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椿井家の狙い <C2298>

 義兵衛は萬屋まで戻ってきたものの、午前中の寄り合いで曲淵様から『まだまだ未熟者』と言われたことが気になり、一刻も早く養父・紳一郎様と御殿様に相談したいと焦っていたのだ。

 そこで千次郎さんに事情を説明し了解を得ると一旦屋敷に戻ることにしたのだ。

 早速に、紳一郎様に事務方寄り合いの話をすると、いつも影のようにくっ付いている安兵衛さんも一緒に御殿様の居る部屋に連れていかれた。

 そして、御殿様は義兵衛の顔を見るなり得意満面で話し始めた。


「義兵衛、明後日に松平越中守様のお屋敷に呼ばれておるが、その折の手土産として深川で作った七輪を用意してみた。ただ、それだけではどうかと思い、七輪を囲んでおる桐の枠を工夫しておる。外面に彫りを入れ、色を塗ってみたのじゃ。都合10個ほどこさえさせて見たが、その内の出来が良い2個ほどを持参するのが良いと考えておる。馬2疋の御礼としてはわびしいものじゃが、分不相応なものを贈るよりはまだ言い訳のしようもあろう。ただ、色塗りでは面白くない故、漆塗りのものも更に10個ほど支度するように言いつけておる。漆塗りのものが間に合えばよかったのじゃが、こればかりは仕方あるまい。

 ああ、松平越中守様の所へお前が先に深川製の七輪を持ち込んで試演しておることは知っておる。広い屋敷ゆえ、2~3個余計にあった所で苦にはなるまいし、冬場にでもなれば用途もそこそこあろう。

 何の特産もない里を持つ者は、知恵を働かせてそれらしい進物を用意するのじゃよ。便利さが判れば、貰った家の奥方や家臣の者も七輪も求めようし、そうなると何より里の練炭を買うしかなかろうて。

 どうじゃ、ワシも義兵衛に協力しておろう」


 紳一郎様は御殿様の話が一区切りするのを見計らって、義兵衛に本日の寄り合いの模様を報告するよう促した。

 義兵衛がそのあらましを語った後、こう付け加えた。


「それで、手土産として評判の料理比べの興業の行司役の席を用意しようと試みたのですが、御奉行様から即座に否定されました。

 しかし、興業に参加される御武家様と松平越中守様が懇親の場で会われることは、とても良いことのように考えております。それで、御殿様の持つ目付役席の権利を今回越中守様へ譲られ、御殿様は事務方の監視というお立場になって、客殿の控えから離れてご覧になられればどうかと愚考した次第です」


 それを聞いた紳一郎様は義兵衛を叱りつけた。


「御殿様の役を勝手しようと謀るとは、僭越であるぞ」


 御殿様は紳一郎様の叱る声を遮った。


「そう叱るではない。義兵衛とて色々と方策を考えておるのじゃ。言い方はともかく、長い目で見て利を得る方策を献策してきておるのであろう。

 それに、料理比べの興業で目付席を用意されておるが、居並ぶ食通の面々と話を合わせるのが、実は苦痛であったところじゃ。それを義兵衛は察したのではないのかな。美味いものを食して上手に評するのはワシには向かん。

 それより、興業を客殿の控えから見る形ではあるが、その後の別棟の懇親の場に関係者として出ることは出来るのであろう。人の振る舞いを見るほうが余程面白そうじゃ。

 さて、そのようにした所で、この手土産、越中守様がワシの居た席を譲られて喜ばれるかが重要じゃな」


 義兵衛は御殿様の理解ある言葉に喜んだ。

 そして、今回の料理比べの参加料亭と行司・目付の出席予定者が書かれた紙を広げて示した。


「今回の料理比べで、料亭の浮舟・百川が日本橋・坂本と勝負するそうでございます。『料理番付で見ると、小結が大関に挑むということで評判になること間違いない』との言でございました。実は、越中守様は百川がご贔屓でしばしばご利用になられるそうでございます。

