江戸屋敷への帰還 <C2325>
■安永7年(1778年)6月18日(太陽暦7月12日) 憑依130日目
まだ早朝と言っても良い時間だが、金程村の工房から練炭を載せた馬2疋がお館に到着した。
ここで、御殿様を入れた隊列の組み直しを行う。
細山村・名主の白井家に預けた2疋の馬の内、1疋は休養日となっており厩舎で手入れされて過ごすが、あと1疋は江戸行きの小荷駄とされ背に溢れんばかりの飼葉を載せて引き出されている。
御殿様は登戸村までは騎乗せず、その分少しでも多くの練炭を運搬させよ、との御指図があり、お館で飼う御殿様の騎乗用の馬1疋に多少の練炭を載せて隊列を組み直した。
工房から荷を担いできた人員が練炭の積み下ろしをしているが、見ると中に米さんが混ざっている。
「私でも工房からここまでなら、運ぶ位は容易いですわ。それより、今回から本格的な小荷駄隊のご出発です。是非見送りを、と思いまして。
それに、私だけではありません。助太郎様も、名主・百太郎様も御一緒です」
確かに、今回は御殿様の江戸行きに合わせてということで馬が1疋多いが、これからは毎朝3疋連ねての出立となる。
輸送が工房主体から村主体に代わり、そしてここから椿井家主体に切り替わるのだ。
「助太郎、いよいよ椿井家として本腰を入れた取り組みとなった。この取り組みの源流が工房の助太郎なのだから、しっかり頼むぞ。
ところで工房から米さんを抜いてきて大丈夫なのか」
「ああ、梅さんがきちんと見ている。米さんにしてみれば『こういった節目は総出で祝うくらいのことをしたい』ということだが、流石に影響が大きいので、工房を代表して自分と米さんだけの見送りになった」
米さんの体のいい言い訳に過ぎないことは明らかなのだが、あえて非難する気にはなれない。
「あと、名内村の視察だが、結構近いうちになると思う。日程が決まり次第連絡するが、急に来てもらうこともあるので、覚悟・準備はしておいてもらいたい」
一通りの積み換えが終わると、御殿様が出てこられるまで多少の空き時間ができる。
見ると、米さんは安兵衛さんとなにやら話し込んでいた。
『江戸にいる御侍様にあこがれる気持ちは判らんでもないが、米さんの思いは、まあここまでだろうな』
やがて御殿様がお出ましになり、お館から行列が出立する。
門前には里に残る家臣・家族が並びお見送りをする。
勿論、実父・百太郎、助太郎、米さんも並んで大きく手を振っている。
ここから細山村入り口の神明社までは正式の隊列を組んで進む。
槍持ち、弓持ち、甲冑持ち、供侍2人、馬口取り、草履取り、挟箱持ち、小荷駄2人と並び、そこに飼葉を積んだ馬と口取り、そして登戸村へ向う練炭を満載した2疋の馬、その口取り、練炭運び2人の16人+4疋である。
つい先月末に高石神社の巫女・富美を江戸に護送した時よりは人数も少ないが、御殿様が率いる隊列はどこか煌びやかなのだ。
神社の前に来るとそれぞれの道具をしまい込み移動速度を速める。
登戸村にはまだ朝といっても良い位の時間に着くが、この時点で暑さが堪えてくる。
練炭を運ぶ馬2疋と別れ、多摩川を渡し船で渡る。
ほんの僅かな時間だが、川面を渡る涼風に皆一息つくことができた。
ここから、江戸市中手前の目黒川にかかる大橋(現池尻大橋)を過ぎた所にある氷川神社境内まで、昼食の休憩を除き汗だくになりながらも一気に進んでいく。
氷川神社の境内で大休止をし、江戸市中を進むための隊列に組み直す。
旗指物を先頭に、御殿様は騎乗し、代わりに荷である練炭は主に義兵衛が背負う。
安兵衛さんも手伝ってはくれるが、やはり大方は義兵衛が持つしかないのだ。
歩みは遅くなるが、一応500石の旗本に相応しい陣容で進んでいき、夕刻には屋敷に到着した。
屋敷の門前で安兵衛さんは別れて奉行所へ戻っていったのだった。
