し膳の座がその技量を披露する場でもあることを認められ、この興業の意義を高く評価されてのことでございましょう。今更席を記した瓦版を改めて出すまでも無かろうゆえ、当日配布するものだけ記載すればよかろうと思っております。
ただ、版元さんとしては折角の話でもあり、機会を活かしたかったということも懸念したからの寄り合いです」
千次郎さんが説明してくれた。
『田沼様が直接出席とは恐れ入った。この通知がむしろ直前で良かったかも知れない。仮に、最初から判っておれば、この興業でつなぎを求める面々で大変なことになったに違いなかろう。このことが当日判るというのは好都合かもしれない。しかし、必要なところには前もって知らせておくのが妥当であろう』
こう考えた義兵衛は切り出した。
「当日の不具合が出ないようにすれば良く、ここで話を広めるのは得策ではないでしょう。迎え入れる側の段取りで失礼が無いか・席次とどうするかを再確認してください。武家側はお役ではなく石高順が妥当でしょう。
それから千次郎さん、丁稚をお借りしてよろしいでしょうか。御殿様にこのことを知らせておかねばなりません。
あと、私が不在のおりにも越中守様(松平定信様)の御屋敷への御用聞きで何かありましたでしょうか」
「いや、御用聞きでは特に何もなかったが、それでは不味かったかな」
「いいえ、それならば良いのですが、田沼様が出られる件は越中守様にも伝えておく必要があります。丁稚は椿井家へお使いに行ってもらい、私はちょっと越中守様の御屋敷へ伝言に行って参ります」
義兵衛は御殿様への文を書き丁稚へ託すと皆に挨拶して越中守様の御屋敷へ向ったのだった。
楓川を渡り汗だくで越中守様の御屋敷に着くと、門番に窓口になって頂いている宮久保様を呼び出してもらった。
門脇の門番小屋で待っていると、留守居役代理の宮久保弥左衛門様が入ってきた。
「明後日の料理比べ興業につき、至急ご連絡しておかねばならぬことが起きましたので、越中守様へ御伝言をお願い致します」
「それで、その伝言内容はワシが聞いても良い内容かな。夜分であれば直接言上する時もあろうが、その様子であれば急ぎかな」
「いずれ伝わる話なので問題御座いません。
しかし、この件はどこよりも、誰よりも早くお伝えせねばならぬ、と駆けつけた次第です。
武家側出席者で空席になっておりました目付役席ですが、御老中・田沼様が自ら御出席されるとの連絡が今日の昼過ぎに興業事務方へありました。越中守様も同じ目付役で御座いますので、親しくお話できる機会もあるかと存じます。
この興業の武家側目付役は、こちらの御殿様・松平越中守様(松平定信様・陸奥国白河藩11万石藩主)と御老中・田沼主殿頭様(田沼意次様・遠江国相良藩57000石藩主)だけでなく、寺社奉行・土岐美濃守様(土岐定経様・上野沼田藩35000石藩主)、南町奉行・牧野大隅守様(牧野成賢様・武蔵国足立郡・知行2200石旗本)、御広敷膳台所頭・柘植伝太郎様(武蔵国葛飾郡才羽村・知行130石旗本)と御同席になります。
席次はお役目順ではなく石高順になると思いますので、お席が隣合わせになりますとお伝えください」
「よし、ことの次第は判った。早速にも殿に伝えよう。
それで義兵衛さんはどうなさる。殿へのお目通りは急なこととて難しかろう」
「お伝え頂けるのであれば、それで結構です。私は堀向こうの薪炭問屋・萬屋に詰めておりますので、もし御呼びがあれば直ちに参上いたします。また、明日朝は丁稚として御用聞きにも参ります」
義兵衛はこう述べ、越中守様の御屋敷を辞去した。
萬屋に戻ると、一同は興業での受付や席次を検討していた。
「只今戻りました」
義兵衛が検討の輪に入ったときには、武家側の行司・目付の席次は概ね決まった状態となっており、商家側の扱いに移っていた。
「商家側は、当初の目論見と随分違う格好になってしまいました。公開入札で行司・目付席各1席、非公開で各1席の変更で済むつもりでしたが、町年寄り3家に割り振った目付席で町年寄りの樽屋与左衛門様以外の2席が譲渡されてしまっています。
しかも、非公開入札後に行司役と目付役を入れ替えて申告されてくるというおまけ付きでした。
行司役は、当初からの薪炭問屋の奈良屋重太郎様、公開68両で落札された札差の伊勢屋宗四郎様、非公開98両で落札された札差の下野屋十兵衛様が目付役となって替わりに町年寄りの樽屋与左衛門様ということになりました。
目付役は、町年寄り3席は不在となり、替わりに皆札差の下野屋十兵衛様、利倉屋庄左衛門様、笠倉屋平十郎様となりました。
入札では、公開36両で落札された帆船・干鰯問屋の村田屋平四郎様、非公開50両で落札された魚問屋の鯉屋市兵衛様となっております。
事務方の行司役としては、瓦版・版元の當世堂様、料亭の番付大関の武蔵屋様、同じく番付関脇の大七様、勧進元の八百膳となります」
八百膳の善四郎さんが一気に説明してくれた。
いわゆる十八大通人と呼ばれるようになる金持ちが席をかっさらって行ったということだ。
しかも、目付にした町年寄りのうち樽屋与左衛門様は行司に入れ替わっている。
もし、権勢を誇る老中・田沼様にお目通りできる機会があった、と事前に察知されていたら、それどころではなかったに違いない。
そして、前回の興業で目付に押し込んだ町年寄りの奈良屋さんと喜多村さんが、あっさりと札差に席を譲った訳を聞いた。
善四郎さんがぶっきらぼうに話してくれた。
「ああ、町方席がごちゃごちゃになったのは、かぶき者・分限者と呼ばれる粋筋の者が金に物を言わせて譲ってもらったことが原因なのさ。入札ということをして席の値が見えるようになると、こうやって手を出してくる者が出てくることは見えていた。奈良屋さんや喜多村さんはそれなりの金額を入手できているので納得しているだろうが、これで次回興業の割り当てがあると思われてはかなわん」
確かに、その可能性はある。
薪炭問屋・奈良屋重太郎さんは上機嫌で行司を務めることになるが、本来は萬屋さんの席を無償で譲っているのだから、そこを勘違いされては困るのだ。
しかし、入札制度で直接252両の収入があったことは、今回の興業の単独収支黒字化に大きく貢献したことに間違いはなかろう。
「當世堂さん、瓦版に料亭の名前を入れて宣伝する施策はどうなりましたか」
「はい、大変好評で、この分だと結構寄進させて頂きますよ。当日分、結果分など全部で5種類の版木で10両の寄進は固いですぞ。
それに増して、八百膳さんから頂いている料理薀蓄問答集、これはまだ版木にもしていないのですが、この内容が結構面白いのです。冊子にすれば、料亭はこぞって購入するでしょう。こちらについては、八百膳さんに売り上げから一定割合を渡す予定ですが、我が當世堂はこれでかなり潤うことになります。ただ、これは寄進扱いにはしませんので、御了承を。
義兵衛さんに良い知恵を授かり、大変感謝しておりますぞ」
どうやらここは狙い通りにことが進んでいるようで、ニンマリとした義兵衛だった。




