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神託の効能という方便 <C2281>

 萬屋の茶の間で義兵衛と安兵衛さんがこのような雑談をしている間、八百膳主人・善四郎さんと萬屋主人・千次郎さんが料理番付の最上位3役の料亭を回っていた。

 いや、回ろうとしていたが、出戻るハメとなった。

 3役の料亭、6軒はいわば挑戦を受ける方なので、提案は容易に受け入れることができると踏んでいたのだが、最初に説明をした日本橋の料亭・坂本から質問が出て答えられなかったのだ。


「それで、善四郎さん。下位の料亭から『坂本の料理に挑戦したい』と言われ料理比べに応じたとき、うちの利点は何でしょうかな。下位の料亭は負けて当然でしょうが、それでも良い宣伝になるでしょう。勝って当然のうちは、何が得られますかな。

 提示された条件では、引き受ける側の話がありませんぞ」


 答えに窮した二人はまだ日本橋であることを幸いに、坂本の主人を連れて萬屋に戻ってきた。


「義兵衛さん、早速ですが相談したいことが出てきました。よろしいでしょうか」


 千次郎さんが声をかけながらズカズカと茶の間に入ってきた。


「おや、義兵衛さんではありませんか。お久し振りでございます。

 ははぁ、今回の興業実施要綱の変更は、義兵衛さんの提案でしたか。ご苦労様なことでございます」


 坂本の主人が顔を出して挨拶をし、今回の提案で抜けている部分、懸念事項の説明をしてくれた。


「ああ、それは意外に簡単です。

 挑戦された側には、まずは出場料をお払いし、さらに勝負に報奨金をかければ良いのです。例えば、勝ったほうに10両(100万円)の報奨を出す、でどうでしょう。料亭には仕出し膳を10脚出してもらうので、勝てば1膳あたり1両貰えることになります。

 報奨金の一部は挑戦する料亭に負担させれば良いのです。最終的にこの費用は座の持ち出しとなりますが、座への寄進や行司の落札代金を当てれば良いでしょう。

 それ以外に、例えば勝ち料亭を予想し当たれば当選金を支払うという籤制度を入れ、興業当日に券を売り出すという方法もあります。払い戻し金額を調整する必要があります。ただ、この富籤に似た方法は、御公儀に精査してもらい許可を得る必要があるので、今回の興業には間に合いませんが、いろいろな勝負事に賭けを入れ、胴元になるというのは実入りが良い方法なのですよ。

 こうやって稼いだものを報奨金として料亭に還元すれば良いのです」


「そうですか、興業の黒字化というお話を聞いておりましたが、黒字であればそこから報奨金も出せるということですか。

 事務方の決意の程は良く判りました。それならば納得です。大関としてどんどん胸を貸しましょう。挑戦されたら、もちろん報奨金を頂きますよ」


 義兵衛の説明に、坂本の主人は納得した。

 おそらく、仕出し膳1脚で1両の報奨金という説明のあたりで、もうこれを手にした気になっているのだろう。


「お金に換算して話を進める、というのはこのことですか。これは良い考えかも知れません。料理比べを勝負と看做して賭けさせる、というのは、こりゃまた随分面白そうです。でも今回の興業に間に合わないのならしょうがないですな。

 千次郎さん、質問が出たのが日本橋だったから良かったようなものの、これが向島の料亭だと往復するだけでも大変です。近場の料亭をまずは優先的に回って、意見を集約しませんか。そして遠方は手分けするしかないでしょう。いずれにせよ、明日朝までには皆で48料亭の全部を廻りきりましょうぞ。

 坂本のご主人、もし可能であれば手を貸して頂けないでしょうか」


 善四郎さんは鼻息も荒く話かけ、そうして3人揃って萬屋から出て行った。

 まるで嵐が一瞬通り過ぎたような感じで、その後だけに店の茶の間では一層の静けさが広がった。


「あれは、しゃぶしゃぶ料理で今大評判の料亭『坂本』のご主人ではないですか。

 坂本の主人は義兵衛さんの説明に直ぐ納得していましたが、やはり義兵衛さんを信頼しているのですか。一体どういった関係なのでしょうか」


 丸い目をした安兵衛さんが顔を覗き込んでくる。


「坂本さんは、最初に卓上焜炉を料亭に売り込む時、料理の実演をした先の一つです。

 一番初めは向島の武蔵屋で『湯豆腐』を実演、次に日本橋の坂本で『しゃぶしゃぶ』を実演し教えました。そうしたら、武蔵屋の女将が『湯豆腐』では勝負できる料理にならないと言うので『どじょう鍋』を出すように教えたのです。また、坂本さんには『しゃぶしゃぶ』のタレとして、最初はポン酢、後から胡麻タレを教えています。

