周囲の里への対策 <C2324>
椿井家の御領地である村の内、相給となっている万福寺村・下菅村について飢饉対策へ本腰を入れるべく御殿様が動いて下さったが、
村の事情で異なる対応となってしまった。
相給とは、1つの村に複数の領主が居る状態のことで、村の総石高を分割してそれぞれの領主に年貢を納めることになる。
複数の領主がいるため、実質的な村の管理は名主に任される格好になる。
しかし、名主として思い切ったことはできず、また領主からもそういった指示は他の領主の手前困難になる。
その結果、村は新しいことに手を出せず十年一日の如く、前年と同じであれば良いと、何の発展もない状態になりがちなのだ。
あらためて万福寺村の事情を確認した。
万福寺村90石は、椿井家50石・天野家40石と2旗本家の相給村となっている。
旗本・天野家は椿井家より少し多い660石の旗本で、坂濱村(現・稲城市坂浜)390石と連光寺村(現・多摩市連光寺)320石、それに万福寺村90石を知行地として与えられている。
但し、坂濱村の内30石、連光寺村の内60石は幕府直轄分として相給になっており、それぞれの村の名主は多くないにせよ年貢を代官に納めている。
そして万福寺は、椿井家との相給であることから、名主は毎年20石分(50俵)の米を天野様の所へ納めているのだ。
御殿様は万福寺村で飢饉対策を進めるため、天野様の所へまず直談判をしたのだった。
詰めの作業は残っているが、連光寺村の名主・富澤殿がかなりしっかりとした方で、飢饉の神託を真剣に受け止めてくれたことは昨夕聞くことができた。
そして、万福寺村から50俵の年貢米を納める代わりに、椿井家から20両相当の金銭を天野家に贈ることで、万福寺村の仕置き・扱いを当面椿井家に任せること、飢饉の時期が終われば仕置きを元の格好に戻す、ということで決着がついたのだ。
このため、万福寺村には飢饉対策として米を備蓄する米蔵を1棟建てること、そこへ最終的には3年の期間を使って500石の籾米を蓄えるという椿井家の施策を打つことができるようになったのである。
一方、下菅村350石は、椿井家190石・御公儀直轄領160石の相給村であり、更にいつの間にか宝蔵寺へ年貢米5石分を渡す格好になってしまっていた。
こうなってくると、代官様へ話を通す必要が出てくるのだが、相手が組織となると責任の所在・決定権を持つ者のあたりを付け、根回しから行わねばならない。
その都度心付けが必要となるため、この費用が馬鹿にならず、そして遅々として話が進まず、その上必ずしも思うような結果に結びつかないのだ。
そこで、実質村を管理する名主を呼んでできる範囲のことを確認したのだが、名主は自分の在所である宮下集落は抑え込めるが、そこ以外の塚戸集落・馬場集落について有力家を同席させることで責任の回避を画策したのだ。
結局、下菅村は従来通り年貢米を納めさせ、米の備蓄は椿井家が負担することとなったのだ。
下菅村から来た名主一行が帰った後、御殿様はぼそっとつぶやいた。
「一つの村にこれを差配する代官も居るというのは、誠に難儀なことよ。代官は勘定奉行配下のお役であり、ある意味では同僚にもなり得る者ゆえ、話せば判る者もおるのじゃが、結局はその支配地に責任を持っておらん。もめ事さえ起こさず任期を全うして次の役を得ることが目的ゆえ、自ら進んで新しいことに取り組む意志に欠けておる。
名主も名主じゃ。とりあえず年貢だけきちんと納めれば良いとする代官の思惑にすっかり染められておる。
話の中身の良し悪しはともかく、相給となっておる村の多くは同じことじゃろうて。
これでは、いざ飢饉となった折にも在所の百姓を苦しめるだけであろうな。
まあ良い。こちらとしては準備をできるだけして、助けに回るだけじゃ。府中街道側からの狼藉は塚戸集落で抑えてもらうしかなかろう。鶴川街道沿いは、坂濱村が盾になってくれよう。連光寺村の名主・富澤殿には期待できそうじゃ。
津久井往還道は、高石村で抑えたい所じゃが、最悪でも万福寺村で抑え込むことができよう」
どうやら御殿様は、飢饉による暴徒の侵入を気にかけているようで、細山村・金程村を本陣とした時の周囲の守りを確認しているようだ。
金程村の西隣にある麻生川源流の平尾村(190石)は知行地になっておらず、代官が差配している。
そのことを言上すると、御殿様は苦しげに呻いた。
「それは判っておるが、勘定奉行から代官へ何らかの指示が出ないと動くことが出来ぬ。
今ここでワシから名主へ直接入れ知恵をしては、代官の心証も悪くなり逆効果じゃ。せいぜい、当家の領地で行われていることを見て・聞いて悟ってもらうしかなかろう。飢饉対策というのは、うっすらとだが伝わっておろう。
大飢饉のことは、御老中もすでに存じておろうから、せめてそちらの筋からの通達が先に出ないと、どうにも動けぬ。
先の世では、このあたりの仕組みが一体どうなっておるものか」
実際には明治時代に入って、廃藩置県という真に革命的な制度変更を経て、更に行政の代表を選出する民主制へ、しかも選挙権がどんどん拡大していくという歴史を行政面では辿るのだが、安兵衛さんも同席していることから、ポロリもできない。
話題を変えるしかないだろうと思っていると、爺が口を挟んだ。
「幸いなことに椿井家では財務面での見通しが立っているため、御殿様主導で飢饉対策の準備ができますが、他の旗本の御領地ではなかなかこのような訳には行きますまい。
お上からお達しが出たとしても、周辺の御領主・旗本の方々から支援をお願いされることになりますまいか。そうなれば、それはそれで厄介なことでございます」
やはり里を預かる爺だけに、重要な視点で言上してくる。
「うむ、どのような通達をなされるかは判らぬが、あり得るのぉ。
どのような取り組みをしておるのかは説明しても良いが、米や金の借り貸しは避けたいところじゃ。
工房の練炭で臨時に収入があって、積年の負債も消すことができたが、これが無ければワシの所とて同じであろう。それぞれの名主に頼んで、できる範囲で食料を備蓄させるしかなかろう。その一方、出来た米を年貢として浚う訳じゃ。
裕福な縁者が居れば、借財を申し入れしたのであろうな。
今は申し入れされる立場になるのか」
なにやら余裕を持っている御殿様を見て、つい義兵衛は口を挟む。
「申し上げます。余裕が出来るかどうかは、この秋口からの売り出しにかかっております。上手く行くように全力で取り組んでおりますが、万一不首尾に終わりますととんでもない借金を背負うことになります。実際に利を得てから、借財の申し入れに応じられますようにお願い致します」
話の途中に江戸からの馬が戻ってきた。
明日はこの馬に休養がとれた馬を加えた2疋で江戸に戻ることになる。
「しかし、新たに4疋も馬を揃えたことは、いずれ周囲に知れよう。それだけ余裕があると看做されるので、断ることは難しかろうな」
今まで中古車1台しか持っていなかった家に、4台も新車が増えたとなると、どうしても景気が良いと悟られてしまうのは仕方の無いことなのだ。
だが、そのあたりは、江戸で財務を管理している紳一郎様に締めてもらうしかないだろう。
馬を出迎え、荷降ろしをしながらそのようなことを考えている義兵衛だった。
こうして、今回里で過ごす最終日は終わったのだった。




