安兵衛さんの工房見学(米さん) <C2314>
■安永7年(1778年)6月14日(太陽暦7月8日) 憑依126日目
安兵衛さんは朝から異様に興奮しており、義兵衛と一緒の朝食もパッと手早く終えたのだった。
「いよいよ工房の視察ができます。ずっと楽しみにしておりました」
その声に背中を押されるようにして義兵衛と安兵衛さんはそそくさと工房へ向った。
「このように早朝から訪れては、まだ何も準備できておらんだろう。助太郎の朝礼は、もう少し日が高くなってからだったような気がしたし、作業を始めるのは朝礼が終わってからのはずだぞ」
そう話す内に二人は工房に到着した。
しかし、工房の入り口から中を見ると、もう全力稼動しているようだった。
まだ寺子屋組は来ていないはずなのだが、全員ではないが、その連中も何人か交じっている。
工房の面々を仕切る梅さんが入り口から覗き込んでいる二人を見つけた。
「おや、義兵衛様。いつからそこで覗いていらしたのでしょう。それに、もうお一方は初にお目にかかりますが」
「いや、まだ作業前の朝礼が始まるずっと前の時刻なので、早く来過ぎたと思っていたら、何やら工房でもう作業が始まっている様子だろ。勝手が違ってしまって、作業の邪魔をするのもどうかと思って入りかねていたのだ。
それから、こちらに居るのが、江戸で北町奉行をなされておる曲淵甲斐守様の御家来で浜野安兵衛様と申される方だ。先日は、同じ町奉行所から同心・戸塚順二様がお見えになられていろいろと聞き取りをされて行かれたが、安兵衛様は聞き取りなどを命ぜられておらぬ。ただ、私の警護のために、と御奉行様がおっしゃって常に同行しておるだけなのだ。
それにしても、こんな朝早くから寺子屋組のものももう居るではないか。一体どうしたのだ」
入り口で固まっている3人の所へ、工房全体を仕切る米さんが見つけて寄ってきた。
どうやら安兵衛さんを客人として連れてきたと思ったのか、この場を仕切る。
「義兵衛様、お早いお着きですね。奥の部屋や助太郎様はまだ準備できておりませんので、まずは工房の変わりようを説明させてくださいな。
梅さん、本宅に行って助太郎様に義兵衛様が来られたことを伝えて、工房奥の部屋を整えておきなさい。半刻後には義兵衛様と御客人を連れて部屋へ参ります。さあ、早く。
では、私が工房について説明させて頂きますので、ついて来てくださいまし。
それとも、義兵衛様、説明は御不要でございましょうか」
梅さんは本宅へ駆け出して行き、義兵衛と安兵衛さんは工房の中に入った。
「いや、こちらに居る安兵衛さんは、工房のことを知りたいと常から言っていたので、忙しい中手間を取らせて申し訳ないが大枠から説明して欲しい。
しかし、今日は寺子屋が休みでもあるまいに、なぜ寺子屋組の者が働いておるのか、そこは説明してくれないか」
「はい、本宅の寮に並べて別棟に寮を作り、万福寺村の寺子屋組の子供等はそこで寝起きするようになっています。今の時期は、寺子屋が始まる前に明るい時間が1刻ほどありますので、明るくなると金程村・細山村の寺子屋組が集まり作業をし、別棟の寮で体を洗い飯を出し寺子屋へ行くようにしています。わずかな時間かも知れませんが、少しでも生産できれば、ということでこうなっています。
寺子屋が終わると、下菅村の寺子屋組も交えて作業を続けます。万福寺以外の子供等は暗くなる前に家に着く時間に、作業を終えて体を洗い夕食を食べて帰ります。
寺子屋の場所を工房の隣に、という話も出ていますが、まだそこまでは踏み切れておりません。工房の多忙状態がこの先ずっと続くのであれば、助太郎様もその方向に推したのでしょうが、先が見えないと踏み切れないのでしょう」
細山村の寺子屋に通うには金程村を経由するが、金程村と万福寺村の間は約半里少し(2.4km)もあり、小さな子供を混ぜて隊列を組んで片道半刻(1時間)はかかっている。
聞いていたところでは、万福寺村の名主の家の庭に集まり、それから隊列を組み寺子屋に向っているということで、子供の集合する待ち時間も結構かかっていることから、5日毎に実家へ戻り、その間の4日間は別棟で集団生活させる方式を採っていた。
そうなると、早朝の浮いた時間、この夏場で明るい時間は作業ができる。
始めたばかりだが、万福寺の子供達はこのやり方に喜んでいる。
金程村の子供は近所なので、早朝集めることに抵抗はなかった。
細山村の子供は、特に金程に近い向原地区なんかは工房に来れる。
こういったことで、早朝から来て作業できる子供は作業をし、それから体を洗って食事をし、集団となって寺子屋へ向うことになっているのだ。
百姓の各家でも、朝の支度を任せることができ賛同してくれている。
ただし、細山村のお館かその近くで暮らす武家の子等は、寺子屋開始前の作業には参加せず、寺子屋が終わった後の手伝いに終始している。
以前は荷運びをしていた者も、大人が運搬してくれるようになったことで、工房の中での別作業、多くは粉炭作りに回ったようだが、を担ってくれている。
こういった事情を米さんは説明してくれた。
「それで、日の光がある内は皆が作業に集中して、1個でも多くの薄厚練炭を作り出すべく努力しているのですよ。
義兵衛様は前回5月27日に『できるだけ多くの練炭を』と要望されました。その日から、助太郎様は日産1万2千個という高い目標を掲げ、そのための工夫を一杯しました。そして、今や組長が13人居ます。発案して頂いた釣瓶分銅が威力を発揮していて、26基もあるのですよ。
そして、導入から10日目に日産1万個越えを達成して、もう少しで日産1万2千個の目標達成するところでした。
しかし、江戸からは、小炭団も作れとのご指示があり、1組外してこの生産に充てています。小炭団は平均して日産3千個作っていますよ」
田舎で蝋燭や油といった明かりを点けて、薄暗い屋内仕事をすることはないので、日が出ている間は全部仕事時間なのだ。
だから、朝、空が明るくなり手元が見えるようになったら仕事を始め、陽が沈んで手元が見え難くなると仕事を終える。
夏場は日が長いので、その分多く生産作業ができるということらしい。
そして、小炭団について、現場に委ねているはずの生産現場に、いつのまにか口出ししていたことを反省はしたが、止むを得ないことだ。
小炭団の類似品がなかなか出回らないのだから、これはしょうがない。
1個6文で卸しているので、これだけで毎日4両2分の売り上げにつながるのだから、馬鹿にならない。
ただ、練った木炭の燃焼の質が練炭用とは違うことが困るそうだ。
横で話を聞いていた安兵衛さんにちょっと説明をする。
「今、いろいろと工房の事情を説明してくれたのが、この工房生産現場を監督する立場の米さんだ。決められたことを、決められたようにきちんとできているか、作業されているかを見極めて適切に指導するよう指示する人だ。米さんの技量は工房で一番で、どの作業でも名人級なのだ。この工房から一定の品質の製品が出て行くのは、一重に米さんの頑張りの賜物なのですよ」
この紹介に、米さんはテレッとした。
「浜野様は、江戸の御武家様なのですね」
普段、見たこともない米さんの様子に驚いた。
確かに腕の立つ立派で若いお侍ではあるが、江戸に沢山いるお侍の一人に過ぎない。
しかし、山奥の田舎に暮らす娘として、レッキとしたお侍と話をすることは普通無いのだ。
ここから数話は、工房の主要面子を安兵衛さんに紹介する格好になります。お付き合いください。




