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工房にて(弥生さんと近蔵の意見) <C2317>

 次に、安兵衛さんは生産委託をする時に派遣される予定の面々からの話を聞きたがった。

 そこで、派遣を予定されている弥生さんと近蔵が呼ばれた。

 弥生さんの代わりに梅さんが工房へ行き、抜けた穴を埋めてくれている。


「こちらに居られるのは、江戸・北町奉行・曲淵甲斐守様の御家来で、浜野安兵衛様です。義兵衛様の警護としてこの工房に来られております。委託生産する村に派遣されるお二人に、いろいろと聞きたいことがあるということでしたので、ここに来てもらいました。

 質問にはできるだけ分かり易く、丁寧に答えてください。足らない説明は私が補足しますので、臆すことなく正直に話してください」


 米さんが積極的にこの場を仕切ってくれるので、助太郎さんも義兵衛も特に口出しすることはない。


「少し確かめておきたいことがあって、忙しいところ来てもらった。

『練炭作りを他の里に教える』ということについて、どう思っておるのかを聞きたい」


 組長の弥生さんから答える。


「この里で作るものの数が不足する、という上の方の御判断であれば仕方御座いません。頑張れば手が届くということであれば、身を粉にしても働きましょうが、教えて頂いた数がここの生産の2倍とか3倍とか、それ以上の数字では、この工房ではどうしようもなかったのでしょう。

 米さんや梅さんは、この工房に必須の方ということであれば、誰か代わりに行くしかありません。私が指名されましたが、それは仕方ないことなのでしょう。

 ただ今は、どこへ行くのか、いつまで行くのかなど、具体的な所がちっとも決まらないことに不安を覚えています」


 教える技量には問題無いことを示しつつも、あきらめと不安を訴えてきた。

 そこに頷きながら、続いて近蔵に顔を向けた。


「俺は行くことは平気だけど、教える相手がちゃんと聞いてくれるかが心配だな。行った先の村には俺達二人しかいないだろ。その上に、まだ年端もいかない子供にやり方を聞かされる訳だ。俺のやっている燃焼時間を計るとか、寸法が駄目なものを撥ねる、なんて一見無駄に見えるけど、長い目で見たときに重要な仕事を本当に判ってもらえるのか、そこがどうなるかだと思っている。

 俺だって、最初は何のためにこんな手間のかかることをするのか、と思った。小炭団がどんどん売れるようになって、その訳を聞いて、やっと合点がいったことなのだ。その機微を、教える先の人がすんなり聞く訳がないだろう、と考えてしまう。そうなると、難しいという思いが出てくる。

 せめて、義兵衛さんや助太郎さんのような人が先方にもいて、俺がやることを支持してもらえないと、不良品を一杯作ることになる気がする。このあたりをきちんとさせないと、本当に難しい仕事になる」


 近蔵はかなり具体的に問題点を指摘した。

 安兵衛さんは義兵衛に向き直った。


「かなり難しいことだと判っていて、これを責任者の前ではっきり口にするというのは、これはなかなか興味深い。私も上司からの無理難題にこのように率直に物が言えたら、と思いますね。

 特に、近蔵さんは義兵衛さんの実家・名主家の小作人家の子供ですよね。それが、対等のような口を利くというのは、一体どういった理由なのか、こうなってしまった背景が知りたいです。

 ああ、それで、近蔵さんの心配をどうにかする策はお持ちなのですよね」


「弥生さんも近蔵も、率直に意見してくれて助かる。やはり、その立場になって思うのとそうでない者との差は大きいなぁ。私ももっと現場の人の感覚で、いろいろ考える必要性を感じた。現場を離れて久しいので、こういった直言はありがたい」


 まず義兵衛は心情を正直に吐露してくれたことを感謝した。


「安兵衛さん。この何でも率直に意見を言い合うという習慣は、寺子屋にその素があると思います。是非見学されてみてはいかがでしょうか。今日はもう無理ですが、こちらに居る間に寺子屋組と一緒に行って見学されると良いでしょう。

 それから、近蔵の心配はもっともなことだと思う。意見を出してくれて助かる。

 実際に、この工房は『助太郎より歳が若い者』という暗黙の基準があって最初の人選ができた。そこから、ある程度の実績が見えて、それぞれの村の名主様の支持、御殿様からの支持が明確になり、助太郎が武家並みの扱いになってから、やっと寺子屋組の武家の子供等が協力してもらえるようになった、というのも確かだろう。

 お前が指摘したように、弥生さんと近蔵が行った先で技術的な指導はできるだろうが、それを支える仕掛けを考えておく必要があるのだろうな。

 そうすると、まずは旗本・杉原新右衛門様を通して名内村・名主の秋谷修吾様にしっかり認識してもらうことが重要となる。その上で、名内村に権限のある専任の指導者を立ててもらい、その庇護の下で技術移管を進めていくしかないのだろう。最初が肝心か。やはり、この工房に来てもらって懇々と利を説くしかないな。

 だが、その指導者の資質が問題だなぁ。そこの見極めと、構想の中にどう抱き込んでいくか、をきちんと考えておかねばな......

 最初に飢饉の予言の話をして魂消ているところに追い被せるか。いずれにせよ、先の見通しがどうなっているのか、危機感を募らせるように誘導していくか......

 いや餌だな。利益誘導で仕掛けるのが早いか。名誉か......」


 普段と違い思いもかけないブラックな発言を始めた義兵衛に、安兵衛さんはギクリとした。


「義兵衛さん、考えていることが駄々漏れですよ」


 助太郎さんが突っ込んできて、我に返った。


「いやぁ、油断しました。ここはいつも本音をさらけ出す場なので、ついこうなってしまいました。しかし、近蔵の話を聞いて生産委託先の村との話を進める視点が定まった気がします」


 この工房奥の部屋は、義兵衛と助太郎が神様然としている場所なので、何の気兼ねもなく意見を戦わせたりしていた。

 安兵衛さんという異分子が工房に入りこんでいても、その意識が無かったようだ。

 いや、浜野安兵衛さんは場に溶け込み、違和感を出さないようにして色々と探っているのかも知れない。

 義兵衛より若干年上だが、年長風を吹かすこともなく、武家然として凛としている訳でもない。

 にもかかわらず、米さんなんかアッという間に魅了されてしまった感がある。

 行動を一緒にする内に、すっかり仲間という感じになっているのだが、実際にこの里に根や所縁ゆかりがある訳ではない。

 改めて考えれば、結構手の内を晒していることに気づいた。


「義兵衛さん、この何でも言える場所というのは面白いですね。『歳や身分の上下に関係なく、言いたいことを立ち話する』ですか。

 明日にでも寺子屋を見させてもらいましょう。義兵衛さんに案内してもらえますかね」


「いいえ、こちらでの都合もあるので、寺子屋組の誰かに頼みましょう。私がいない時の様子を見ておくのもいいかも知れません」


 ちょっと意外な答えに安兵衛さんが戸惑っているが、これは了解するしかないだろう。

 明日の午前中はどうやら安兵衛さん抜きの時間が確保できる感じだが、他の予定や割り込みがあると考え直す必要があるかも知れない。

 こういった遣り取りをする内に、寺子屋組が戻ってくる時刻が近づいてくる。

 弥生さんと近蔵は深く一礼すると元の作業へ戻っていった。


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