寄進と行司・目付席 <C2289>
6月7日の描写で既に12話目となってしまいました。あと3話でこの日が終わる予定です。
もうしばらくお付き合いください。
版元さんへ、改めて興業へ寄進して欲しい旨の申し入れを行ったが、なかなか返事が頂けない。
額から噴出した汗が顔を伝わり、それが床にポタポタと数滴したたり落ちたときに版元さんは口を開いた。
「卓上焜炉の登場以来、この企画で相当に儲けさせて頂いているのは確かです。ただ、売れて1枚4文の瓦版です。実際の利益は思ったより薄いのですよ。なので、料理比べの興行に関わる瓦版が20枚売れる毎に1文の寄進、という恰好で済ませられないでしょうか。その程度の金額であれば、どうにか継続して出せます」
「それで、いかほどの御寄進になりましょうか」
善四郎さんが突っ込む。
「後払いということになりますが、前回の興業では、予告で2回、結果で1回の計3回分の瓦版を撒いております。合計で3万4千枚程を出しておりますので、出来るのは1700文の寄進となります。意外に少ないとお思いかも知れませんが、華やかに見えていますが実はそれほど儲かる商売ではないのです。こちらとしても、いろいろと良くしてもらっているのに、この程度しか寄進できなくて恥ずかしい限りです。沢山売っておるように見えて、内実はカツカツということです。売り上げの1分3里(1.3%)も寄進するとなると、本当は厳しいことです。
普通は1つの版で1000部も出れば売上1両で御の字なのですが、贅沢なところなのかも知れませんが、どうも採算が取れていないのですよ。どこの版元も似たようなものなので、瓦版に特化せず浮世絵や草子なんかに手を出している感じでしょうか」
版元さんには、無償で仕出し料理の座の規約などを作ってもらっており、これ以上は難しいのだろう。
1000枚で1両の売り上げなら、3万4千枚なら34両の売り上げ、それでも1700文出すのが精一杯というあたりに、苦労が偲ばれる。
町で発行するミニコミ誌や、コミケで販売する同人誌が、よほどのメジャーでないと採算ベースに乗らないということが良く判る。
ではミニコミ誌なんかはどうやって採算をとるのか、と考えたところ閃いた。
「版元さん。瓦版を買ってもらう人からだけ銭をとるから苦しいのではないのでしょうか。
販売する瓦版の最下段や左横に空白ができますよね。そこの場所を、金を採って貸すというのはどうでしょう。
例えば、今回番付に登場していない132軒の料亭に、囲みで商家の宣伝文句を入れる、という話にするとかどうですかね。
1文字40文として『玉子料理は王子・扇屋』と10文字入れて400文で請け負うとか。1万枚も出る人気の瓦版ですから、宣伝効果は絶大でしょう。1文字100文でも載せたいと願う料亭が出ること間違いなさそうですね。ああ、売れる部数で金額を代えるという所は重要ですよ。これこそ入札にして値を釣り上げるのも手じゃないですか。
それで、そうやって儲けた分の半分を寄進額に上乗せする、というのであれば、無理なく増額できるのではないですか」
この説明に版元さんは天井を向いて大きく口を開け、絶句している。
その様子を不思議そうに眺める千次郎さんと善四郎さん。
「義兵衛さん、これはなかなか面白い企てですな。秋葉神社の興業を追いかけて瓦版を出すより、よほど安上がりな荒稼ぎになりそうな話じゃないですか。版元さん、どうですかな」
善四郎さんが声をかけると版元さんは呪縛が解けたように反応した。
「義兵衛様、良い策をお教え頂き、ありがとうございます。これは気づいておりませんでした。良い知恵を授かりました。
千次郎さん、明後日の臨時寄り合いでこのことを皆に説明する時間を頂けますかな。
興業の予告2刷と興業式次第、興業結果の計4刷で、それぞれの刷り上げ見込み枚数を入れて募集しましょう。余白の所に囲みで料亭の宣伝を入れるが、幾らなら出すかを添えて申告してもらい、文字当たり高い値を付けたところから順に余白の許す限り載せるとすればよろしかろう。それで、半額を興業に渡すとすれば、お互いの利益にもなり、料亭も納得いく値で宣伝もできよう、というものです。
瓦版も余白の心配をせずに済みますので、これは三方良し・一石三鳥どころではありませんぞ」
版元さんは段々興奮してきたのか、声を大きくしながら語り続けている。
紙面に広告を載せて対価を取るという発想が無かったのだから、当然と言える。
これが過ぎると、広告収入だけで媒体側は無料、果ては『ポイントをあげるから見てね』の世界になっていくのだ。
「さて、版元・當世堂さんからの寄進額は今は不確定ですが、興業までにはそこそこ頂けることが判りました。
それで、行司・目付役のことについて、はっきりさせませんか」
義兵衛が善四郎さんに水を向けた。
「武家側はともかく、商家側が思った以上に難しいのです。行司1席は萬屋枠、残り2席に目付5席でしょう。目付席については、町年寄り3家に3席割り付け、ともかく抑えになってもらう恰好にしてしまいますので、残りが2席。それで、計4席を入札にします。
入札が難しいと言っているのは、勢いのある商家・米問屋の押込みです。特に大通人、通り名で十八通人と称される内で、蔵前の旦那衆からの申し入れがあります。何かと面白いことには首を突っ込む人達でして、入札の最高額より10両多く出すので席を寄越せと言うのです。公開入札という建前とは違う行為を迫るので、どうにも困っておりますが、対応するにも良い知恵も出ずに今に至っています」
善四郎さんが『行司・目付の見込みだけ聞いたら』など当初言っていたのは『丸投げしたい』の裏返しだったのかと合点がいった義兵衛だった。
「それならば、行司・目付の各1席を通人枠にして通知し、その中で競りをさせましょう。最初に申し入れをしてきた通人にこの旨を知らせて非公開で入札価格にいくら上乗せするかを競らせるのです。高値で売れること、間違いありませんし、その分興業としては助かります。
そうして一般に公開する入札は各1席とすれば良いのです。ただ、以前に瓦版にした内容とは異なりますので、このような競り・入札で金銭を得るのが妥当かは、ご公儀に確認してお墨付きを得たほうが良いでしょうね。明日の事務方寄り合いには、町奉行所と寺社奉行所から戸塚様と佐柄木様が来られるのでしょう。そこで問題ないことの言質をとりましょう。
武家側の目付枠5席、ああ1枠は椿井家でしたので4枠分がどうなっているのかを問い詰めれば、思ったようになる気がします」
義兵衛がこう説明すると、千次郎さんも善四郎さんもあきらかにホッとした顔をした。
ただ、武家の窓口となっている曲淵様が、3席あるはずの武家行司役席のうちの1席が、無断で義兵衛扱いとなっていることを認識されているかどうか、ここは安兵衛さんにかかっていることだけが心配なのだ。
きっと根掘り葉掘りで事情は聴いていることだろう。
そして、大名枠にしようという魂胆について、直接話を聞こうという状況になることは見えている。
義兵衛の言い訳に『それは面白い』と乗ってくれるかどうかは一つの賭けなのだ。
そして、もしその通りにことが運ぶのであれば、わざわざ御殿様(椿井庚太郎様)の手を煩わすこともないと思われた。
「ちょっと、ここへ立ち入られては困ります」
ここまで考えが及んだ時、店の中通路から忠吉さんの制止する声が響いてきた。
さて、誰が飛び込んできたのでしょうか。
平成として最後の投稿となります。次話は令和の初日5月1日0時投稿です。