 こういった縁があって、坂本さんと武蔵屋さんの所では、私が後ろで糸を引いているのを薄々知っています。ああ、もちろん八百膳さんにも『湯葉鍋』を紹介していますし、料理にからんで裏に表にいろいろな働きかけをしていますので、明確に役割を知っています。

 この3料亭以外の所は、登戸村の料理屋主人の加登屋さんを表に立てていたので、そちらが元祖と思っておりましょう。なので私が何を言っても中々受け入れてくれないでしょうね。おそらく普通の料亭は、加登屋さんの言うことなら聞くでしょう。

 その意味では『信頼』というのは、人の思い込みでも決まるということですかね」


「いや、これは……。最初から全部判ってやっているのでしょうか」


「そんなことはありません。大枠は考えていますが、きっかけだけ作って後は任せます。ただ、どうしても思惑通りにいかない場合もあり、軌道修正や綻びを繕ってばかりです。即興で打った手が悪手だったこともあります。しかし、今の所なんとか馬脚を現さずに済んでいる、といったところでしょうか。

 現に今、料理比べの興業が危機に瀕しており、挽回策を練っているのですよ。明日朝までに48料亭への説明を終えるでしょうが、明後日の緊急寄り合いは荒れるでしょうね。最初に、第二回興業の開催が危なくなっており、座の協力を、出席する料亭全部に事務方連が膝を屈してお願いできるかどうかです。千次郎さんと善四郎さんに出来るといいのですが、そこまで意識されているのか。

 後は、紛糾してしまったときに、町奉行から来ている戸塚様か、寺社奉行の佐柄木さえき様が一喝して雰囲気を壊してくれると、私が意見するという方向へ持って行き様があるのですが。

 この分だと明日・明後日が山でしょうから、今日・明日は徹夜覚悟でここに泊まるしかないでしょうね」


 安兵衛さんは勢いに飲み込まれたような表情になった。


「それで、義兵衛さんは、どうしてそのような先のことを考えたりできるのでしょうか。それも、普通の人は思いもよらないような視点や言葉などで、です」


 少し躊躇ためらいはしたが、予め考えておいた言い訳をぶつけて反応を見るのには、今が好都合かも知れない。


「これは、安兵衛さんにだけ打ち明けます。

 神託を受けた巫女が立ち往生し、私に振り替えて神託が下されたことは承知しておりますでしょう。そして、動いた結果、巫女は活動の場が与えられ、今は私に神託を下さなくとも済むようです。しかし、考えてみると私に最初の神託が降りたときに、それに伴って何等かの知恵を授かったようなのです。おそらく、神託を理解するに足る知識が与えられたのではないかと推測しています。あくまでも推測ですが、そう考えると色々と辻褄が合うのです」


「これは興味深いことです。すると、義兵衛さんは寺子屋などで習ったこと以外の知識を手に入れている、ということですね」


「はい、多分そうだと思いますが、習った知識ではないため、何を知っているのかは自分にも良く判らないのです。何かの場面に応じて考えると浮かんでくるので、私にとって便利ですが人に教えようがなく、また神託ではないので浮かんでくる言葉が正しいかどうかも判りません。なので、寄り合いなどでは、実は黙って考えていることのほうが多いのです。

 確証のある話では御座いませんので、しばらくは内密にしておいて頂けますか」


「神託を受けた効能、といったところですか。不思議なこともあるものですね」


 安兵衛さんはこの打ち明け話に驚いたようだが、理解してはくれたようだった。

 だが、内密と聞きつつ、おそらくは曲淵様には報告するであろうことまでは見えていた。


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