 この取り組み表を御見せすれば、御興味を持たれるのではないか、と存じます」


 御殿様は、料亭の対戦表と行司・目付の出席表を長いこと眺めてため息をついた。


「武家側の出席者は、御老中の息がかかった者ばかりじゃの。そのような中に越中守様をひとり放り込んで果たして大丈夫であろうか」


「御懸念には及ばずとも良いと考えまする。越中守様の処遇の件は曲淵様がご存じでありましょう。ここで、御老中様預かりの席の方と和やかにお過ごしになれれば、御老中の取り巻き方に良い印象を持たれるに相違ございません。また、険悪な仲ではないことが周りの方に判れば、色々な付き合いも変わってくると存じます。

 越中守様には一時の試練で御座いましょうが、ここで上手く立ち振る舞うことの重要性は御認識されているものと存じまする。必要とあれば明後日の面談の折に匂わせればよいのでございます。非常に聡明な方とお見受けしておりますので、お席を差し上げる意図を読み違えることはあるまいと考えまする」


「そうか、まあ気まずい状況になれば、覚悟を決めてわが身を割り込ませればよいのじゃしな。

 ひょっとすると、その方が印象は良いのかも知れん」


 おそらく、巫女様が話したこれからの流れを組み入れ、将来をより確かなものにすることを考えていたに違いないと気づいた。

 弟の甲三郎様を田沼意次・意知に取り入らせ、自分は反田沼である松平定信に付くことで、幕府の流れがどう転ぼうとも椿井家は存続できると踏んだに違いない。

『現状が維持できれば良し』としていた御殿様にしては大胆な動き、と思った義兵衛は、横に曲淵様家臣の安兵衛さんが成り行きを注視していることも忘れて、あえてその真意を尋ねた。


「うむ、お前の疑念も判る。ただ、先を知る富美を連れて甲三郎が田沼家に肩入れしておろう。このまま何もせねば、田沼家が左前になった時に巻き込まれてしまうに違いなかろう。すると、富美が『その後に芽が出る』と言っておった越中守様に肩入れして、兄弟併せて中庸になるのが良いと考えたまでよ。ワシとしては、この際越中守様を精一杯盛り立てていく積もりじゃ」


 御殿様は松平定信様に肩入れなさるつもりだが、史実から見ると、松平定信様も永遠ではなく、寛政の改革の途上で罷免されるのだ。

 最終的には11代将軍・家斉様の絶大な支持を背景にした水野忠成様が老中首座となって、文化・文政という幕末の文化成熟期を迎えることになる。

 もっとも、未来知識で介入してしまっているからには、知っている歴史通りにことが進むとは思えない。

 特に、反田沼の旗手であった松平定信様を田沼意次様と和解させ、首脳陣に取り込ませようと目論んでいるので尚更である。

 ただ、当面の椿井家の御公儀に臨む方針は、義兵衛の推測ではなくお殿様が口にした事ではっきり理解できた。

 この程度ならば、安兵衛さんの口から報告されても大丈夫だろう。

 この話を聞いた上で、バランス感覚があれば、興業では曲渕様が越中守様を助ける格好になるに違いない。


「それはそうと、お前の報告の中にあった、前田加賀守様のお屋敷へ七輪の材料となる土のことを聞きに行くという件だが、ワシも同行しようほどに、曲淵様からの御連絡があればワシにも伝えよ。家臣の者を勝手に使われてはかなわん。加州公の御家来とお前では格が違うゆえ、親身にならぬ内は話を切り出すのが難しかろう」


 有り難い言葉に義兵衛は平伏し「よろしくお願いします」の意を表した。

 首尾としては、越中守様のときのような感じになるに違いない。

 こうして、御殿様への報告は終わらせることが出来、義兵衛は萬屋へ戻り、安兵衛さんは奉行所へ戻っていったのだ。


申し訳ありませんが、来週末(5月末)まで投稿を休みます。よろしくお願いします。

(感想にも対応が難かも知れません。戻り次第返信するつもりです)

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