門の中に入ると、御殿様は皆に解散を伝え、義兵衛は厩舎へ飼葉降ろしの手伝いに回った。
「義兵衛、それが終わり次第、旅装を解いて座敷へ参れ」
紳一郎様からの指図に従い、手早く手伝いを終えると手・足を洗い、着替えると座敷へ向かった。
座敷では、御殿様が紳一郎様と何やら話をしていた。
「やっと来たか。留守の間に料理比べの興業の瓦版が出されており、結構評判になっておる。今、御殿様に申し上げて居ったところよ。
それから、お前が里におる間に加賀藩の渡邉様と申す方から問合せがあった。不在と返答しておいたが、何やら話を聞きたい様じゃった。料理比べの興業が終わればこの屋敷に居ると言っておるので、承知しておけ。
それで、興業にとっては2回目で今朝出回っていた瓦版を、今御殿様が見ておるものじゃ」
ゆっくり流れる里の時間と違う感覚に、軽い眩暈を覚えた。
座って思案に暮れることができる里とは違い、ここでは絶えず全力で走りながら考えるしかないのだ。
瓦版には興業を見学するための要綱が書かれており、紳一郎様から書かれている概ねの内容を聞いたが、それは義兵衛が以前事務方で説明した内容と大きな差異はなかった。
ただ、出席する行司・目付がまだ一部空欄ということが気になると紳一郎様は話した。
そして義兵衛は、商家側の入札したところについて気になっていたのだ。
「前回の興業の折には、目付役として当家の名前が出ておったが、今回の興業ではどこにも出ておらぬであろう。
それで『この空欄の目付の所に当家が当たるのではないか』との問い合わせが参っておるのよ。確か『武家席側の目付席で空欄なのは老中・田沼様のご家臣分で、どなたになるかはまだ決まっておらぬ』と聞いておったが、当家が譲る先を決めておらぬための席ではないかと邪推した家の者が使いを寄越して聞いてくるのじゃ。まさか、田沼様の預かったお席とも言えず、今回当家の席は松平越中守様へ御譲りしており、空席は関与しておらぬ旨の返答をもって説明しておった。
そして今朝の瓦版で町方席の落札結果が入っておろう。公開の行司席が68両、目付席が36両と出て居る。この金額を見て、今日も問合せが来て居った。『もし、融通が利くなら落札された金額に幾何か上乗せするゆえ御譲り下さらぬか』と申しよる。
今回、当家は目付席を越中守様へ譲りましたが、もしそのまま目付役になっておったとすると『36両は出そう』という申し出に諸手を上げて賛同してしまったやも知れませぬ。借財が無くなった今になって、このような話が持ち込まれるとは、思わず天を仰ぎましたぞ。去年、こういった話があれば、御家はいかほど助かったことか。
いやぁ、金というのは、無い時にはとことん無いし、集まり始めると勝手にやって来るものと思い知りました」
御殿様が手にしていた瓦版を紳一郎様経由で受け取り、義兵衛はその内容をざっと見て驚いた。
商家側の出席予定者が随分違っていたのだ。
「お願いがございます。もう夕刻ではございますが、瓦版の内容、特に行司役・目付役について確認したい儀があり、これから萬屋へ行きたいのですが、よろしいでしょうか」
明後日に開催される料理比べ興業のことが俄かに心配になった義兵衛に御殿様は許可を与えた。
「うむ、今回も裏方として見ておく必要もあろう。前回同様、屋敷に戻らんでも良い。ワシも20日には会場には居るので、必要なことは逐次連絡を寄越しておくのじゃ。特に、瓦版で空席のように見えておる老中様預かりのことをはっきりさせてこい」
義兵衛もそこが気になっていたので、深く頷いて退席し、萬屋へ向ったのだった。
投稿が1日遅れて木曜日0時(水曜日深夜)になってしまいました。スランプなのか、結構苦しんで執筆しています。現状の速度だと月・水・金は難しいので、当面は月・木の週2回に減らしたく、ご理解ください。よろしくお願いします。




