事務方寄り合い前哨戦 <C2287>
萬屋でひとり待つ義兵衛の所に、まずはお屋敷へ伝言を頼んだ丁稚が戻ってきた。
「義兵衛様、お屋敷の細江紳一郎様からのご伝言です。
『萬屋に居ることは了解したが、9日夜は翌日のことがある故戻るように』と『料理比べ興業やら金策等色々と大変なことをしておるが、手に負えなくなる前に相談すること』でした」
どうやら御殿様は10日の松平越中守邸訪問だけは気に留めておく様に言い、養父・紳一郎様は大それたことをする義兵衛に釘を刺したという所のようだ。
この結果に安堵していると、ドヤドヤと善四郎さんと千次郎さんが戻ってきた。
「最初の坂本が難関でしたなぁ。確かに浮舟・百川は新しい所ながらメキメキと頭角を現している店なので、用心するのも判るが、説得するのに大汗を掻いてしまいましたぞ。千次郎さんが『今の坂本の隆盛には卓上焜炉の料理を教えた恩義がある』と仄めかさねば、坂本は辞退しかねなかったほどでしたな。
それで義兵衛さん、結局、挑戦を受ける側の3料亭はいずれも承知しましたぞ。
亀戸町・巴屋さんは、雪辱を果たす機会がもう来たかと闘志丸出しでしたぞ。まあ、ここで十両としての格を見せてもらわないと、ワシの舌が疑われてしまう。一石橋の三文字屋は乗り気でしたぞ。まあ、相手が橋場の甲子楼ですから息巻くのも判りますがな。
あれ、安兵衛さんはどうなされましたかな」
「安兵衛さんは奉行所への報告もあり、先ほど帰っています。明日朝にはこちらに直接来る予定です。明日の事務方の寄り合いは、八百膳さんのところですよね。なので、早朝こちらに寄って一緒に向うことになります。
私の方は、20日に開かれる料理比べの興業の見通しが立つのかどうか、ここ数日が山と見ておりお殿様に『明後日の緊急寄り合いが終わるまで萬屋さんの所でご厄介になっても良いか』を確認し、了解を得ております。千次郎さん、こちらでご厄介になってもよろしいでしょうか」
「はい、以前の通り、店2階の客間を空けますので、そちらをお使いください。
義兵衛さんと夜通し検討ができるというのは、実に助かります。早速丁稚をやって瓦版・版元を呼びにやりましょう。なに、どうせ明日は事務方の打ち合わせで浅草へ向うのです。取り組みのことも真っ先に知りたいでしょう。明日の朝が今夜になったところで、問題はありますまい。
善四郎さんも今宵はこちらで、ということでよろしゅうございますか」
「いや、そこは申し訳ないが、何もかも放り出してこちらに来たもので、夜には一度店に戻るしかない。明日の事務方寄り合いの準備もある。
行司と目付の見込みだけ聞いたら、一旦引き上げようと思っておる。事務方との折衝は、義兵衛さんが同席してさえ下されば、難事ではございますまい。この興業で八百膳が出せる寄進の上限は勧進元という立場からして現金10両、あと特製の膳を20脚まで提供として見積りおきください」
流石に丸一日店を空ける訳にはいかないのだろう。
焦点をすでに料理比べに絞り、しかも興業としても黒字化を考えていることがよく判る。
では、行司と目付の状況から確認していこう。
「千次郎さん、まずは行司役ですが、今までの見当ではどうなっておりますでしょうか」
「はい、実は進んでおりません。勧進元・版元で2席、料理番付東西の大関で2席でしたが、東の大関・坂本が勝負に参加するのであれば、東は関脇・平石さんに行司をお願いすることになります。武家側の行司3席は、町奉行様・寺社奉行様と義兵衛さん指定の1席で合わせて3席ですが、義兵衛さんはこの1席をどうなされるおつもりですか」
「はい、武家側は大名家に割り付けるつもりです。この料理比べは今後の会席料理の膳が大きく発展する良い仕掛けと考えています。江戸の食の風習・料理の業を全国へ広げてゆくだけでなく、地方での料理の業をくみ取ることができないか、その切っ掛けになればと考えております。最終的に食の道に明るい大名を引き込むための方策を考えております。万一ではございますが御大名自身にご参加頂けるということが叶いますなら、この興業は他では真似できない位、特別に格が高いものとなるでしょう。
同じような興業がはびこる前に、名前が通った方々を取り込んで権威付けしてしまおう、という魂胆です」
「それで、その首尾はどうなっておりますか」
興業に大名家を取り込むという大胆な発言に千次郎さんは顔色を変えて聞いてきた。
確かに大名相手の商売というのは、貸し倒れさえなければ、この江戸で成功の証といった扱いになるのだ。
もっとも、公儀との取引ができるとその比ではないのだが、出来立ての興業としては、あまり夢を見ているような発言でしかない。
「首尾も何も、枠を頂いた今朝の話でございます。まだ構想の域を出ておりません。この件は、御殿様か御奉行様を経由して話をしてもらう必要がありますので、早まって喧伝されないよう御留意ください。
それで、預かっていた商家側の1席ですが、こちらはやはり扱いが難しく、入札の対象席として戻しておいてください。
商家側3席について、入札も含めた準備はどうなっておりますか」
「申し訳ないのですが、さっぱり進んでおりません。萬屋さん枠が1席あるので、残りの2席が入札対象ということで八百膳から売り出す感じと考えていました。実は義兵衛さんに1枠と言われた際、対処するのが1席だけになったと、むしろ喜んでしまった位です」
当事者である善四郎さんがしどろもどろに答える。
事情を確認したら帰るどころの話ではなさそうだ。
この当事者意識の無いところが問題かも知れない。
「行司を入札制にする件は、前回の料理比べの時に瓦版に書いてしまっておりますから、今更取り下げる訳には行かないでしょう。この分であれば、目付役席についても同様でしょうな。特別なことをする、と思うからなかなか先へ進まないのです。
要は数量が少ないものを大勢の人が買い求めようとするのをどう捌くかです。魚市で魚を買い付けるのと同じですよ。公平に競りをすればよいのです。初物は高値になるのは世の常でございましょう。
ただ、懸念事項は、こういった席の売買をご公儀がどう思われるかです。普通は値がつかない席というものを売り出して利益を得るということは、武家側から見て面白からぬことやも知れません。お金にものを言わせるということをハナから認めてしまうことですからね。
事務方の寄り合いには町奉行様の所から戸塚様、寺社奉行様の所から佐柄木様がお出でになっております。この件について、今までの事務方の寄り合いで、御二方は何か異論を挟まれましたでしょうか」
この質問は痛いところを突いていたようで、千次郎さんが顔をしかめながら言い訳しようとしていたところに、瓦版屋の版元が入ってきた。
入ってくるなり、版元さんは声を上げた。
「これは、これは、なんと義兵衛さんでございませんか。
ははぁ、今回の興業に何か大きな変更があるのですね。事前の呼び出しというのはこういう訳ですか。面白いネタが頂けるのでしょうな」
この瓦版の版元さんの乱入に、千次郎さんは明らかにホッとした表情となった。
そして、善四郎さんは帰る機会を逸してしまった。




