久々の大丸村 <C2319>
■安永7年(1778年)6月15日(太陽暦7月9日) 憑依127日目
工房から帰った昨夕、実父・百太郎に事情を説明して練炭生産の委託先訪問時に同行してもらう了承を得た。
それから、大丸村とのおおよその状況を聞き、随分と久しぶりに大丸村を訪ねることとなった。
あれから、最初は父・百太郎が、それからしばらくして兄・孝太郎が足繁く通って縁をつないでくれていた。
当初、大丸村に行くのも父に同行をお願いしたのだが、今日はお館で名主の寄り合いを行うため案内は兄・孝太郎の役となった。
私的に話をする時は弟なので『おい』とか『義兵衛』とか呼ばれるが、公式には名主の後継者である百姓と御殿様の家来である武家なので、改まった席では『義兵衛様』もしくは『細江様』と様付けで呼ばれるが、イザそうなるといささか奇妙な感じを覚えてる。
義兵衛も安兵衛さんも立場を示すため、出かける時は刀と袴は必須アイテムになっている。
それに比べ兄・孝太郎は多少マシな服を着ているが、やはり百姓姿なのだ。
「では参りましょうか」
孝太郎が安兵衛さんに声をかける。
それを義兵衛も聞くことで、兄弟の間のぎこちなさをなんとか回避しているのだった。
大丸村に行く道は結構踏み固められてきており、家から北へ向かい、細山村の向原から森の中を抜け、高勝寺の横をすり抜け鶴川街道へ降り、三沢川に沿って百村で左に折れ山崎道をたどって円照寺に向う。
道行で兄にいろいろと尋ねるが、あまり語ろうとはしない。
1刻もかからずに、芦川家に到着することができた。
兄は随分と慣れた様子で芦川家の門をくぐり、挨拶しながら土間を抜け、庭奥の蔵に寄って建つ建屋に向った。
「金程村の孝太郎です。今日は弟を連れてきました」
建屋の中から芦川貫衛門さんが顔を出した。
母屋には当主である息子・芦川貫次郎さんが住み、奥庭の建屋に爺夫婦が住むという格好になっているのだ。
いつの間にか、兄・孝太郎は何の気兼ねもなく、芦川家の中に入って爺様と話ができる関係が構築できていたことに義兵衛は驚いた。
「おや、義兵衛さん。ああ、お武家様になられたのですよね。義兵衛様ですね。
孝太郎さんには色々と見てもらっているのですよ。この緑が一杯になる季節、河原の荒地に植えた甘藷の蔓や葉がどんどん増えるのを見回るのが楽しみです。話が逆順でしたが、5月上旬に甘藷の挿し穂を持ってこられて、水に浸した後にあの荒地に植えていったのですよ。それなりの本数が上手く根付いたようで、どんどん蔓が伸び葉が大きく広がってきているのです。今年は種芋を増やすという方針と聞いていて、そこから株分けしたものを念のため谷戸奥にも植えてますよ。
河原の場所は、今まで特に何もしていなかった土地ですので、あまり手をかけずに収穫できるものがあるというのは嬉しいことです。
ところで、そちらのお武家様はどなたでしょうか」
義兵衛にとっては、お馴染みとなってしまった安兵衛さん紹介をした。
そして、義兵衛が訪問してきた意図を聞いてきた。
「里では飢饉対策として籾米を蓄える方針で、蔵を建てているところです。
この秋に椿井家と縁がある米問屋・井筒屋さんから500石ほど籾米を購入する方向で交渉を始めています。井筒屋さんが言うには『府中近郊の米蔵で引き渡す』との条件が付いています。しかも決められた短期間で運び出す必要があるのです。全部で1800俵と見ていますが、これを一気に里まで運び込むのは、人手が足らずとても無理なのです。
そこで、円照寺さんか芦川家の蔵を借りて、そこから時間をかけて里へ運び込みたいと考えました。このことを相談したく伺った次第です」
義兵衛は考えていたことを正直に話した。
「『米を作る百姓が米を買う』とは驚きです。採れた米を蓄えるというのが普通で御座いましょう。それを買ってまで蓄えるというのはどうしたものでしょうか。そして、500石と言えば椿井家の御領地の石高ではございませんか。しかも籾米ということは、長期を睨んでの企て。椿井の御殿様は一体何を考えておられるのでしょう。ひょっとして、義兵衛様が仕官なされたことと関係しておりますのか」
どこまで言うべきか少し考えてから義兵衛は口にした。
「椿井家の御殿様は、高石神社の巫女が口にした飢饉の神託を信じ、その対策を取ることにしました。私が取り組んでいる木炭加工で得たお金が資金となっており、家臣として取り立てて頂けたのもそのあたりを含んでのことと考えております。そのため江戸で一生懸命売り捌けるよう鋭意努力しておるのですよ」
御老中にまで伝わっていることは、今言う必要がないだろうと判断し、里で知られている範囲に絞ることにしたのだ。
「どこぞの巫女が飢饉の予言をしたという噂は聞いておったが、御殿様が動くということは具体的な内容があったのかな」
「はい、『米の不作が4年後から7年間続く』とのことです。7年の内には大不作もあれば多少の不作程度で済むこともありましょうが、今までの備えでは1~2年程度の不作続きは凌げても、7年も続くとどうにも耐えられないという判断です。そのため『長期に渡る不作に耐えることができるよう、これから準備を始める』とのことです。巫女の神託が外れても、御領地の村々に飢饉への備えが充分できるだけですので損はないと考えられたのでは、と思います。
それに、7年分ということになると、作った米を蓄えるだけでは間に合いません。それで、木炭加工で利益が出ている内に籾米を購入してでも嵩上げしようとしているのです。なにしろ準備に3年しかないのですから」
「なるほど、7年間凌げるだけの米を蓄えるための最初の一手ですか。当家の蔵を御貸しするのは問題ありませんが、500石分の籾米ということではちと入りきらないでしょう。表向きにしても、当家にだけ米が運び込まれるというのは、具合が悪そうです。
その意味では、円照寺さんの所に集めて入らない分を当家で預かるというのは妥当でしょう。
先の大飢饉の件も含めて、まずは円照寺さんに相談して、蔵を借りるのが良いのでしょうな。どれ、そういうことなら一緒に出かけましょうか。まずは、円照寺の都合を聞きましょう」
芦川家の爺・貫衛門さんは下男を呼び円照寺の和尚さんの都合を聞きに行かせた。
その間に、貫衛門さんは江戸から流れてくる焜炉料理の噂話について、義兵衛がどのようにかかわっているのかを聞きたがった。
義兵衛は裏方として参加した料理比べ興業のことを取り上げたが、事務方として表に立った萬屋・千次郎さんを主役として説明したのだった。
やがて下男が戻り、和尚さまがいつでも対応して貰えることを報告してきた。
「それでは参りましょう。大飢饉の話・巫女の神託の内容と、米を府中で買い求める件については、義兵衛さんから説明して下さいよ。円照寺さんの蔵を借りる所については、ワシのほうから話をしましょう。500石の籾米の8割方は円照寺で、残りの2割を当家の蔵に入れる方向で説得できると思いますよ。ただ、その費用・蔵の借り賃については、当家分は無償で良いですが、円照寺さんについて無償は難しいかも知れませんな。そこは覚悟しておいてください」
兄・孝太郎も入れて4人で円照寺へ向ったのだった。




